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水坂峠、西国33観音霊場記 2019/3/19 巡礼


水坂峠の「高島トレイル」/西国33観音霊場記

水坂トンネルと旧道、西国33観音霊場記   水坂峠への旧道、西国33観音霊場記   水坂トンネル上より、西国33観音霊場記

 国道の「水坂トンネル」を通らない、旧道の「水坂峠」越えは、トレイルンネルが出来ているから自動車が通らないだろおと思っていたが、それでも4・5台通って行きました。

 それほど急坂でもない「水坂峠」を越えて少し歩くと、山際に「高島トレイル」の標識と登山届箱と思われる物が設置され、近くに「二ノ谷山登山口」の標識杭が有ります。水坂峠へ、西国33観音霊場記

 「高島トレイル」って何じゃ?と思ったが、たぶん最近流行っている登山関係のハイカラな呼び方だろおと思う。

 これを書いてる時に調べてみると「全長約80kmの福井県から滋賀県の分水領の連なる尾根を結ぶ登山道」らしかった。

 そいでもってハイカラな「トレイル」というのは「未舗装道路」という意味らしい。

 これとよぉ~似た言葉に「オルレ」と言うのがあり、これはユスリ・タカリの国、韓国・済州島発祥の「道から家に通じる狭い路地」と言う意味らしい。

 九州地方では「何とかオルレ」というコースを幾つか作られているらしく、ネットを拝見すると風景にマッチしない原色の赤・青色の標識・目印やハングル文字も所々に書かれているらしく、かなり不評のよおです。

 そりゃあぁ~、そおですわなぁ・・何が悲しゅうて、せっかく気分良くハイキングしてる時に、見たくもないハングル文字を見なければアカンのか。高島トレイル・標識、西国33観音霊場記

 自分ならば、例え景色の良い近場であっても絶対に、そんな気分の悪い場所へ行こうとは思わない。

 しかも韓国へ「オルレ」ブランド使用料として年100万円を払っているというウワサが有り、たかが名前を使用するのに韓国へ金を払う位ならば、そのまま日本語の「散歩道」でも良いのにぃ。

 最初に「高島トレイル」という標識を見た時は「オルレ」と勘違いして、ここも韓国に侵略されたのか、なげかわしい事だと涙にくれようとしていました。

 その他に「トレッキング」という単語も有り、これは「山頂を目指す登山と違って、山頂にこだわらない山歩き」という意味らしく、「トレイル」のおかげで、ずいぶんハイカラな単語を勉強した。

「金比羅宮と庚申塚」説明看板、西国33観音霊場記 金比羅宮、西国33観音霊場記

 少し歩くと、「金毘羅宮と庚申塚」と題した大きな説明看板が有り、近くの谷を見ると鳥居と祠が見え、そへ行く道は崩れており行けなかった。

 看板の文面を読むと谷沿いに旧道の鯖街道が有ったように思うが、もう崩れて歩けないだろなぁ。

弁天宮、西国33観音霊場記   「保坂」集落、西国33観音霊場記   「保坂」集落の家並み、西国33観音霊場記

 さらに少し行くと、やはり谷川に神社が見え、これが看板に書いてあった「弁天宮」のよおです。

 その近くに一軒の民家と車道が見え、「保坂」集落へ続く旧街道かもしれん・・・と思いましたが、わさわざ車道から「弁天宮」へ下りて違っていたら戻るのが大変と思い下りませんでした。

 しかし、そこで「弁天宮」へ下りておけば良かった・・一軒だけの民家かと思ったら、その先にも数件有り、続けて昔の街道らしい雰囲気の町並みが車道から見え、あちゃあぁぁ・・・今更戻るのもなぁ。

「今津」から来たアンチャン、西国33観音霊場記   「保坂」集落の家、西国33観音霊場記   「保坂」集落・三叉路、西国33観音霊場記

 そのまま車道を歩いて「保坂」集落の三叉路近くで、向こうから歩いて来るアンチャン人が居たので、声を掛けて少し話をした。

 「今津」から2時間半かかって、ここまで来たそうで、今までけっこう他の街道を歩いてる。

 今津へ向かうこの先の国道は、車道に歩道が無く、旧道のトンネルをかわす道は閉鎖されてたので、全て国道を歩いて来たそうな。

 「国道に歩道が無いのがオトロシイなぁ」と言うと、「白線を歩いてれば車が避けてくれる、東海道を歩いた時は人家と車の間が狭く、そちらの方が怖かった。」

 アンチャンと分かれて「保坂」集落を改めて見ると、実に情緒のある雰囲気で惜しい事をした。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「阿字観」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


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