H21.5.15 巡礼 H22.5.22 UP
1年近くのブランクが有り、やっと再び「越後33観音霊場」の続きを始めました。
前回打ち止めした六日町へ向かって車で走ってましたが、どこでどう間違ったのか川口町へ出るつもりが、信濃川沿いの小千谷市「川井」という集落へ来ちまいました。
これから、どおやって六日町へ行けばええんか・・と、郵便局の道端で車を止めて地図を確認してると、ちょうど目の前に「国宝愛染明王」という看板が有ります。
ん?・・へえぇぇ~・・こんな場所に国宝が有ったのか、知らんかったなぁ。
道を間違えて、ここへ来たのも何かの縁、しかも国宝と書いてあるから期待しても良いじゃろ、見ていこ・・と思って行きました。
国宝が有るのは「妙高寺」という寺で、寺名の先頭に「妙」の字が付くと、たいていの場合は日蓮宗だったので、この寺も日蓮宗かと思ったら、そおでもなく禅宗らしい。
一本道を上がると、思ったより広い駐車場とトイレが有ったので、それなりに観光客が来るのでしょう。
雪国特有の背の高い寺で、入口には山門も無く、あんまり大した事が無いなぁ・・参観料を取るんなら帰るぞ・・と思いながら入りましたが、無料で庭はそれなりに苔むしています。
サラッと庭と付属の蔵王堂を拝見し、本堂に入りました。
本堂内の隅に仁王さんが置いてあり、昔は山門が有って、ガンバッてたんでしょうか。
木彫りで荒い感じの彫りでしたが、木目を生かしてなかなかの作品に思え、仁王さんの木の割れ目や乳首等に、お神籤や小銭が挟んでありました。
国宝の愛染明王様は、御簾の後ろに隠れていて拝見できないよおです。
賽銭入れの側に案内チラシが有ったので読んでみると、この愛染明王様は伊豆に流された源頼朝と関係が有るようで、そおいえば堂の扉に「笹竜胆」の紋が付いており、さすが源氏。
せっかくなので、尺八を一曲吹こうと思ったら、マイクロバスが駐車場に止まり、降りて来たジジババ等の観光団体が10人ほどザワザワ・・と言いながら本堂へ入ってきました。
あちゃあぁぁ・・・ジジババ達が出ていくまで、しばし待とう。
しかあしぃ・・ジジババ達は本堂内でもザワザワするだけならええんです。そりゃあぁ・・寺へ来て嬉しくなり、遠足にでも来た気持ちになってハシャギたい気持ちも有るでしょう。
でもねぇ、参拝するのでもなく、興味本位で本尊さん前に置いて有る太鼓を勝手に叩くやら・・・坊さんがお勤めをする時に座る、正面席の分厚い金ピカのザブトンの座り心地を確かめるやら・・・
おいおい、いくら何でも、そりゃあぁ本尊さんや寺に対して失礼じゃないの?、とても分別あるジサマ達のする行為とは思えん。
きちんと座って参拝しての行為ならばええが、いくら信心の足りないσ(*_*)でも、そんな興味本位的なマネはしないでぇ。
小学生のジャリ共がやるなら、まだ常識も知らないのだからと笑って注意できるが、σ(*_*)よりも年食っているジサマ達ならば、常識的に善悪が分かるはずなのにぃ・・・あぁた達は小学生並か?
トットと早く出て行かないかなぁ・・と案内チラシを隅々まで読んでると、もう1台マイクロバスが来て、今度はオババ達がワァワァ言いながら本堂に入って来て、再び、あちゃあぁ・・
しょうがないので、これまたオババ達が出ていくまでの時間つぶしのため、先程1回読んだチラシを、もう1回最初から丁寧に読み直した。
ワァワァ言ってたオババ達も最後の4人連れが残り、賽銭箱横のチラシを持って行くのに、お互いにスッタモンダ言いながら取り上げて、チラシの品評会を開き始めます。
ええいぃぃ・・もうオババ達・・そこにあるチラシを一掴みづつ土産として持ち返って、近所や孫やらに配っても良いから、トットと早く帰らないかと思っちまった。
やっと帰り始めて、最後のバサマが出て行った時に、参拝の座について参拝しました。
その後、参拝名簿を見ると、先ほどの団体は近郊の人達かと思ったら、ほとんど県外の人達で、それより以前の名簿を見ても県外からの参観者が多かった。
へぇ~・・・全く知らない寺だったけれど、この妙高寺は県外では、けっこう有名な寺だったんですねぇ、そおだろなぁ、なんせ国宝が有る寺だもん。
帰って妙高寺をネットで調べてみると、近郊では昔から有る有名な寺のよおでした。
「仏縁」という考え方をすれば、道を間違えたのは、この妙高寺へ来るように愛染明王のお導きが有ったのかもしれまへん。
道を間違えなかったら、この妙高寺を訪れる事は、たぶん一生無かったと思う。
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