HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 11 出会いの縁
H15/2/22up
一巡の時、牟岐駅前の食堂に入ると、店のバサマが飛んで来て 「杖を洗わせてくんなせぇ・・」とワシラの杖を取り上げます。
「とんでも、ごぜえません。もったいない・・」と言っとる間に、洗ってタオルで拭きながら返しに来ます。
聞けばこのバサマは車遍路しており、遍路が店に来ると杖を洗うのが楽しみだとか・・
すんまへんねぇ・・ワシなんか自分で杖なんか洗った事もねえ、信仰心の足りんバチ当たりなモンなのに・・
食事後に出発すると牟岐警察署の前にテントが張ってあり、「お遍路さん、休んでいきませんか」と書いてあり、バサマの所で食事して来たところなんですが、せっかくですので休ませてもらいました。
コーヒーやら、お茶等・・・反射タスキも置いてあり、ありがとうごぜえます。
トンネル内は暗く、車が走り回っており、たとえ歩道があっても危ないので、私も自分の存在を示すため杖に、ゴッテリ反射テープを巻いております。
話しは少し飛びますが愛媛県を遍路していた時、某駅で野宿する遍路と話をして地図を見せてもらうと、寺の通夜堂・野宿可能場所や善根宿・接待で泊めてくれそうな所が一杯印が付いてます。
パラパラと見ていると鯖大師の箇所に「人を見るようだ」と書き込みがしてありました。
「これはだれが書いたのか?」と聞くと、自分で書き込みをし「泊めて欲しい」と言ったら「うちは、有料の宿泊しかありません」と断られたのだと言います。
歩き遍路だからタダで泊まれる・・泊めてもらえて当然・・・その考えが、自分でも気がつかないうちに出ていたのでしょう。
以前「老遍路」と話をしていた時、日本一周中のアンチャンが通りかかり話しに加わりました。
話しの最後にアンチャンが「この辺で野宿場所はないか?」と尋ね、老遍路は親切に数カ所の野宿場所を教えた後で「私は、今たいへんな罪を犯してるかもしけない」とポツリと言います。
親切に教えたのに、何で罪になるんだろう?と思って尋ねると
「今、君に野宿場所を教えたがために、君は脇目もふらずその場所に向かうだろう。
もし私が教えなかった場合、君は他のだれかと出会った人に野宿場所を尋ねながら探し歩いたでしょう。
その時に出会った人が、君が本来出会うべきはずの素晴らしき良き「出会いの縁」が有った人かもしれない。
その場合、私は君に野宿場所を教えたがために、その良き「出会いの縁」を奪った事になり罪を犯した事になる。」
さらに続けて
「自分が歩いてる時に、心では先を急いでいても、何故かユックリしてしまう事がある。
また反対にユックリしていようと思っても、何故か先を急いでしまう事がある。
その時は何故かわからないが、それは出会うべき時に、出会うべき場所で、出会うべ人に出会うように天が時間調整し配置したものである。
あぁ・・この人と出会うために、急ぎあるいはユックリしていたのかと、後でわかる時が来る。
そのように今、苦しい事や困難な事があっても、それは天が配した、来るべきすばらしき出会いのための大いなる布石の一つと思いなさい。」
と言って「出会いの縁」というものを教えてくれました。
ちと難しい話で、わかりにくいかもしれませんが、以来、私は遍路中に出会って心に残る事が有った場合は、いつもこれを思い出します。
この人と出会うために、あのような事が有ったのだ・・・この人と話しをするために、あのような時間調整が有ったのだ。
三巡時、鯖大師の護摩堂で5時近くに参拝し終わり、外に出ると堂前のベンチに先程まで居なかった20才ぐらいの3人の若者がションボリ座っており、声を掛けると今日はここで野宿すると言います。
通夜堂を頼んでみたのかと聞くと「今はやっていない」と言われたというので、そおじゃろなぁ。
まぁ・・ここでも良いが、他の野宿候補地も教えてやろうと思い地図を出すように言うと、すかさず「善根宿ですか?」と目を輝かせて聞くので思わずキツイ調子で
「善根宿や通夜堂を当てにしたり頼ったりするな!!
君達は四国へ来れば、タダで泊まれて食べ物も貰えると聞いて来たんだろう。」
と言うと、これがまた素直に、アッサリ「うん」とうなづくんですわ・・・。(^_^;)
そこで前記の「老遍路」から聞いた「出会いの縁」というものを、かいつまんで教え、遍路とはこのように出会いの縁を求めるものだとエラソーに説教した後
「金が無いのか?」と聞くと「持っているが、野宿体験をしたいので・・」
「それなら、それでケッコウだ。
これから先は長いが、決して善根宿や通夜堂を当てにしたり頼ったりするな。
野宿をしていてキツク感じたり、具合が悪くなった時は、金を持っているならば民宿等に泊まれ。
それは決して(野宿していても)恥ずかしい事ではない。」
「はい・・」とうなづきます・・えれぇ素直な子達やなぁ・・・(^_^)v
まだ幼さが残ってるような子達で・・オラとこの子と同じ年くらいやのおう。
そこで、近くに大砂海岸があり自分は海岸まで降りていないため、野宿に適するかわからないが海水浴場なので何かの施設があるかもしれないと教えました。
最後に「ありがとうございました」と礼を言うので、こっちも「元気でな」と言い別れました。
「出会いの縁」という立場から見れば、遅く護摩堂へ着いたため住職より「後10分で閉める」と言われたので1曲で止めるつもりでしたが、無意識にギリギリ時間一杯までねばって2曲吹いたのは、きっとこの若者達と話すためだったのかもしれません。
実は、ここに着いた時、50年輩の夫婦連れがベンチで休んでおり話しを聞くと、昨夜は善根宿で泊まり、今日は近くの民宿で泊まると言ってましたが、たぶん、この夫婦連れも通夜堂を当てに来たのだと思います。
見れば白装束に身を固めた完全なお遍路スタイルで、お金に困っている様子でもなく、無料の宿泊施設が有れば、それを利用してタダで遍路しようという気配が感じられます。
分別の有る大人でさえも、このように善根宿・通夜堂を当てにするんですから、そりゃあ若いアンチャン達もタダで四国を遍路出来ると考えるのも当然やろおなぁ・・・(-_-;)σ
現在このような意識で遍路する人が非常に多くなり、ジワり・・ジワリ・・・・と大きく表面化し始め、問題になりかかっております。
その原因の一端はマスコミにも責任が有ると思い、有名人が寺の住職と話をしたり、接待や善根宿などをテレビや本で紹介してます。
しかし、それは有名な人達やマスコミだからこそ可能であり、また絵になるように一部の良い所だけをピックアップして放映したり本になっているのです。
ワシのような名も無い遍路から見ると、「そりゃあぁ~・・有名な、あぁた方だからこそ、そおいう事が出来たり、やってくれたりしてくれるんですよ。
無名のワシらに、そんな事まで、やってくれるはずが無いでしょうがあぁ」とヒガンで見ますわなぁ・・・(^_^;)。
なぁ~も知らん普通一般の人達は「ほほぉぉ・・四国はそんな、ええとこか・・それなら、ついでに遍路したら接待や善根宿・通夜堂を利用すりば安く四国旅行が出来るかもしれん」と思うでしょう。
確かに四国は、ええとこです。
でも、そのような考えで来る人達が大勢になった場合、善根宿や通夜堂の受け入れ側はどうなるでしょう。
善根宿・通夜堂は、どのような性格で出来たのか・・・決して旅費を浮かすために出来たものでは無いと思う。
私はこのような場合、なるべく寺名を明かさないのですが、鯖大師さんも信念を持ってやっておられると思い、私も支持しますので、あえて寺名を書きました。
「修行の道場」に入る手前の第一関門として、甘い考えを直す機会になればと思います。
野宿する人には、野宿場所の情報を人情として教えてあげたい気持ちは、よぉ~わかります。
駅とかバス停・公園等は良いとしても、寺の通夜堂や接待宿までを最初から全部書き込んで教えてしまうのは、いかがなもんじゃろか?・・それは最初から「出会いの縁」をつぶしているように思う。
宍喰の手前付近に「旧土佐街道」という看板がかかっており歩いてみました。
遍路道の地図に載ってないためか、あんまり人が通った感じはしません。
歩いてると途中で鉄道線路とぶつかり、線路を跨いで行かにゃアカンのか・・それとも線路の下に鉄橋みたいな空間が有るからそれを潜って行くんかと迷いましたが、下を潜って行くようです。
昔の街道と言っても遍路道と変わらんなぁ・・もっと大きい道かと思った。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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