HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 6 慈眼寺へ
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私の兄が数日間、四国へ遊びに来たいと言うので、おぉぉ・・・それは、それは結構な事で・・・・
ワシらは遍路のカッコウしてホッツキ歩いておるが、こおいう機会も滅多にねぇし・・・・、話の種にも一応遍路のカッコウして歩くのも、ええ思い出になるんでねぇか?と、そそのかしました。
「それも、そうだな」とアッサリ了解したので、杖・笠・白衣 の三点セットを揃えてやりました。
この兄は一族内でも、σ(*_*)以上に信心のカケラも無いヤツと見られている部類に入っており、遍路も単なる観光旅行と完全に割り切ってます。
白衣を着せてやると「チット待て、背中に何が書いてあるんじゃ・・こんなモン着て町中を歩くのカッコ悪い、いやじゃ」とゴネますが、「何言っとるんじゃ、せっかく高い金出して買ったのに・・」と無理矢理に着せ・・笠かぶせ・・杖を持たせました。
最初は元気よく越後屋と談笑しながら歩いてますが、フッフッフッ・・・その元気良い足取りが、いつまで続くかな?
笑って歩いておれるのも、今のうちじゃ・・(^O^)カッカッカッ・・・
途中にあるスーパーのベンチで一休みして、「苺のパック」を買い食べました。
一巡の時にこのスーパーで休んだ後、1kmほど歩いた所でハッ!!・・とリュックが無いのに気が付き、リュックを担ぐのを忘れたのを思い出して取りに戻った所です。
ボケエッ~と歩いてると、こんなボケミスも、しちまうんですなぁ・・・
あの時は歩いていても、何か背中が軽いなぁ・・と思ったんだよね・・あん時の往復2kmの道のりは長かったなぁ。
暑い盛りで、きつかったなぁ・・泣きたかったなぁ・・・泣かんかったけど・・その日は18番「恩山寺」から19番「立江寺」まで歩きました。
一巡時に「立江寺」に来た時は寺で葬式をやっており、大師堂で参拝が終わり、ふと堂のガラス戸内を見ると棺があって遺族の人がすぐ目の前で私の尺八を吹いてるのを見ていたらしく、目と目が合ってビックリした事があります。
次の日は小雨模様でしたが慈眼寺へ行きました。
春なのにまだ寒く、「横瀬橋」の橋下で雨宿りし、寒さに震えながらスーパーで買った貧しい昼飯を食べてると、家族にも見捨てられて帰る家も無い遍路のような気持ちになり、侘びしい気持ちになりまんなぁ。
河川敷から見る山々は雨雲に隠れてます。
やっぱり行くのを、止めときゃ良かったかなぁ・・
しかし、もう慈眼寺の宿坊に予約しちゃったからなぁ・・
トボトボ・・と雨の車道を歩き、「坂本駐在所」の車置き場で断りもなく勝手に雨宿りさせてもらい・・・また・・トボトボ・・・
途中よりミカン畑みたい所を一気に登り、山道を上がり車道に出ると「慈眼寺」とマジックで書いた標識が立ってます。
ズブ濡れになりながら、やっとの事で慈眼寺に着き、部屋に案内され・・・ん?・・丹前とか浴衣は無いの?
はい・・必要だと言ったら、しっかり一人分300円取られました。
宿泊客は私達3人と、オバチャン先達に率いられた、やっぱし箸が転んでも大喜びするような、オバチャン団体10人ほどの一組でした。
夕食を食堂のテーブルで食べてると、オバチャン達も来て、ご飯をよそいながら突然に「一粒のお米にも・・どおたら・・こおたら・・」と言いながら用意し始めます。
次の朝食の時も、卵をかき混ぜながら言ってたけど・・・
よぉ~わからんが、そおいうモンは皆の食事準備が出来て心を落ち着け、いざ食べ始める寸前に揃って唱えるものでねぇのかなあ。
最初に聞いた時は、突然いったい何事が始まったんじゃと、ビックリしちまい持ってた茶碗を落としそうになっちまったでぇ。
まぁ・・オレらは、そんな教育を受けとらん育ちで、そおいう血筋の人とはちがうから、文句言えんけど・・
食事後、部屋でその事が話題になった時、兄が「さっき先達のオバチャンに廊下で会った時、ジロッと胡散臭そうな奴という目で睨まれた」と言いつけます。
うん・・兄は信心とは全く無縁な風に見られてもしかたねえからなぁ。
それでもあの先達は、ワシにはキチンと挨拶したでぇ・・・ (^_^;)
あの先達に対しては、他のオバチャン達が傍目で見ても、どえれぇ気を使っておるのがわかります。
翌日出発時に廊下でウロついていたバスの運転手に、ソオッ~と聞いてみると「某県では力を持っている先達で、自分も、もんのすごく気を使ってるんだ」と言います。
ふぅ~ん・・どんな力やろか?
霊能力でも有るんかな?
それとも単なる先達という地位が高いだけなのかな?
朝の勤行が有るので行ってみると、先達のオバチャンが一人だけ先に来て、デエ~ェンと坊さんが座る真後ろに座布団を敷いて、他のオバチャン達が来るのを待ってます。
こおいう場合、真ん前に座らず少し横の場に座るとかして、他の人のために座を譲る配慮を示すもんだがなぁ。
この先達さん、オバチャン達に先達の責務として、どおいう事を指導するんだろう?
ま・・いいけど・・・オレっちは横だろうが、後だろうが、隅っこだろおが、廊下だろうが・・信心も無く義理で勤行に出てるんだから、寒くなかったら、どこでもええんです。
慈眼寺に「穴禅定」というのがあり、3人で3千円払い教えられた通りの山道を行くと行場に着き、朝早かったためか案内のバサマが少し遅れて来て、行場の本堂で参拝させられました。
聞けばここが本当の本堂らしく、寺のは本堂と違うらしいですなぁ。
どおりで昨夜、寺の本堂のキンピカに光っとるデッカイ仏さんの前で尺八吹いた時に、
長い時間吹いても、どうも今一つ気が乗らねぇなぁ・・響きも良くなねぇなぁ・・、
こんだけの由緒正しい、古い寺なのに・・・おかしいなぁ・・と思ってたんだよねえ・・・自分のウデを棚に上げて(^O^)
穴禅定の中は狭いと聞いてたので、尺八は持って入れないだろうと思い寺に置いてきちまった・・・・失敗したなぁ。
本堂の前でバサマは「先達さんは、誰?」と聞いて木魚のカスタネットみたい物を渡します。
だれも、やりたそうな顔しないので、しょうがねえから、オレが先達の役をする事にし、越後屋にカスタネットを渡し、おごそかに「般若心経」を唱え・・・久しぶりやなぁ、経を唱えるのも・・・(^_^;)
兄はそんな気が全然無いから、そこらをウロつき写真撮ってます。
本堂から少し離れた山斜面に有る、鉄の階段梯子を上って、入口で蝋燭を一本ずつ渡され洞内に入リました。
ウワサ通り内部は狭く、一人々がバサマの言うとおり、「左足から入れて右肩を持ち上げて滑り込む・・」というような指示を受けながら洞内を進みます。
やがて奥に到着したらしく蝋燭立てが有り、ここで「何か願い事があるなら、蝋燭一本、○円です。」と言われたが、顔を見回しても信心が足りん顔ばっかしとるので、代表して「我等一同、特に何の願いもございません。」と言いました。
バサマはアッサリと了解し蝋燭に火を点けながら「家内安全・・なんとか・かんとか・・」と適当に願い事を見繕って言ってくれ、もう一度「般若心経」を唱えさせられました。
うん、ここなら尺八吹いたら響いて良いやろなぁ、ほんまに持って来りゃあえかった。
出口へ戻る途中、穴の中で団体が入って来るのと鉢合い、団体の足下に有る別の穴を這いずり回り、やっと外に出ました。
よぉ~、こんな洞窟を昔の人は見つけたと思う。
他の観光地化されとる洞穴とは違い、信心の無い兄も「来たかいがある場所だ」と言ってました。
慈眼寺を出て昨日登って来た道を戻り、車道の分かれ道から「灌頂の滝」へ行きますが、兄は「疲れるからここで待ってる。カンベンしてくれ」と言うので、「さよか」と待たせるつもりでしたが結局付いて来ました。
この滝は「老遍路」から午前10時頃に行けば、滝飛沫で大きな虹が見えると聞いており楽しみにしてたのですが、水量が少なく晴れていたのに虹は見えませんでした。
行場らしく炭跡もあり、しばらくするとバサマが一人で、ヨッコラ・・・ヨッコラ・・・登って来ます。
何気なく「この車道をそのまま下って麓の集落まで行くのと、遍路道を行くのと、時間的にどうだろうか?」と聞いたら
「遍路道は、もう歩いとる人もおらんやろうし・・道も無いかもしれん・・」と言いましたが、気を取り直したように「私も麓の村へ行くので、遍路道を一緒に行ってあげましょう。今日は亡くなったジサマの命日で、これも何かの御縁でしょう。」と言ってくれます。
あわてて「昨日その遍路道を歩いて慈眼寺まで行ったので、道はわかりますので結構です。」と丁寧にお断りしたのですが、それでも「わかりにくいですから・・」と、どおしても命日と絡めて同行したい素振りです。
短い距離なら同行しても良かったのですが、麓の村まで結構な距離が有り、バサマの歩き具合から一緒に歩くと夕方までかかっちまうんでねぇかと思い、丁寧に失礼になんらんように感謝の言葉を述べながらお断りしました。すんまへん・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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