HOME > 遍路・巡礼 > 西国33観音霊場「地図と目次」 >  51 生 野


 「天空の城」列車、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文 巡礼日 2016.6.2   掲載日 2017.1.17


生野より倭文神社へ/西国33観音霊場・徒歩巡礼記

「竹田城」列車、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文   「生野」街並み、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文     旧生野警察署、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 生野駅ホームに居た時に、列車が入って来ても別に気にもしなかったのですが、列車をチラッと見た時には、最初はゴチャゴチャと絵が描いてあり、何かわからなかったりです。生野トンネル付近、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 しかし「天空の城」とか「竹田城」の字が描いてあり、それを見て、おぉぉ・・・そお言えば、この先には「竹田城」が有り「天空の城」と話題になってる所だったと改めて気づきました。

 マニアらしい人も列車を撮影しており、自分もジックリと写真を撮ろうと思ってたら、列車はサッサと出発しちまっい、あらら・・・。「円山」付近、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 生野駅を7時前に出発して、「生野」街並みを歩いてると、昔ながらの古い家屋が有り、親切な事に説明看板が設置されています。

 明治時代に作られた、西洋風の「旧生野警察署」も保存されており情緒が有ります。

 街外れにある「生野トンネル」付近の道がゴチャゴチャしており、わかるかなぁ・・と思ってましたが標識が有り、無事に通り抜けれました。

「円山」付近、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文     「円山」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    「円山」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文
「円山」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    「円山」集落・倭文神社、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    円山」川、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 「円山」集落外れに有る「倭文神社」で一休み。「円山」集落・倭文神社・狛犬、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 狛犬の一つは、小さい子獅子を抱えており「オラトコのカワイイ小獅子に近寄るんじゃねぇ」と口を開けて威嚇しており、小獅子も「こわいよ~」と泣いてるよおです。

 倭文神社・境内はアッサリしたもんで村社という感じですが、説明看板を読むと「式内社」に入っており歴史があるよおです。

 ちなみに「倭文神社」は「わふみ」と読むのかと思ってたら「いもん(神社本庁)」と読むのと「しどり(説明板でのフリガナ)」と二通りあるようで、勉強になりますなぁ。

 1713年に社殿を修繕した時、前を流れる円山川を鮭が遡って来たので、村人は喜び別名「鮭の宮」と言われるようになったらしく、しかし日本海から、ここまで遡って来る鮭もタイヘンだったろうなぁ。

 歩くのでさえも何日もかかるんだから・・よく途中で捕まらずに、ここまで来たもんだ、エライ・エライ・・。

「岩津」集落・観音橋、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    「岩津」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    「岩津」集落・漆喰の窓形式、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 「岩津」の観音橋から高台に小さい堂が見えたので、それが橋の云われとなった観音堂かと思っていましたが、後で駅のポスターを見て川の上流に「岩屋観音」が有ったよおです。

 写真を見るとかなり大きそうな堂で、ポスターになる位なので有名な観音堂だったのでしょう。

 「岩津」付近の二階窓は漆喰で縁飾りがしてあり、「竹田」付近まで、そのような窓が多かったので、この付近独特なのでしょうか。

 普通ならば漆喰なんて芸の細かい事しないで、そのま柱を見せて済ますのですが・・・

 気になってネットで調べてみると「大津壁」「大壁造り」とか言われてるらしいが確証がありませんので、だれか知ってたら教えてね。

「岩津」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文    「岩津」集落、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文     「元津」付近、歩き巡礼「西国33観音霊場」紀行文

 道の駅「フレッシュあさご」が見える地蔵堂の腰掛で一休み。

 こおいう堂の腰掛は、旅人にとっては何の気遣いもいらな良い休み場になり、さすが昔の人の知恵だと思う。


 八幡山ピラミッド、「西国33観音霊場」徒歩巡礼記←前頁「八幡山ピラミッド」へ   次頁「大道芸」へ→大道芸、「西国33観音霊場」徒歩巡礼記


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


以下、広告です。