H22.6.11 巡礼 H23.3.9 UP
新発田市に有る「越後33観音霊場」の28番札所「白蓮寺」は、近所によぉ~似た寺も有るので、わかりにくいかもしれない。
たぶん、この付近と思うコンビニから、見当を付けた白蓮寺が有るらしき方向をグルッと見渡すと道沿いに墓が見えます。
墓が有るからには、近くに寺が有る可能性が有ると思い、更に探すと寺の屋根が見えたので、その方向へ向かって歩いたら正解だった。
入口に石仏が置いてあり、境内に入ると丁度、住職が車の前に居たので挨拶をして、本堂が開くかと聞くと「今、孫を送りに行く予定だが・・」と言うので、見ると車の側に男子高校生がいます。
それでも、さすが本職に目覚めたのか、急いで家に入り本堂を開けてくれようとしたので「あっ、いいです。待ちますので送ってあげて下さい。」
「すまないねぇ、すぐに帰ってくるから」と言って孫を車に入れて走り去りました。
本当は、それほど信心が無いので、どうしても堂内に入りたいという気持ちが無く、本堂が開いてようが閉まってようが構わなかったのですが、寺の人が居るので一応聞くのが礼儀かなぁ~・・と思ったので、ついつい住職に忙しい思いをさせちまった。
しばし待ってると車が戻って来て、住職が本堂の戸を開けてくれ、こおいう所には必ず有る「賽銭箱」が有りまへん。
側で控えてる住職に「賽銭は、どこへ入れましょうか?」
「あっ、そこのボランティアの箱に入れて下さい」
へえぇぇ・・珍しいなぁ、今時、本堂に賽銭箱が無い寺なんて・・普通ならば、何とか賽銭を稼ごうとして、新品の石仏の前にも賽銭箱を置くのが、この業界の常識なのにぃ・・。
正座して尺八を袋から取り出す時、住職も側に座っていたので「あっ、勝手に参拝しますので、そちらで御用が有るならば、されていても結構ですよ」と言うと、庫裡の方へ行きました。
なんせσ(*_*)の参拝時間は15分ほどかかって、普通の人より長いからなぁ。
その間、正座してると足もシビレるだろおし・・途中でチッコもしたくなる時も有るだろおし・・飽きて眠たくなるだろおし・・やらなければならない仕事も気にかかるだろおし・・・
途中で席を立つと、σ(*_*)に失礼かもしれんと気兼ねしちまうかもしれんし・・聞いてる方としても、こんな自己満足でやってる参拝に長い時間、付き合わされたらイヤになり「早く終われ」と思うじゃろおなぁ。
二曲吹き終わると、後ろから「いい音色ですねぇ」と声が掛かり、振り返ると見知らぬトッツアンが本堂入口に立っていました。
寺の人かと思ったら近所の人で、尺八の音が聞こえたので来たそうで、吹いていた曲名を尋ねます。
寺で参拝する時は、いつも「手向」「阿字観」の二曲を吹いており、気分が乗って時間が有る時は他の曲も続けて吹く事が有り、神社の時は「阿字観」の代わりに「心月」を吹く事も有ります。
もっとも疲れてる時は「手向」だけでカンベンさせてもらってるが・・
トッツアンも20年前、他の地方で琴古流を5年ほどやっていたそうですが、ここ新発田では尺八をやっている人が居ないので最近は吹いてないそおです。
そおかぁ・・長岡・新潟付近ならば尺八をやってる人が居るのだが、新発田市近辺では居ないのか。
持っていた尺八を渡して、吹いてみるように勧めましたが、持つだけで吹こうとはせず、尺八の長さを聞きます。
もっと尺八の話しをしたかったのですが、トッツアンはこれから仕事に出る時間らしく少し話をしただけでした。
「越後33観音霊場」を巡っていて、初めて尺八をやってた人と出会い、これは四国霊場を巡って以来、初めてでした。
打ち合わせをして出会うのではなく、このように全くの「偶然の出会い」の方がロマンが有って面白いと思い、今回は参拝してた時の尺八の音が、存在を知らせる「呼び笛」的の役割を果たしたのですねぇ。
これからの霊場巡りでも、そのような「縁」が有れば良いんだが、滅多に無いじゃろなぁ。
なんせ尺八を吹く人の絶対数が少ないから、なかなか現れないと思う。
ちなみに尺八曲で虚無僧が出会う時に「呼笛」というのが有り、それに対する「応笛」「答笛」「受笛」(どれが正式名であるかわかりません)が有るそおですが、σ(*_*)は知らず、そのうち機会が有ればCD聞いて覚えたいとは思う。
尺八の手入れをして片づけ、賽銭箱が無いので納札をどこに置こうかと思ってたら、住職が来たので尋ねると「どこか、そこらに・・」
まさか畳の上に置いておくわけにもいかんし、ボランティアの箱に入れるわけにもいかんので、坊さんが座る正面の机の上に置いておいた。
それにしても普通ならば、どんな寺でもデカイ賽銭箱を、デエェ~ンと真ん中に置くのに、ホンマに珍しいなぁ。
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