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 とび坂峠、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H21.6.15 巡礼    H22.7.14 UP


歴史の道百選「とび坂峠」/越後33観音霊場・只一人

作務衣

 1ケ月ぶりに北堀之内駅より出発。

 北堀之内駅まで送ってくれた越後屋が、後ろ姿をデジカメで撮ってくれ、この日は歩くコースに「越後33観音霊場」の札所寺が無いので、作務衣を着ずに普通のカッコウをしました。

 越後屋が曰く「明日の長岡市内を歩く時に普通のカッコウした方が良いんじゃない?、市内を作務衣姿で歩くのは、けっこう恥ずかしいと思うよ。」 北堀之内駅前、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「ええいぃぃ・・よけいな、お世話じゃ。こっちは寺へ行く時の正装は、作務衣だと思って信念を貫いとるんじゃ。」

 しかし「作務衣」は寺での作業着という事は知ってましたが、僧職の人は作務衣で本堂でお勤めしないのが鉄則らしく、作務衣を着ていても、お勤めの時は、わざわざキチッと着替えて正装するそおです。

 そおですわなぁ・・作業着姿で主賓や大切なお客様等には対応しませんもんねぇ。

 そおいえば四国遍路で出会った尼さんも、托鉢する時は歩いてる服装でなく、きちんと着替用の荷物持ってたもんねぇ。


 でも・・まぁ・・σ(*_*)は僧職でもないしぃ、信心の足りん事おびただしい単なる巡礼だしぃ。そこら辺は、目をつぶってもらおう。

とび坂峠

堀之内パキング、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    とび坂峠・入口、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   とび坂峠より魚野川、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 国道17号線をテクテク・・しばらく行くと、冬季に車がタイヤチェーンを取付・取外する「堀之内Pパーキング」があります。

 最初は、この先に「和南津トンネル」があるので、トンネル横に有る魚野川沿いの道を歩いてみようかと思ってました。

 しかし、歩く寸前の日にネットで調べてみると、その付近に途中より山越えの道が有ったらしいですねぇ・・あんまり知られてないようですが・・・そいで、それが本当の旧三国街道だったらしく、その名も「とび坂峠」と言うそうです。とび坂峠・石仏、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 カタカナで「トビ坂」と書いてるのも有り、どちらが正しいのかわかりまへんが、何故か漢字では書いてるのは見かけなく、畏れ多くも、もったいない文部科学省文化庁選定の「歴史の道百選(道番号20)」になってるそうで、こちらでは平仮名で「とび坂」となっているので、平仮名を使用する事にします。

 経路としては「佐渡路-三国街道」として「永井-三国峠-二居峠越-栃原峠-とび坂峠」の区間らしく、ネットには「上り口」位置・写真が載っていたので、「とび坂峠」の入口はすぐにわかりました。ありがとさんです。

 たぶん昔は「堀之内Pパーキング」位置付近から上がる道が有ったのでしょうが、パーキング施設が出来ちまったため、大きくUカーブで戻るように高台への車道を作ったのでしょう。とび坂峠・、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 坂を上がって石仏の有る付近で、オババが自転車から荷物を降ろしていたので道を尋ねました。

 「あのお・・・、この道は旧道で「とび坂峠」と言われていたらしいですが、この先は、どのように行けば良いでしょうか?」

 「あぁ、そうだよ、ここは昔、旧道じゃった。 この先へ行けば杉林の所に道が在るから、それを右側に行きなせぇ、トンネルの横に出るから。

 道が曲がりくねっているが、だいじょうぶ歩ける。 はっん?・・道幅は、今居るこれ位あるよ(2m位)」


 丁度そこへ軽トラに乗ったトッツアンが来て、オババに話し掛けてきたので礼を言って分かれました。

 本当の事を言うと、すぐ近くに右へ行く道と、その先に右カーブで上る道があったので、どっちの道へ行けば良いのか尋ねたつもりだったのですが、オババとの意思疎通が悪かったよおです。とび坂峠、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 最初の右へ行く道は、どうも畑へ行く道のよおなので、その先の右カーブ上ると明るく開けた「とび坂峠」の畑がある高台に出ました。

 畑の中を舗装した車道が大きく左にカーブしている所で、ジャリ道がそのまま真っ直ぐに伸びております。

 ネットで調べた時に「とび坂峠」は、このジャリ道を行くのまではわかってましたが、その先がよぉ~わからず、ホントは、オババにこの先の道の事も聞きたかったんだけれどなぁ。とび坂峠、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 でも、このままジャリ道を歩いて行けば、「とび坂峠」下り口の道が有るだろと思い、畑仕事しているトッツアンも居る事だしぃ、わからんかったら聞けばええんだから。

 畑の中を突っ切っているジャリ道をテクテク歩き、正面に木が茂ってます。

 左に木が茂っているのを横目に見て「おぉぉ・・それらしい旧道になってきたなぁ、そこの小汚い農器具が置いてある付近から「とび坂峠」の降りる坂道が在るんかな?」と思って喜んでると、そこで道が途切れていました。

 あらあぁぁ・・・そいじゃ、もう少し先の農道か?と思い行ってみたが下りる道らしいものは在りまへん。

 そいじゃ、さっき畑仕事をしていたトッツアンに聞いてみようと思って、作業をしていた所へ行ってみたが、トッツアンはどこへ潜ったのか神隠しにあったのか見あたりまへん。

地蔵和賛風に・・

 一応、そこらで「すんまへえ~ぇん・・・」と声を上げて、トッツアンを探して呼んでみたんだけどねぇ・・


 西に向いて「トッツアァ~ン」  
 東に向いてトッツアア~アアン」

 「トッツァアン・・トッツアァン」と泣く声は
 この世の声とは事変わり   悲しさ骨身を通すなり

 峰の嵐が聞こえれば  トッツアンかと思うて馳せ上がり
 辺りを見れどもトッツアンは見ず   

 谷の流れの音すれば  トッツアン呼ぶかと喜びて  
 こけつまろびつ馳せ下り  辺りを見れどもトッアンは無く

 走り回りし甲斐もなく     西や東に駆け回り
 畑の畦道つまづきて  手足を泥に染めながら

 小汚き巡礼哀れな声をあげ   もうトッツアンはおわさぬか
 泣く泣くその場に打ち倒れ   ここやかしこと泣き歩く

               「異聞 悲哀巡礼地蔵和讃」より抜粋


 結局、先程の舗装車道とジャリ道の分かれ道まで行き、畑の中をウロつき放浪して一周しちまい、知らない人が見たら、あいつケッタイな笠被って何をしとるんじゃ・・と思ったろなぁ。

 このまま舗装された車道を行けば下へ降りれるのは、わかっているんだけど、それじゃあぁ面白くない。

下り口発見

とび坂峠・下り口、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 とび坂峠・下り道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文 とび坂峠・下り道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  とび坂峠・下り道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 ジャリ道を歩いている途中でヒョットしたら、ここが下り道では?・・と思った心当たりの箇所が1カ所だけ在りました。 とび坂峠・下り道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 もし、その場所が違っていたら、舗装道路を泣きながら歩く事にして、とにかくその場所まで行ってみました。

 場所的には、ジャリ道が真っ直ぐ突き当たった位置で、その付近は少し窪地になっており草が生えています。

 その草を踏み分けて、少し入ると・・・在ったあぁぁぁ!!道が・・・良かったなぁ、泣かなくて・・・

 「とび坂峠」は有名な峠では無く、道標とか看板は全く無く、草を刈る人も居ないので発見されにくく、いくら文化庁選定の百選でも、いつの日にか埋もれちまって消え去る峠道かもしれん。

 最初のわずかな草地を過ぎると普通の山道で、地面も出ており迷う道ではなく、「坂」の名前が付いてる峠道らしく、下り坂は少し急坂でした。

とび坂峠・出口、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    とび坂峠・出口、「越後33観音霊場」只一人・紀行文     とび坂峠・上河原、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 杉林の「とび坂峠」の峠道は国道トンネルの上を通り、麓の畑地へ出ましたが、始めてこの方面から上る人は、ここがまさか「とび坂峠」の入口とは、ちと思わないだろおなぁ。

 どちらかと言うと、そこら辺の畑へ行く道・・と言うより、そもそも道だとは思わないかもしれん。

 せっかくお上が「歴史の道百選」に選定してくれたのだから、これからは歩く人も出て来ると思うので、栃原峠も含めて「とび坂峠」案内看板くらいは設置してくれても良いと思う。

 トンネル近くの国道と交わる付近に、石仏がまとめて祀ってありました。
 


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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