HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 4 山里の春
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12番「焼山寺」の宿坊に泊まる事にしていたので、納経所で聞くと裏の方が宿坊だと教えられ、行って案内を乞うと遠くで話し声が聞こえますが、忙しいのかだれも出てきません。
何度も声を掛けると、やがて廊下を歩いて来たトッツアンが来たので宿坊の人かと思ったら宿泊客だった ダハハ・・(^_^;)
話は違いますが山登りした後、この焼山寺境内に有る売店でウドンを食べると、うまいでんなぁ・・・なんか、ホッとします。
夕方まで時間があるので「奥の院」へ行き、途中に「大蛇封じ込めの岩」があり、さらに登った所に有った祠が「奥の院」かと思ったら違っており、もっと尾根づたいに行きます。
大きな木が倒れとるのを乗り越え、山頂にある堂が奥の院でした。
春先で焼山寺の宿坊はまだ寒く、部屋にはコタツが有り、食事はお膳で運んで来てくれます。
朝のご飯が余ったら、それで握り飯を作って昼飯を浮かそうと、ケチな考え持ってたんだけど余らなかった・・チエッ・・・。
寺の宿坊では早朝の「勤行」というもんが有って、宿泊客は呼び集められ一緒にお勤めせにゃアカンと聞いてました。
朝何時まで集まれという「おふれ」も無かったし・・寒いし・・どおでもいいや・・と知らん顔してコタツに入ってズルし、後で他の宿泊客に聞いても、やっぱり無かったらしい。
焼山寺から急な山道をドドドッ・・・と降りると「杖杉庵」へは早いでんなぁ。
梅の花が満開の小道(一番上の写真)を、これまたドドドッ・・と降りると麓の「鍋岩」に着きます。
玉ケ峠へ向かって山道を登り、車道に出てすぐ頂上の曲がり角に庵があります。
いつもこの庵の縁側で一休みしており、ここを通る人達もきっと休んでた事でしょう。
休んでいると、地元の老夫婦が軽トラに乗って庵の掃除をしに来たので話しをしました。
この庵の横に有る水道の水は、大師様が水を出したと伝説が有る。
以前、ここで泊まった者が、庵内の仏様を盗んだので囲いをした。
昔、近所の人が遍路を泊めて送り出したら、その日のうちに自殺してしまい、警察から泊まった時の様子等を聞かれ「別に変わった様子もなく」と答えたが大変だった・・・等々・・
玉ケ峠の庵を出発して、なだらかな曲がりくねった車道を下りて行くと、遠くに遥かなる山々が見え、あぁ・・けっこう高地を歩いてるんだなぁ。
一巡の時にここを歩いてると、作業してたジサマが接待すると言って、家の中のバサマに声をかけ、お餅とジュースくれ、この場所で休み、貰った餅をたべたなぁ・・と次々想い出されます。
地図に載ってない「鏡石大師」という看板が道端に建っており、道を下りて行くと大きな杉の木と小さなお堂があります。
たまに遍路も寄るようで、雨ざらしに遭った数枚の納め札が入ってました。
普通なら13番「大日寺」へ行くのですが、番外の「童学寺」へ寄るため車道をテクテク歩き、一山越えると遍路標識に「トンネル工事で遍路道が遮断されたため、そのまま車道を降りて寺へ行くように」と書いてあります。
そおいえば来る途中、立派な道が横を走っており、まだ開通しとらんようだったその道が真下に見えます。
このまま車道を行くと遠回りになっちまうんで、まだ開通しとらん眼下の車道の斜面を、草木に掴まりながら無理矢理に下りて堂学寺へ行きました。
堂学寺の人と話をすると、「開通式が数日後にあり新トンネルを通ってくれば早かったのに・・」と言われた
話してる時に寺の飼い犬がキャンコラ・キャンコラ・・吠えながら来て、蹴飛ばしたい気持ちをグッと我慢して無視しとると、やがて向こうへ行きました。
堂学寺はけっこう広くキリシタン灯籠とか立派な庭等が有り見応えがあります。
夕暮れ近くベンチで休んでいると、20才ぐらいのアベックが来て水子地蔵の前に線香と蝋燭を立て、長い間寄り添ってたたずんでいました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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