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 北国街道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  H21.8.20 巡礼   H22.12.22 UP


北国街道沿いと「良寛」托鉢範囲/越後33観音霊場・只一人(景清寺)

矢垂橋の良寛

「樋曽」衛星センター、「越後33観音霊場」只一人・紀行文  大通川放水路、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   「福井集落、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「岩室」集落を抜けると、やがて川近くに衛生センターの公園の手前に石仏があり、草むらの奥まった所だったのですが、そこへ行くまでの間、草が刈ってありました。

 さすが北国街道・・この石仏も昔から旅人を見守っていたのでしょう。

 公園の東屋で一休み・・ツカレタアァ~・・・ベンチの側に水飲み場があったので、そこで顔をザブザブと洗った。 矢垂橋の良寛碑、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 一休みしながらベンチより次の目的地方向を見ると、山の中腹付近に寺の屋根のような物が見え、越後33観音霊場の札所寺「景清寺」かと思い、あそこまで上るのか・・キツイなぁ・・と思ったが、結果的には、そこではなかった。

 「福井」集落手前で、道端に庭石みたいのがゴロゴロ置いてあり、側に案内看板が有ったので「庭石販売」のタグイの宣伝かと思って読んでみると、「矢垂橋の良寛碑」で、良寛さんが国上山からこの付近まで托鉢の縄張りにしていたと書いてあります。 「福井」集落、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 σ(*_*)が今朝9時半頃に国上山の麓から歩き始め、途中で弥彦神社などの寄り道して歩き、現在4時頃。

 距離的にこの付近まで単に歩いて来るだけならば良いが、良寛さんが村々を巡って托鉢しながら国上山までの日帰りはちとキツイかもしれん。

 「矢垂橋」というのが有るのかと付近を見渡したが見当たらず、たぶんその頃には橋が有って、その下で良寛さんが野宿したかもしれまへんなぁ。茶屋地蔵、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 句の意味は「橋に来た時、雨が降ってるのに日が照ってるという不思議な天気だ」らしく、どうせならば涙が出るほどのカワイソーな野宿の句も作ってくれれば良かったのにぃ。

 「福井」集落に入ると、今時珍しい茅葺き屋根の家が有るなぁ・・と思ったら「旧庄屋 佐藤家」の立杭が有り、ホンマやったら寄って見たかったのだが、ぼちぼち夕暮れが迫ってるので道端から写真を撮るだけにした。

 集落外れに「茶塚地蔵様」の立杭が有り、どこに地蔵様が?と思ったら、すぐ近くの小高い墓場入り口に有る堂が、それらしかったが疲れていたので確かめなかった。

 その場所より、今までの舗装道路が砂利道になり、おぉぉ・・・やっと北国街道の旧道らしくなったじゃん。

平沢清水

北国街道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    「平沢」付近のゴルフ場、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   平沢清水、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 しばらく行くとゴルフ場に入り、打ち放しの場所では、道に向かって球を打つようになっており、道沿いにはネットが張って有ります。

 たぶんゴルフボールは道行く人に当たらないとは思うが、それでも歩いてる人にしてみれば、ボールが飛んで来て、あんまりいい気持ちではない・・プレーしてる人はいなかったが・・・。

 そのまま進むと、完全にゴルフ場の芝生を突っ切る道になっており、これ・・ホンマに入って行っていいの?・・、どっかから「ゴルラ゛ァ~・・小汚いモンがゴルフ場敷地に勝手に入るんじゃねぇ」という声が飛んで来ないかとハラハラしながら通りました。

 ここでは3人連れがゴルフのプレーしており、その一人が珍しいモンが歩いてるなぁ・・という感じでこっちをズゥッ~と見ております。

 σ(*_*)はゴルフなんてやった事がないし興味も無かったが、プレヤーが空振りして失敗しねぇかなぁ、大声で笑ってやるのにぃ・・と思いながら、ゴルファーを見ながら歩いた。平沢清水、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 ゴルフ場を過ぎると、すぐに東屋のような物が見え「平沢清水」の由来も書いてあり、この付近を整備した時に石器時代の斧が出て来たので、石器時代の人もこの清水を飲んでたと思われる。

 また平家の部下がここを通った時に愛馬が倒れ、目的地と同じ「平沢」という地名だったので、これも何かの「縁」と楓の木を植えて庵を造ったらしいが、その楓と庵は、どの辺だったのか、わからんかった。

 東屋の中に石組みした所に水溜まりがあり、コンコンと清水が湧き出でる・・というほどでは無く、水面ではアメンボウが2匹ほど遊んでおり、「オタマジャクシ」が住んでる水は飲めると聞いてたが、アメンボが遊んでるのは、どおなんじゃろ?

 水汲み容器が有り、柱には「生で飲まないよう、一度沸かして使用する事」と注意書きが有り、生で飲んで腹痛起こしても責任を取らないよ・・というタグイの物だと思って、注意書きを無視してアメンボウをシッシッ・・と追い払って飲んでみましたが、別に何ともありまへんでした。

 生きてるうちに、何でも試して経験しとかないとね。

24番「景清寺」

景清寺・入口、「越後33観音霊場」只一人・紀行文   景清寺、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    景清寺・納札、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 「平沢」集落に入り、越後33観音霊場の24番札所「景清寺」の場所を、前もって人に聞いておく方が間違いが無いので、だれでもええから見つけしだい聞くつもりでいたら、ちょうど家から出て来たオバハンがいました。

 「景清寺はどこでしょうか?」と聞くと「すぐそこを曲がった所だ」と教えてくれ、ホンマにすぐ隣を曲がった所に有り、角には景清寺の門柱があります。

 景清寺は思ったより小さく、本堂の戸が閉まっており、呼び鈴の側に「ご用の方は、このベルを押してください」と貼ってありますが、σ(*_*)の参拝位で、わざわざ呼び鈴を押して本堂を開けさせるのも悪いと思い、賽銭箱も見当たらないので、戸の前に納札を置き、その上に賽銭を置き、そのまま尺八参拝しました。景清寺・ベンチ、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 景清寺を出て少し行くと分かれ道が有ります。

 どちらの方向か?と思って地図を見ながら道を確認していると、ちょうど家の前で友達と別れてバイバイしたばかりの小学生位の女の子が、家に入らずσ(*_*)の姿を不審そうにジイッ~と見ています。

 よっぽど、その子に聞こうかと思ったのですが、ふと道端に「北国街道」の立杭を見つけたので、女の子に聞かなくてすみました。

 なんせ笠と杖を持った、今時には珍しいカッコウしとるので、もし女の子に声を掛けて人さらいか不審者と思われて大声で泣き出され、近所の人達に取り囲まれ、犬に吠えられながら、説明するヒマもなく憲兵隊に引き渡されちまったら、ドエライ事だもんねぇ。

「山の神」と「弘法清水」

 バス停「弘法清水前」、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    北国街道、「越後33観音霊場」只一人・紀行文    「稲島」集落、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 柿畑の道を歩いてると山側に「山の神案内図」と書いた、錆びて色褪せした良く読めない案内看板があります。弘法清水、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 読みにくい字を無理して読むと「竹野町に昔から民族伝承行事として山の神の祭りがある。
 それはこの山頂に祀ってある虚空菩薩信仰と思われる。この山は”地蔵さま山”とされて毎年3月9日に地元の人達が山での安全の作業を祈ってお祭りを続けている。」
と書いてあります。

 虚空菩薩ならば仏さんで、神様とは違うのでは・・と、足りない頭で、しばし愚考したが、知恵熱が出たらアカンので、それ以上は考えなかった。弘法清水、「越後33観音霊場」只一人・紀行文

 その近くに「弘法清水」が有るらしいが、北国街道沿いの道端に有ると思っていたので注意しながら歩いてたのですが、看板も案内図も無く「稲島」集落まで来てしまった。

 どこで行き過ぎちまったのかわからず、後になって車で探して見つけましたが、場所は「山の神」の看板が有った近くの四つ角を「運動公園」方向へ200mほど横道に入った所でした。

 案内地図などには、そのような事が書いて無く、絵図面を見ただけでは北国街道の脇に有るように見え、だれか、そのスジのエライ人、一言説明を付け加えて直しておいてね。

 云われは、良くある内容で村人の親切に報いて杖で清水を出したというもので、水量は「平沢清水」よりもコンコンと湧き出ていました。
 


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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