HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第一章「目次」 > 3 宿 命
H16/5/13 UP
大興寺の駐車場では、よぉ~勝手に黙って断りもなく車野宿させてもらい、夜になると灯りもなく真っ暗になって、車の通りも少なく車中泊には良かったです。
三巡の時、大興寺で尺八吹いてると、寺で飼ってるらしい犬が、尺八に合わせて家の方から遠吠えをし始め、尺八の低い音を聞いて、仲間の犬の声と思ったんやろおか?
犬が遠吠えの合奏をしてくれたのは始めてです(^_^;)
この大興寺から次の観音寺へ行く道が、よぉ~わからず迷い、大興寺の前を流れる川に沿って歩くと、やがて地元の集会所の有る四つ角に来ます。
ここを左へ行くガードレールが見える道を行けば良いのですが、たいていの人は、わからないもんで、車が通ってる右の道へ向かって歩いてるようですなぁ。
次にぶつかった車道からの遍路道の入り口が、これまたわからず、見当を付けて、わからんままにタンボの畦道を歩き周り、やっとこさ道がわかりました。
他の遍路に聞いても、ここの箇所は、やっぱし迷ったと言います。
朝早いので、通学の児童が通り過ぎ挨拶して行きます。
5人ほどの低学年のグループが「キャッ・キャッ・・」言いながら通り過ぎ、記念にカメラを向けると無邪気にポーズを取ってくれました。
観音寺駅で休んだ時に駅のタクシーの運転手さんに「もうかりまっかあ?」と聞くと、「いや、さっぱりじゃあなぁ。あんた方のように、最近歩く人が多くなったもんだから、サッパリですわ」
「それは、それは・・・でも、足痛めたらタクシーを呼びますので、そん時はお願いしますだ。」
「あぁぁ・・そおしてくりやぁ・・」と笑いながら話ました。
観音寺の山門から上がる階段の頂上に、一匹の首輪を付けた犬が座ってました。
吠えたり噛みついたりしないかと思ったのですが、大人しく座っており、たまに遠吠えをします。
越後屋が、さっそく聞き込みをして言うには、「その犬は昨晩のうちに、そこへ捨てられたらしく、寺の人が犬を追い払ってもその場所に必ず戻って来て座り続け、たまに飼い主が居ないか探しに参拝客の間をウロついたり、哀しそうに遠吠えする」
きっと飼い主が「そこで待て」という命令を出し、犬は捨てられた事も知らずに、忠実にその命令を実行し守り続け、飼い主が戻って来るのを、今もひたすら信じて待っているのでしょう。
参拝客で賑わう境内から聞こえる犬の遠吠えは場違いですが、話し・訴える事も出来ず、泣いて涙を流す事さえも出来ない犬の出来る事は、唯一の遠吠えだけ・・・
事情を知ってから、飼い主を待つ犬の遠吠えを聞くと、憐れみを誘いますが、どうする事もできません。
観音寺と神恵院は同じ敷地に有り、神恵院が有った所は境内の階段を登った所に有ったのですが、三巡目に行った時は、そこは廃止され別の所にコンクリートに囲まれた所になってました。
確かに新しい所は反響が良くて、もんのすごく尺八の音が響いたのですが、情緒が無い・・響ければ良いってもんじゃないんだけどなぁ。
二巡の時には、何かわからんもんを作っとるなぁ・・と思ってたのですが、これだったのね。
今はだれも行かなくなった、狭い旧神恵院境内は、昔の賑わいも活気も感じられず閑散と寂れており、旧本堂も旧大師堂も、いかにも魂を抜かれ見捨てられた建物という感じがします。
このまま残しておけば良いのに・・いつか壊されっちまうんだろおなぁ。
そして、ここに昔の神恵院が有った場所だという記憶も、皆から消え去っちまうんだろおなぁ。
本山寺へは広い車道の川沿いの道を行き、しばらくすると川の土手を歩いて行きますが、この道も周りはタンボで、のどかな風景でんなぁ。
一巡時の本山寺、ここにも小さい黒い子犬が捨てられており、近寄ると逃げてしまいます。
付近に住んでるという近所のジサマが、
「毎日エサをやっているのだが、近づくと必ず離れて逃げてしまい、絶対に人の手からエサを食べない。
エサを置いておくと、人が離れた時に、ようやく食べに戻って来る。
それでも最近、ようやく少し慣れて来てエサをやると、かなり近寄っても逃げなくなり、そのうち手からエサを食べるようになったら家へ連れて帰って飼ってやるつもりだ」と話します。
子犬は常に細かく震えており、捨てられてから今まで、よっぽど人間不信に陥るような出来事があったのでしょう。
こんな小さい子犬でも捨てられたという「宿命」を背負い続け、これからも生きてかにゃアカンのかと思うと、やり切れんですなぁ。
ジサマがうまく、手なづけてくれれば、ええんだが・・
そんな話しをしているとジサマが「あんたにあげるモンが有る」と言って懐から分厚い紙封筒を出したので、おぉぉ・・札束でも入ってるのかと思ったら、錦札がゴッテリ入っており1枚くれました。
ジサマ本人が巡ったのか?と聞くと、他の人(車遍路)が巡ったのを預かっており、これぞと思う人に配るよう依頼されてるそうです。
三巡の本山寺へ来た時に、駐車場の電話ボックス前で若い遍路が托鉢しており、そこの横で地元の人らしいオババも並んで立ち、一緒にお経を唱えて托鉢の応援していました。
ほほおぉぉ・・こんなのもアリなんじゃなぁ。
寺から出た時には、オババ達は居なくなっており、代わりに駐車場に頭を丸坊主に剃りあげて黒衣を着た、僧か先達かわからんような者が「歩いてるんか?」と声掛けてきました。
簡単に立ち話して別れましたが、首からブラ下げてる透明ケースには錦札が有るようです。
たぶん錦札を売り付けようとしたんだけど、興味も示さんし、金も持ってなさそうな顔してるから、あきらめたのでしょう。
最近、錦札をアリガタがる参拝者を目当てに、錦札を売り付けてるのが、一番寺と善通寺付近に居るらしいそうです。
後日、遍路仲間でこの話題が出た時、その二人は暴力団関係らしく親分・子分の間柄らしいでんなぁ。
うん、そお言えば荒法師みたいに人相が悪かった。
錦札をチラつかせて、欲しそうな顔すると売りつけるらしく、タダだと思って受け取ると金を要求するらしい。
売りつける者に言わせると「欲しがってる者に売って、何が悪い」という事らしいです。
ううむぅぅ・・そお言えば、透明ケースに錦札を見えないようで見えるように入れており、確かにチラつかせとった。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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