HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 9 チョコレート
H15/2/8 up
「阿部御水大師」へ行くのに、阿波福井駅近くの踏切を越えて少し行った所で、どちらへ行こうかと、もう迷っちまった。
あんまり人が行かない「阿部御水大師」のためか、頼りの遍路標識や遍路札はぶら下がってません。
地図を確認すると川に沿って行くようなので、自分を信じて行きましたが、これが正解で「四国の道」と一致しております。
それほど高くない山を一つ越えて車道に出て、また山越えの道を行くと、始めて遍路札がぶら下がっており、しかも少し離れた所にも、もう1枚・・。
わざわざ近くに2枚も取り付けてくれたのは、そこがT字路なので、逆打ちの人のため、わざわざ2枚も付けてくれていたのだと思います。
今これを書いてるのは3巡目、逆打ちの途中ですが、こういう配慮は助かります。
逆打ちは難しいと言われますが、2度目の順打ちの時に次の3巡目は逆打ちするつもりでしたので、入り口・別れ道の所では、振り返って、その地形・特徴を覚えるようにしており、今のところ大きな間違いはしておりません。
また町中では昔の「へんろ石」の手の指差す絵柄が、逆打ちの時には、もんのすごく助かります。
この山に掛かっていた遍路札は、同じ日付で別々の名前だったので二人の人が一緒に歩かれたのでしょう。
阿部集落に入り、神社を上がった横の道を進み、車道に出て「伊座利」方向へ行くと、「御水大師」の大きい看板がかかった滝場があり、少し下がった所に本堂が有ります。
参拝が終わって元来た道を阿部集落に戻り、「へんろマーク」に従って人家の密集した狭い路地へ行くと、突き当たりの家付近から車道に登る山道があります。
ただ、この道はあまり人が通ってないらしく荒れて小さい草木が生えており、歩いてもたいした距離ではなく、道らしいとわかるので見当付けて歩けば迷わず行けると思いますが、それがイヤだったら阿部集落から車道を 大回りしなきゃアキマヘン。
遍路道を上がると「鹿の首岬」がすぐに有り、雄大な太平洋が見渡せます・・スゴイでっせぇ。
山の中腹の車道をテクテク・・・車は、ほとんど通りません・・・はい・・人家も有りまへん。
向こうの山側に道が見え・・・まさかあそこまで行くんじゃねえだろなぁ、カンベンしてくれぇ。
はい、向こうの山まで大回りして「潮吹岩」まで行きます。
橋でも有ればすぐなのに・・・高知県宇佐の横浪三里と同じでんなぁ・・(^O^)
救急車のピーポー音が遠くに聞こえてきましたが、横を通過して走り去るまで10分ほどかかりました。
テクテク・・・テクテク・・・・振り返ると、対岸に今歩いて来た道が見えます
私が四国遍路を思い立ったのは、別に深い信心があったわけでもなく、たまたま転勤で四国の地に赴任する事になり、せっかく来たんだから車で、かの有名な四国88箇所巡りでもやってみっかぁ。
何かの話しの種にもなるやろうし、一巡したら人様からも真人間になったねぇと誉められるかもしれん・・という不純な動機と観光目的で、決して信心が有ったわけでは有りません。
車で巡った時、88番「大窪寺」で歩き遍路のジサマが「記念写真を撮りたいので、カメラのシャッターを押してくれ」と頼まれ、始めて歩き遍路とゆっくり話す機会がありました。
それまでも時々、歩いてる人を見ましたが、「たいへんやのおぅ・・」「コンジョ有るのおぅ・・・」「何か悲しい出来事でもあったんやろか」と思う程度でした。
それが、このジサマの話しを聞くと「2年かかって区切りながら歩き通した」と言うのです。
それを聞いて、あっ!!・・何も、どおしても一度で続けて巡らんでも良いんだ。
そんなの有りなんだ・・と目からウロコが・ポトッ・・・・!(^^)!
その時は尺八吹きながら車一巡していたので、その後も車で巡ろうか・・・しかし、それも今一つ味気ないなぁ・・でも、歩いて巡るのもキツそうだしなぁ・・・・と迷ってたんです。
しかし、このジサマでさえ区切りながら年月をかけて歩き通したんじゃから、コンジョの足りんσ(*_*)でも何とかなるかもしれん。
どおしてもアカンかったら 途中でも止めりゃええんじゃ。
人に聞かれたら「やっぱし、アカンかったなぁ・・・」と笑ってゴマかせ・・ダハハハ・・・と、「遍路」という単語から想像される、「悲壮感」とか「絶望感」「孤独感」という単語とは全く無縁の、軟弱な考えで歩き遍路を始めたのです。
今思い出しても、最初の歩き一巡目は一歩一歩が不安感の連続でした。
一度、車で巡っていたので、だいたいの地理地形はわかっていても、途中の道筋は地図だけが頼りで、暗くなって迷子になったら人さらいが出て来るかもしれんとか・・・全くの手探り状態。
しかし、一巡目が見るもの聞くもの全てが一番新鮮で、感動も多かった気がします。
二巡目は、エラソーなマジメな事を言いますが、自分の「心の内面」を見つめ直し続けて歩きました。
三巡目は、退職後は尺八吹きながらホッツキ歩き、どっかで野垂れ死んじゃうのが理想やなぁ・・と思いながら歩きました。(^O^)
テクテク・・・「由岐」に着き、綺麗な砂浜「田井の浜」では、ワザと砂浜を歩きます。
「木岐」近くの村落を通った時、自転車の荷台にクワ等の農具を縛りつけていたジサマに「こんちわー」と声をかけて通り過ぎました。
ジサマは、自転車に乗って追い越して行きましたが、すぐに止まります。
なんじゃ?何か忘れモンでもしたんかな?
自転車降りて、なんか探してるでぇ・・
歩きながら近寄づき通り過ぎようとすると、ジサマがポケットを探りながら呼び止め「今、何も無く、これしかないけど・・」と言って、チョコレート粒を数個づつ掌の上に置いてくれます。
私は何気なく接待を受けたのですが、越後屋が歩きながら「このチョコレートは、きっとジサマがこれから農作業をして一休みする時に食べるつもりで、家から持って来た「おやつ」の全てだったのだろうね。」とポツンと言いました。
それを聞いた時に、ジサマは歩いてる遍路を見て、自分で出来る何か精一杯のお接待をしようと思ってチョコレートをくれたのに初めて気付きました。
それからは、自分にはこのチョコレートを受け取る資格があるのだろうか・・自分は、ただ単に遍路のカッコウして、信仰心も無くホッツキ歩いてるだけなのに・・と考え思いながら何度も自問いして歩き続けてると、不覚にも涙が滲み出てしかたがありません。
10年以上歩き続けてる職業遍路Kさんは接待を受ける時に、接待する人が何を思い、どのような気持ちで接待するのか、「接待する人の気持ちを知れ」と言います。
テレビで有名人が四国遍路をして接待を受けるのを放映されますが、そおいうのを見るたびに、接待を誤解して簡単にモノをくれる習慣だと思う人が、また出て来るだろなぁ・・と思う。
「恵比寿洞」から「日和佐」まで、海亀が産卵に来る広い大きな砂浜が見える頃、薬王寺の宝塔が小さく見えます。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。