H22.6.6 巡礼 H23.1.22 UP
新潟空港の近くなので国道から飛行機の発着が見れるかと思ったのですが、人家等のため空港内が見えません。
それでも、やっと少しだけ金網越しに見えましたが、思ったより空港が小さいですなぁ。
もうすぐ阿賀野川で松浜橋が見えるという付近に公園があり、木陰にベンチが有り、荷物を置いてボオッ~と休んでいると眠たくなり、15分ほどそのまま横になって昼寝をしましたが、気持ち良かったなぁ。
時間に捕らわれず、眠たいときにはコロンと寝て・・・こおいうのを「旅の醍醐味」ちゅうのかもしれん。
知らない人が見たら、小汚いホームレスが寝ていると思ったかもしれんが・・・。
阿賀野川の松浜橋を渡ってると、飛行機が上空を旋回して着陸態勢に入ったので、橋の上から口を空けて着陸するのを見てました。
なんせ飛行機にはまだ一度も乗った事がなく、またあんまり見る機会の無い所に住んでるイナカモンです。
飛行機という空飛ぶ機械なんて珍しいモンを見たと、イナカへ帰って近所・親戚・五人組等を呼んで土産話してやらにゃアカンと思いましてなぁ。
ひょっとしたら川にポチャンと落っこちるんじゃねえかと心配して見ていたが、ちゃんと着陸しおった。
松浜町のコンビニで一休みして、「神谷内」集落の旧道と思われる道を歩きました。
地図を眺めると、以前に歩いた「角田」~「内野」間のように、単なる砂浜畑だけの一本道かなぁ・・と思ってたら、やはり予想通りの風景です。
歩いてると、道端のタバコ畑の脇に、手で指し示す形を彫って「安古左衛門 遺跡」と書いてある石標が斜めになりながら立っています。
ボケエッ~と歩いてたら、単なる境界杭かと思って見過ごしてしまってたと思う。
手で示してる方向にはタバコ畑しかなく、石標の周囲を見ても説明書きも、何時頃立てられたのかも彫ってないのでわかりまへん。
帰ってネットで調べてみると、「安古左衛門」伝説というのがありました。
その他には安古左衛門さんはこの付近の長者で、義経伝説とも係わっており、義経を捕まえようとしたら逆に追い散らされたとか、飼ってた馬が言うことを聞かなかったが、義経の言うことを聞いて動いたとか・・という話しも有るらしい。
「安古左衛門」の下に「舊蹟」という難しい漢字が書いてありましたが、恥ずかしながら無学なモンなので、何と読むのかわからず「遺跡」という字に似ていたので、ここはゴマかして写真では「遺跡」にしてありますが、上記ネットによると「きゅうせき」と読むらしい。
砂浜畑の道をさらに歩いてると、珍しい事に案内看板が有り「サンベ(山辺)」と書いてその説明がしてありました。
それによると、今まで歩いて来た道の右側はタンボになっていますが、昔は胎内川だったらしく、それをタンボにすると泥深くて、耕す時に牛が埋まってしまうほどっだったそうな。
そお言われてみれば、小さい川筋に沿って、そこだけタンボになっており、左側は畑になってるような気がする。勉強になるなぁ。
新潟医療福祉大学の校舎脇をテクテク・・島見町・郊外付近で真っ直ぐに行く道が有るが、地図には記載されていまへん。
ふうむぅ・・まっすぐ行った方が近そうなのだが・・・でも道が無くなっていたら、引き返さにゃアカンからなぁ。
ふとみれば近くの草むらで何か採っているオバハンが居るので、声を掛けて聞いてみると、まっすぐの道でも行けるとの事でした。
何を採ってるのかと思って、手を見るとワラビだった。
あらあぁぁ・・この付近ではまだワラビが出ているんだねぇ、σ(*_*)なんか先月、馬に食わせるほどギョウサン採ったでぇ。
ついでに「太郎代の観音」の場所を聞くと「「ケミカル」という看板がある工場の細い横道を入れば良い」と教えてくれ、これは聞いて置いて良かった。
太郎代の付近は工場団地のよおで「ケミカル」の看板を目当てに歩きました。
もっとも「ケミカル」の看板まで行くと「太郎代観音」と書いた看板は出ていたが、それでも会社名がわかってると、遠くからでも目標までの距離感がつかめます。