HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」>7 星の下で
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星の岩屋~卍20
「星谷寺」近くの大きな川にかかる橋の付近に、駐車場とトイレがあるので、そこでテント張って野宿しました。
着いた時には、近所の高校生らしいのが4・5人ほどバイクにまたがって話しており、胡散臭そうにこちらを見て、ガン飛ばして来ます。
あんらあぁ~、モメにゃええが・・自然に「こんちわあぁ~」と声かけると、向こうも挨拶を返して来て・・ホッ・・(^_^;)
「星谷寺」を尋ねると、よぉ~わからんらしく「星の岩屋」の事かと聞き返したり「明日は鶴林寺か?」とも聞いて来ます。
うん・・別に怖がる事もねぇな、普通じゃ。
世間じゃ今時の若い衆は、「宇宙人と同じ」と言われとるが、話してみりゃあ、普通のアンチャン達じゃ。
兄はここで待つと言うので、越後屋と星谷寺へ行きましたが場所がよぉ~わかりません。
道ばたで立ち話しとったオバチャンに聞くと、わざわざ連れて行ってくれ、地図の場所が間違ってました。
野宿場では夜空の星の下、ヒマなのでベンチで尺八を吹いたり、久々に会った兄と積もる話をしました。
その時、「庵の坊さん」から聞いた話をして、今の仏教は間違ってとると言うと
「そんな事ねぇ。今まで数百年も永々と続いて来た仏教じゃ。
もし間違っているなら、だれかが正しておるはずじゃ。」
「それがのおぅ・・江戸幕府がキリスト教弾圧のため檀家制度を作っちまったんだわ。
そのお陰で寺は修行せんでも、なあぁ~もせんでも金が入ってくるようになり、一般庶民も寺にニラマレると、こいつは異教徒じゃと言われたら困るので、寺の言う事は何でも「ハイハイ・・」と言う事を聞くようになり・・・
徳川幕府が倒れても、スリコミ現象ちゅうもんはオトロシイもんで、一般庶民がする寺への扱いは、昔のまんま・・・(^O^)
寺はそれにアグラをかいて、さらに欲深く葬式やら法要やらで、しこたま儲けとるんじゃ。
お釈迦様は、そんな事しろと一言も言ってねえよ。(^O^)」
「それじゃあ、詐欺じゃねぇか」
「そおじゃ詐欺じゃ・・フッフッフ・・寺院屋、お主もワルよのおぅ・・
無知な庶民をたぶらかしおって・・(^O^)カッカッカッ・・・」
「実家で父が毎朝、仏壇で経を唱えとるのも間違っておるんか?」
「そおじゃ。経の意味もわからず仏壇に向かって経を唱えても何もならん。
ただ、もう老いて年とっとるから言ってもアカンだろうと思い、父もそれが正しい仏教じゃと信じきっており、可哀想だから、あえて言わず黙ってる。
オレの言った事が正しいか、今度法要があった時に寺の坊さんに聞いてみなせぇ。
坊さん、気分を害するかもしんれから、その覚悟があったらね・・(^O^)ダハハハ・・・ 」
兄が衝撃を受けた気持ちは、よぉ~わかります。
ワシも「庵の坊さん」に言われた時は、「まさか、そんな事が・・・」と思い信じられませんでした。
その次に「それが本当ならば今までの坊主共は、なんで黙っておったんじゃ、ダマされた。」という、既成仏教への猛烈なる怒りでした。
たぶん仏教界では、「わかりやすい方便なのだ」と言って逃げるでしょう。
本当の事を知らせる努力もせずに・・・。
「庵の坊さん」から話を聞いて以来、参拝方法をどうしょうか・・・とホンマに悩み、遍路する意義も有るんじゃろおうか・・・と・・歩きながら考えました。
なんせ信心は無くとも、他人がやってる参拝の仕方が正しいと思ってたのに、それを全否定されちまったもんだから、何を頼りに参拝すれば良いのか・・・・こおやってみると、ワシもマジメな人間なんじゃなぁ。
もう寺で経を唱える気持ちは無くなり、越後屋に聞くと悩みながらも「今まで通りのやり方で参拝する」と言います。
以後、私は今日に至るまで経を唱えず、尺八だけを吹奏する事にしており、今振り返ってもこの選択は正解だったと思ってます。
翌日は晴れ・・・「星の岩屋」へ行きました。
ええとこでんなぁ・・滝の水量が、やっぱり少なかったのが残念だったけど・・・。
それから20番鶴林寺へ「ヒーコラ・・」言いながら山登り。
一巡の時、この鶴林寺で会った歩き遍路と、同日に偶然にも野宿場所で再び会った時に「鶴林寺・大師堂で尺八を聞いた時、ほんとは先を急いでおり、曲の途中で一度は荷物を担いだのですが、最後まで曲を聞きたくなって荷物を降ろして聞いていた。」と言われた事があります。
鶴林寺・宿坊横の遍路道からは、ガアッ~と下り坂。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、
聞いて頂ければ泣いて喜びます。
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