H21.6.16 巡礼 H22.8.14 UP
「越後33観音霊場」の15番札所「千蔵院」は長岡市内にあり、なんせ始めての場所だから、地図を何度も確認しながら行くと、広い車道沿いに、白い塀のそれらしい所が有り、おまけに観光バスも止まってます。
それかな?・・と思ったらそれでした。
観光バスが居ると言うことは、珍しくも団体参拝客が来てるのかと思い境内に入ると「御詠歌」が聞こえてきます。
堂前に靴が脱いであり、たいていの場合は靴等は乱雑に脱ぎ捨ててあるもんですが、割とキチンと脱いであり、こおいうのを見ると、この団体を率いる先達さんの指導なのか、日頃の行いかわかりませんが、団体の質がわかります。
、堂内では白いハッピの背中に「南無観世音菩薩」と書いてある団体さんが、座って御詠歌を唱えており、ゆっくりした「ポク・・ポク・・」というカスタネット?の音に合わせて唱えるオババ達の歌声は、年を取っていても素晴らしいソプラノの合唱で、年齢を感じさせない良いものでした。
背負っていた荷物を階段の脇に置き、しばし近くの日陰で御詠歌を聞き、「・・・観音のぉ~・・・」と唱えてるのを聞き、うん観音さんも聞き惚れているかもしれんなぁ。
帰ってネットで、この御詠歌を調べましたが、この千蔵院の御詠歌ではないよおで、何の御詠歌だったのだろ?
オババ達の御詠歌が終わり、堂から出て行くのを待って堂内に入ると、まだ線香の臭いが残っており、坊さんが蝋燭の火を消して回っています。
そお言えば、この越後三十三観音霊場を巡っていて、線香の臭いを嗅ぎ、経のようなものを聞いた事は今まで一度も無く、この「千蔵院」で初めてのような気がして久しぶりに思う。
尺八を袋から出していると、坊さんが何か?と聞いて来たので「献笛させてもらいます」と言ったが、「ケンテキ」という意味がわからなかったようなので「尺八を吹かせてもらいます」と言ったら納得してくれ、三曲吹いたがここは響きが良かった。
尺八参拝が終わって堂内を見ると「仏教童話絵本」というのが有り「この寺の住職が絵と文を書いたオリジナル本です」と書いてあった。
サラッと眺めると「いかだの喩え」(後記)というのが有り、その内容は知っていたので、へええぇぇ・・・原始仏教に属する、そんな難しい内容の事を書いてるんだと感心した。
その冊子の隣に有った「さとりへの道順」というのを手に取り、その場でタダ読みしてみると、うん・・なかなか分かり易い書き方をしてありますが、ただ小さい子供に読み聞かせても、書いてある意味・内容がわかるかなぁ。
むしろ大人が読んだ方が良いかもしれんが、興味を持ってない人が読んでも、意味・内容がわかっても「ふぅ~ん」で終わってしまうかもしれない。
こおいうタグイの本は、何かに迷い苦しんでる時に、迷ってる該当箇所に絡んだ事が記載されていると、もんのすごく心にガツゥ~ンと来て、そおいう意味だったのかと、わかるん事が多い。
堂の外に出て、デジカメで写真を撮ろうとウロついてたら、作務衣を着ていたもんだから参拝者が寺の人と間違って会釈されちまった。
旅人が道に迷いながら旅をしてた時に、大きな川の畔に出て向こう岸へ渡りたいと思い、浅瀬を探しましたが見つからず、そこで苦労して木や枝を集めて「いかだ」を作り、それで川を渡りました。
旅人は苦労して作ったこの「いかだ」が有れば、この先に川が有っても簡単に渡る事が出来ると思い、その「いかだ」を大切に担いで、ずうっ~・・と荒野や砂漠を通り旅を続けました。
さて、皆の衆・・・この旅人は、カシコイ人なのでしょうか?
そおですわなぁ、川が無い所を重い「いかだ」を担いで行くなんてアホですわなぁ。 新しい川と出会ったら、そこでまた「いかだ」を作ればええじゃありまへんか。
荒野や砂漠を旅する時には、それに応じた必要な道具も要るでしょうに・・・
お釈迦さんは、この喩え話しで「一つの経・教え(=「いかだ」)だけに頼るな。場合によっては、その経・教えを捨てる事も必要だ」と説いたらしかった。
これに関する詳しい解説を知りたい方は、そこらの寺へ行って、ヒマそうにしている坊主に聞いてください。
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