H21.6.16 巡礼 H22.7.28 UP
「三仏生」集落から少し離れた道沿いに、「百塚」というのが有って、その存在はネットで調べてわかっていたのですが、場所がよぉ~わからず、昨夜、小千谷で泊まったホテルで聞いて確かめました。
「三仏生」の「百塚」へ行ってみると看板も、なあぁ~も無く、普通の車道に墓らしい物が立ち並んでいるなぁ・・と思った所が「百塚」の始まりで、最初の箇所だけは車道より少し入りますが、すぐに車道と交わります。
最初に石仏2体と「是従 北秩父札所」の石碑が並んで立っており、ほほおぉ・・秩父観音霊場を模しているんかな?、 隣の石仏にも、よぉ~読めないが「第何番」と彫ってあります。
石仏がズラアァァ~・・・と立ち並んでるのかと思ってましたが、墓がその間に有るんですねぇ、それも古い墓かと思ったら、最近立ったような新しい墓が・・
何で、せっかく古い石仏が立ち並ぶ所に、墓を建てたんじゃろ?、そりゃあぁ~・・墓立てる人にしてみれば手近に石仏が有った方が極楽へ行けて、ええですわなぁ。
しかし墓とは全く無縁で、「百塚」の石仏を見に来ただけのσ(*_*)らのような者には、あんまり見良い物ではない。
「百塚」は石仏・墓の間に桜が植えてあり並木道のようになっており、季節になると桜の花見が出来るでしょうが、墓がなぁ・・・
石仏の周りは、キレイに除草してある所あれば、雑草に多い尽くされて頭の付近だけが見える、気の毒な石仏もあり、どうせならば分け隔てせず、平等に全部キレイにしてあげれば良いのにぃ。
中間付近に「百塚」の案内板が有り、それによると
石仏は約1kmにわたって139基(昔は150基)の古い塚が等間隔に並んでいる。
伝説では、近所の長者様がこの塚に宝物を埋めたが、だれかにカッパラわれたらアカンので、どの塚わからんようにするため、沢山の塚を作ってゴマカしている。
その他、境界標説・堤防説等が有るらしく、設置目的がわからない「不思議な塚」と言われているらしい。
ふうぅ~むぅ・・・するってえっとおぉぉ・・最初に有った「北秩父札所」の石碑は、いつ・だれが建てたんじゃろ?その石碑の後・側面を見たが年号等が書いてなく、わからんかったが・・。
そもそも秩父霊場に、「北」が有るとは聞いた事が無く それとも秩父より、この場所が北の方面に位置するから「北秩父」なのじゃろか?
そいでもって、何故「秩父」なのか?・・「秩父」は「西国」を模した写し霊場であり、模するならば本家本元の「西国」にすれば良いのになぁ。
石仏には「第何番」と彫って有る物があり、観音霊場を模しているならば33体で良く、西国・秩父・板東霊場を合わせた100観音を模しても、ここの100数十体の石仏は大過ぎる。
お金持ちの長者様が作ったのだから、オマケに多く作ったのかな?・・・と、いろんな風に想像すれば、誠に「不思議な塚」でありました。
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