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 出現の池・真福寺、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H21.6.16 巡礼   H22.7.31 UP


観音「出現の池」/越後33観音霊場・只一人(真福寺)

一休みと祠

「高梨」付近、「越後33観音霊場」只一人・紀行文     一休み、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      祠、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「三仏生」集落の「百塚」よりタンボ道を突っ切って「高梨」集落外れまで近道をして、その後は一直線に近い車道をテクテク・・・

 道沿いの小汚い溜め池には、錦鯉がヒマそうに泳いでいます。「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 カーブを曲がった坂道の頂上付近に、少し広い場所が有ったので木陰の道端で一休みするため「ヨッコラショ・・」と地面に腰を下ろすと、目前の草藪に祠が有りました。

 ほほおぉぉ・・一応、道が分かれて三叉路にはなっているが、ここは昔の峠道だったんだろおか?

 場所的には、ちょうど石仏が有っても良さそうな高台の頂上付近で有り、σ(*_*)のような旅人も休みたいなぁ・・と思う箇所で、茶店か自販機が有っても良い雰囲気です。

 祠へ行く道筋を目で探しましたがわからず、また草も茂っていたので、わざわざ確かめに行きまへんでした。

台地、「越後33観音霊場」只一人・紀行文              台地、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 出発して最初のカーブを曲がると、今まで木に囲まれて狭い空間で薄暗かったのが、一変して明るくなり、見渡す限り広々とした田畑の台地が表れ、おぉぉ・・スゲェ~・・日本もまだ広いなぁ!!と思わず感動しちまった。

 広大な畑地を突っ切る道を、テクテク・・・

14番札所「真福寺」

 真福寺、「越後33観音霊場」只一人・紀行文       真福寺・道祖神、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      真福寺・仁王、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「池津」集落に有る「越後33観音霊場」の14番札所「真福寺」に着き、門前の石碑の中に「地蔵さんの道祖神?」が有ります。

 普通、道祖神は男女の二体なのですが、地蔵さん同士の道祖神ちゅうのは珍しく「坊さんと尼さん」の道祖神なんじゃろか?

真福寺・山門の彫刻、「越後33観音霊場」只一人・紀行文        真福寺・境内、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 山門の中には色付きの仁王さんが、ガンバッテおり、頭には紙で作った角のような物まで刺してます。

 境内の石碑には「真福寺」の由緒書きや、「池津」の地名になった云われとなる池が、どうのこうの・・と書いてあります。

 しかし、サラッと境内を見渡しても、どこに池が有るのか、よぉ~わかりません。

真福寺、「越後33観音霊場」只一人・紀行文           真福寺・本堂の龍、「越後33観音霊場」只一人・紀行文
真福寺・透かし彫、「越後33観音霊場」只一人・紀行文      真福寺・奉納額、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「真福寺」山門や観音堂には言っちゃあぁ失礼ですが田舎にしては、けっこう凝った彫刻がして有り、観音堂の菊の透かし彫りなんかは、すごい出来だと思う。

真福寺・天井絵、「越後33観音霊場」只一人・紀行文     真福寺・天井絵、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 堂内に入ると天井絵まであり・・・「真福寺」は芸術的な寺でんなぁ。

 堂内の戸は全て開かれており、風が入るので尺八を少し吹きづらかったが、「真福寺」の御詠歌「風かおる 池津の寺に 来てみれば・・」という感じそのもので、風は涼しく落ち着き、尺八を三曲吹きました。

真福寺・廻廊、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    真福寺・堂内、「越後33観音霊場」只一人・紀行文     真福寺、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 12時前でしたが、堂の階段の所でコンビニで買って来たオニギリを食べ、早めの昼食にした。

 ちなみに「三仏生」から真福寺まで、ここから長岡へ行くまでの間、途中には店がありませんでした。
     

出現の池

 出発して「真福寺」前の旧道を行くか、少し離れた車道を歩こうかと迷いましたが、車道を少し歩くと「池津観音様 出現池」と書いた看板が有るではありまへんか。 真福寺・出現の池、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「真福寺」境内の石碑に書いてあった、云われの池とは、この事なのかぁ・・しっかぁしぃ、肝心の池はどこ?

 見渡すと近くに、いかにも霊験を指し示すが如く、神々しく心が洗われるような清涼とした池・・・とは、正直者のσ(*_*)には絶対に、どうしてもお世辞にも言えず、だれがどう見ても「小汚い防火用水池」と説明した方が納得するような小さい池が有りました。

 まさかこの小汚い池が「出現の池」?・・と疑いながら池の側へ行くと「大同元年7月17日 正観世音出現の池」とデカデカと書いてある石碑が有り、この石碑が無かったら信じきれず、やっぱり「防火用水」だったのか・・と思ったろおなぁ。

 大同元年(806年)といえば、弘法大師様が中国から帰って来た年で、ずいぶん歴史が有る池ですねぇ。

 しかも月日まで、はっきりわかっているなんて・・たいてい、こおいうタグイの伝説は「昔、むかし・・」で始まる事が多く、年月日が記載されているのは始めて見た。

 「出現池」の看板裏に由緒書きが有ったらしいが、それを知らなかったので帰ってからネットで調べてみると 真福寺・出現の池、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「村に権兵衛という信仰深いジサマが居たそうな。

 ある晩、龍神が権兵衛どんの夢枕に現れ、「池の辺に一寸八分の黄金の観音像が埋もれている。それをおまえに授ける」と告げたそうな。


 ほほおぉぉ・・どうりで山門や堂の正面に、龍の彫り物が有ったのかぁ。

 権兵衛どんは、早速に池の辺を探し・・おそらく池の中にもザルを持って飛び込んで探した事でしょうなぁ。

 そんな苦労したかいが有って、とうとう一寸八分の像を見つけました。


 人間、何事もあきらめずに信念・執念を持って探せば、小さい物でも見つける事ができるのでしょう、一寸八分なんて、6センチほどの大きさでっせぇ。

 ジサマは大喜びして、きっと赤飯を炊いて近所の人達にも配って祝い、さらに信心深いジサマは10倍の一尺八寸の像を刻み、黄金像を胎内仏として入れて拝んでたそうです。

 そしたら再び龍神様が夢に現れましてのおぅ・・「真観清浄なれば福唐損ならず(この意味を知ってるカシコイ人が居たら教えてね)」と告げて去りましたとさ・・めでたし、めでたし。」


 「真福寺」を出る時に旧道を歩いていたら、あの看板に気付かず、また「出現の池」石碑を見つけていても、読まずに大した事が無いと思って見逃していたかもしれまへん。

 これも竜神様と正観音様の思し召しと、お慈悲の賜りと思ひ・・・ナモナモナモ・・ナモナモ・・・・

 なお昔は、この「出現の池」は本当はもっと大きかったらしいですが、バイパス道路で潰されちゃったらしいです・・もったいない事をしたなぁ。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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