H23.5.19 巡礼 H23.6.25 UP
「越後明暗寺跡」への行程は、結願寺である33番寺へ行くのに、わざわざ遠回りして行く事になります。
越後明暗寺跡へ寄ると距離が伸びてしまい、歩く疲れ具合等を考えると33番寺へ行くまでギリギリ限界の距離だったので、計画当初より越後明暗寺跡へ寄るか、止めるかと迷っていました。
五十嵐神社を止めて明暗寺へ行く事も考えましたが、五十嵐神社もどうしても初回巡礼の時は外したくない場所でした。
さんざん迷いましたが、そこはやっぱり尺八をやってる者としては、越後明暗寺跡が近くに在る事を知っていながら、知らないフリして通り過ぎる事はできまへんなぁ。
これからの老い先短い人生を、趣味として可能な限り尺八を携えながら全国各地の霊場を遍路・巡礼をして歩きたいと思っており、その行為動機の一つでもある尺八と縁の有る場所です。
近くまで来たならば、たとえ虚無僧曲をそれらしくマネしているだけのニセ尺八吹きであっても、チラッとでも寄り、ニセモンはニセ者なりに恥ずかしそうに挨拶するのが礼儀だと思いました。
越後明暗寺跡へ近づくと、前回に来た時よりもアッサリと明るい雰囲気・・というよりも繁っていたと思われる木が無くなってます。
後で当時の写真と比べると、墓地の中に有った大きな杉の木が一本無くなっており、その木が無いだけでもコロッと雰囲気が違ってくるんですねぇ。
それと共に「虚無僧碑」の後ろに有った、読みにくい「越後明暗寺跡」の説明看板も無くなってました。
そんなこんなでアッサリした雰囲気になったためか、「越後明暗寺跡」の建物は以前よりも目立つよになったと思う。
また道路側の建物壁に「明暗寺 歴代座主墓碑」と書いた看板が貼り付けてあり、入口には以前は室内に置いてあったと思う表札が掛かってます。
と言い、おぉぉ・・そお言われて見ると、目の前の墓にシッカリ書いてあるでねぇか。
今まで墓の名前をマトモに読んだ事が無かったから、気がつかなかが、「わかりまへんなぁ」と答えるしかなく、だれか知ってたら教えてね。
「(賽銭箱に書いてある「秀峰山」を見て)あの山は、どこに有るんかね?」
「あっ、あれはですねぇ。 実在する山の名ではなく、お寺には山号と言って山の名前を最初に付けるらしいです。」
「ほほおぉぉ・・するってぇと秀峰山が「姓」で、明暗寺が「名前」という、「姓」と「名」の関係なのかな。」
おぉぉ・・さすがジサマ、年の功だけ有って言うことが上手いでんなぁ。
近所でも尺八をやってる人が少し居るというので、明暗寺関係の人かと思って聞くと、あんまり詳しい事はわからないが、そうではなく民謡のような事やってるらしい。
うむうぅ・・せっかく虚無僧関係の「地の利」に恵まれているのに、古典尺八を教えてくれる人が居なかったら、それまでなのか。
地元復興で全国に名を売るならば、この地で古典尺八の会を復興すれば除々に人が来るようになると思うのだが・・
ジサマが作業に戻るため堂から出て行ったので、二曲吹きました。
話していて思ったのですが、地元の人でもこの明暗寺跡については、ほとんど何も知らなく伝わっていないのが以外で、世間に伝わってない面白い話し等を期待したのだけれど、σ(*_*)のわずかばかりの知識の方が良く知ってた事になる。
今回は巡礼の途中だったので、記念に納札をどこかに貼るか置きたかったが場所が無く、よほど賽銭箱に入れようかとも思った。
しかし、どうせならば千社札ではないが、どこかに貼りたく、何かのお礼が1枚画鋲で貼って在る板が有り、場所的にそこへ貼れると良いのだが、余分な画鋲が無くて貼れません。
室内をウロウロ探し、壁の隙間に納札を挟んでおきましたが、今度ここへ来るのは、いつの日かな?
それまで納札が残っていれば良いが、けっこう湿気が有る場所だから、納札がクタッ~と曲がったり、汚くカビて捨てられてるかもしれない。
昼前でしたが、地図を見るとこの先では日陰が無いように思ったので、ここで昼食にしました。
食べ終わって、ノートをじっくり見直すと、長岡市の人が1ケ月に一度位の割で来る、熱心な人も居るよおです。
以下、広告です。
どんどん絵を描くことが好きになる!! 楽しく学んで、どんどん上達 上西先生の水彩画教室⇒詳細はこちら |