H21.8.19 巡礼 H22.11.20 UP
「寺泊」を歩いてると日蓮さんの銅像が有り、大きく手を振り上げて横断歩道を渡る時の手本見せており、さすが名を残す人は違い、エライでんなぁ。
その後ろにチッコイ堂が「硯水の井戸」で、日蓮さんが手紙書く時に硯に用いた清水らしい。
中を覗いて見ると井戸に蓋がしてあり、通常の一般人は、習字のために水を汲んでマネしようとしてもアカンようです。
ちなみに日蓮さんが佐渡へ流される時、ここに滞在したらしく、信者の人にすれば霊地でしょうなぁ。
さらに少し歩くと「聚感園」という公園があり、元「五十嵐家」だったそうで、義経主従が一時ここで休ませてもらい、弁慶がヒマだから庭の隅に井戸を掘った云われがあります。
寺泊の街並みが終わる頃、北国街道へ進む「野積」と、これから行く越後33観音霊場の21番札所「吉田寺」へ行く別れ道があり、チラッと調べた所、この札所「吉田寺」を経て弥彦方面への道は、北国街道の裏街道だったらしい。
「野積」付近から山越えしてドエレエ目に遭うよりも、距離的にそんなに違わないと思う平坦な山麓を迂回して通る方が楽チンだと思うが、何でこの道が裏街道になったんだろう?・・だれか知ってるカシコイ人、教えてね。
いかにも旧道らしい雰囲気の薄暗い所に、彼岸花の一種と思われる花が山斜面に生えており、四国でも彼岸花が一面に咲いていたのを思い出した。
「渡部」集落内をフラフラ歩いてると、道端にお地蔵さんがあるなぁ・・と思いながら行きかけた時、ひょっとしたらこれが越後33観音霊場の目的地21番札所「吉田寺」ではないか?と思い、石柱を確認するとしっかり「越後観音霊場」と書いてあります。
地図の予定では、もっと先の方をクイッと左の道へ入る予定でだったが、あやうく見逃す所で、側には吉田寺の案内図が書いてあり、どおやらここが本当の入口らしい。
石柱を入ってすぐに、それらしい立派な門が道の横にあり、ここから寺へ入るのかな?と思いましたが、普通の民家のような気する。
石柱からの道は古い石階段が続いており、先程の案内図に杉並木のような物も書いてあるので、そのまままっすぐに進みましたが、あの案内図が無かったら、その民家のような家へ入って行ったろおなぁ。
薄暗い墓の側を通ると21番札所「吉田寺」境内に出ました。
庫裡のガラス窓を掃除しているオバハンに挨拶して「本堂へ入って良いか?」と聞くと、わざわざ扉を開けて説明してくれます・・・すんまへんねぇ、この忙しい最中に・・。
吉田寺・本堂内には、珍しく閻魔大王様以下が奉ってあり、後ろ手に縛られた人形が「罪の天秤計」に乗せられてます。
σ(*_*)の場合は罪がどれ位の重さになるかなぁ、多分、天秤が傾いたままで、なかなか水平にならんじゃろなぁ。
ところで、巡礼用の納札をパソコンで作って今回から使用し、表に「奉納越後霊場巡拝」と願意・年月日、裏に「尺八献曲名」と「遍照の響き」と印刷し、吹いた曲名を書く事にしました。
納札を入れる箱が有れば、そこに入れるつもりでしたが、賽銭箱の隣に三宝が有り、そこに奉納経などが置いてあったので、その上に置きましたが、それも無かったら賽銭箱に入れるつもりでした。
室内は蒸し暑く、それでも後ろの扉から外風が時々入って少し涼しかった。
尺八参拝が終わって境内の写真を撮ってると、さきほどのオバハンが来て、丁寧に三つ指ついてお礼を言ってくれます。
話しが長くなるかなぁ・・と思ったら、やっぱり長くなり、ホントは次の札所寺もやる予定なので、あんまりユックリできないのだけど・・。
「聞いていて、こおいう言い方をしても良いのか、わかりませんが・・・哀しそうな音というか、サミシイ音というか・・・・哀愁の有る曲で本当に心にシミジミとしました」
うんうん、このような感想を言ってもらえると、もんのすごく嬉しく、なんせσ(*_*)が尺八を吹く時は、自分の今までの人生の悲哀を全て注ぎ込んで吹いてるつもりで、今までずいぶんカワイソーな人生を送って来たのだから・・・。
話は少し変わりますが、σ(*_*)の尺八の師匠が大戦中に中国に居た時、宴会の席上で尺八を吹いてると、その場に居た芸者さんの一人が突然「止めてください」と叫んで部屋を出て行きました。
師は興覚めして尺八を止めましたが、後でその芸者さんが来て「尺八の音を聞き、遠く離れた故郷の父を想い出して、たまらず思わずあのような事を言ってしまいました。」と丁寧に詫びたそうです。
話を戻して・・・「どこかの舞台でも、演奏されるのですか?」
「いえ、どこからもお呼びが無く、全くしてません。(^O^)ナハハハ・・・」
「あらあぁ・・でも、舞台で演奏されるよりも、このように一般の人が身近で聞けるように巡られてるのは良い事ですね」
うむぅ・・このオバハンは、現在の邦楽界の急所をズバリ突いたと思う。
舞台や定期演奏会などでは、聞く方にすれば伝統の重さという先入感で始めから身構えており、世間一般の人達にすれば決してそれが身近になったと思わず、演奏者の自己満足だけの結果に終わってしまうような気がする。
普段の何気ない生活の一端において、ふと・・どこからともなく邦楽あるいは尺八の音等が聞こえてこないと・・・、そおならない限り普通の人からは、いつまでたっても敷居が高いモノに見られると思う。
オバハンが言った「一般の人が身近に聞ける・・」という言葉は、常日頃思っていた事なので、これも、もんのすごく嬉しかった。
「テレビなどで尺八等を聞く事ありますが、現代風の曲は今ひとつあれで・・・やっぱし昔ながら(曲)の方が良いですね。
父が昔、尺八やっていましたが、それ以来初めて聞いて当時を思い出しました。
今ではこのような昔の尺八を吹く人が珍しいと思いますが、ほとんど居ないのじゃないですか?」
「いえ、居ますよ、ただあんまり多くないですが・・でも私より上手な人は、沢山居ますよ。」
「そおですか、以前、瞽女の「春山ハツ?」の孫弟子に当たる人が二人来て演奏していかれましたが、あれも良かったですよ。」
後日(平成21.9.15付「新潟日報」)新聞に、その二人が満願した記事と写真が載っており、それによると白装束で車で巡りながら2年かかったよおです。
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