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浦佐大橋、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H21.5.16 巡礼   H22.6.26 UP


浦佐駅前の銅像/越後33観音霊場・只一人

道標

「越後33観音霊場」只一人・紀行文    道標、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    道標、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「浦佐」へ向かってテクテク・・「柳古新田」を過ぎた道端の墓場で、ふと墓が立ち並んでる所にポツンと立ってる地蔵さんが目につき、その横に道標らしき物が見えたので、わざわざ近寄ってみました。 道標、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 物好きですねぇ、疲れてるのに確かめに行くなんて・・こお言うのを野次馬コンジョと言うんだろなぁ。

 そしたら、やっぱり道標で「右・・方面 左・・方面(・・は読めない)」と彫ってあり、へえぇぇ・・この墓付近が、昔はどこかへの別れ道だったのかぁ。

 「竜谷寺」から2kmほどしか歩いてないけれど、疲れたので、ついでにそこらの石垣に腰を下ろして一休み。

 大きい木があり、石碑も並んでいるので、昔はσ(*_*)みたいに一休みした人も居た事でしょう。

掌の道標、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      掌の道標、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      魚野川、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 近くの道端にも看板が立っており、どうせ「墓をキレイにしましょう」か「ゴミは持ち帰りましょう」の看板かと思ったのです。

 しかし、ここでも野次馬コンジョが優先し、せっかく腰掛けたのに、わざわざ見に行くと「八色原の道しるべ」と書いた説明書きがあり、その看板の後ろに道標が有りました。

 ちなみに「八色原」は「やいろはら」と読むらしく、昔はここら辺一面は原野だったそうな。

 扁平石に大きく握りしめた手で、人差し指を「うらさへ」と刻んだ珍しい道標だと書いてあり、建立者は幕末・明治に庄屋を勤めた人らしい。

 四国の道標も、掌とか人差し指で行き先を示してましたが、そお言えば四国以外では、このように手で指し示す道標は、あんまり見た事がありまへんなぁ。

 たいていは「右こっちへ 左あっちへ」のように、字だけでした。

浦佐駅前の銅像

 浦佐駅前に着くと、昔この県から出た田中元首相の銅像が「よっしゃ、よっしゃ・・」と手を上げて迎えてくれます。

 この銅像については、涙無くして語れない、心温まるカワイソーなお話がありましてなぁ。 浦佐駅、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 冬の季節には、浦佐付近は豪雪地帯となり、雪がシンシン・・と降り続くと、この像にも雪が積もり、それを見た元首相の娘は、この銅像がカワイソーでなりません。

 さっそく、支持者の集会に乗り込んで 「父の銅像に雪が積もっており、寒そうでカワイソーだ。カゼひいて熱が出たら、どうするんじゃ。何とかせい。」とゴネました。

 しかし、まともな考えを持つ多くの人達は「あぁたぁ・・何言ってまんがなぁ。たかが銅像に雪が積もっても、どおって事が無いでしょうが・・・何をくだらん事を・・」

 しかし娘は「ええいぃぃぃ・・・昔、世話になった恩も忘れて、偉大で慈悲深く親愛なる将軍様の銅像に、雪が積もっていても何とも思わないのか。

 なんたる恩知らずの無礼者!!(と言ったか、どおだか、わからんが)ギャアァ・ギャアァ~・・・キャアコラ・キャアコラ・・」
と騒ぎ立てます。

 まともな考えの多くの人達は、「かなわんなぁ、あのアホな女め」と思いながらも、娘の更年期障害のヒステリー状況が、あんまりにもウルサイので、しかたなく銅像の後ろから銅像の上にドームが掛かるように雪除けを作ってやりました。 田中元首相の銅像・浦佐駅前、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 除幕式に出席した娘は、満足そうにホッとした表情で銅像を眺めたそうな。

 しかし世間では、雪は上からだけでなく横からも吹くので、上だけ覆っても、やっぱり像に雪が積もるんでねぇかと思いましたが、言ってもわからんアホに話すと、また話しがややこしくなるので、それを進言する人はだれも居ません。

 以上、σ(*_*)が勝手に想像した、心の底から温まる「哀雪、銅像の父を持つ娘、純愛物語」でした。

 今も浦佐駅前には、ドームを背にして手を上げてるオッサンの銅像が立っており、ヒマな人は、ぜひ一度浦佐駅で降りて、この銅像を見て笑ってやってください。

 それほど銅像に雪が積もる事が心配ならば、夜になったら寝冷えしないようにフトンでもかぶせてやった方が、よっぽど親孝行の娘だと世間の話題にもなったろうに。

 そお言えばその娘が外務大臣をやってた時に、北朝鮮の将軍様のドラ息子が日本に不法入国しました。

 そしたら、あぁたぁ・・何を血迷ったか、ろくに取り調べもさせずに「早く帰してあげなさい」と、その権限で帰国させちまったのです・・・・何を考えとるんじゃろ、この娘は・・・

 このように北朝鮮に対しては思いやりのある温かい人ですから、北の将軍様のマネをして銅像を神聖化させたくてしかたがなく、父の像が野晒しになって雪が積もるのは耐え難かったんでしょうねぇ。

 あの時、ドラ息子を取っ捕まえて、冷たい石の牢屋にブチ込み、拉致被害者の即時返還を求めてれば、また違った展開が有っただろうに・・

 そおいえば付近に「銅像に石を投げないでください」と書いてあったような気が・・・


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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