HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第二章「目次」 >5 幼なじみ
H18.3.25 UP
「大山観音」を参拝し、「大山道の駅」からは国道ではなく、海岸沿いの堤防上を歩いてみました。
車も通らず海も見えノンビリ出来て良いでんなぁ、時々、干からびた犬のフンが落ちてるが・・
ボケエッ~と堤防の上を歩いてると、堤防下に小さい公園のようなものが有りましたが、それにしてはブランコやスベリ台が無く、広場に大きい石がゴロンと1個だけ埋まってます。
何じゃろ?と思い、「おい、何かあるでぇ。行ってみよう。」
「アホらしい、行くなら自分一人で行け。待っててやるから。」とつれない返事。
そおなんです、あいつは、そおいうヤツなんです。
先に行かずに「σ(*_*)が戻るのを待っててやる」と言うのが、もんのすごい愛情の現れのように見えます。
しかし、ほんとは面白いモンだったら、後で自分も行くつもりで、ツマランモンだったら行くだけ疲れるから、まずσ(*_*)に行かせて偵察させようと思ってるんです。
堤防から急な階段を降りると、広場の石は何の変哲も無い、そこらの海岸に転がってるような大きな岩が半分ほど埋まっており、周りをグルッと見たけど、やっぱしツマランモンだったかな。
越後屋に「ほれ、見た事か・・」と言われるやろなぁ・・と思い、それでも岩の上に上がれば、何か有るかもしれんとよじ登りました。
岩の表面はゴツゴツして、特に面白いモンは無く・・・低い岩なので特に見晴らしが良いとか、何かが見えると言うわけでもなく・・どおしてもこおしても、逆さまになってもツマランモンでした。
広場の隅っこに小さい小屋があり、地蔵さんでも有るんかな?と思い行ってみると、そこで初めて看板が有るのに気がつきました。
「火の用心」の看板かな?・・と思い、だいぶ風雨に晒されてペンキがかすれて読みにくくなってますが、無理して読んでみると「弘法大師お休みの岩」と書いてあるではありまへんか。
おおぉぉぉ・・・もったいない・・・ナムナムナム・・
さっそく越後屋に大声で知らせてやったら、「ふぅ~ん・・」と言って、感激の表情も現さず、さっきからの位置をピクリとも動かず、立ったまま杖にもたれ掛かっており、サッサッと戻って来ないかという風情がアリアリとわかり、ええぃ、この不信心モンメが・・・
看板を読んでみると「松原の中を通っていた遍路道筋のこの岩の上で、お大師様が休まれたと里人は伝える。
そのときのワラジの跡があり、杖の跡が有るとも伝い、この岩にあがってはいけないとの伝承もある」
ウギャアアァ~~!!・・・どおしよぅ・・(T_T)オロオロ・・知らんかったと言え、土足で岩の上に登っちまったでぇ・・・おまけに岩の頂上で、ドンドンと杖でドツイテしもたでぇ・・
なんか祟りでも有るんじゃねえやろか・・・今更、ワラジや杖の跡を探しに岩の上へ確認に行けないしなぁ。
看板の立ってる道は、途中より堤防とほぼ平行に走っており、タンボの農道かと思ってましたが昔の道だったようです。
昔は松原で岩がゴロゴロした海岸が見え、大師様もそこらの岩の上で腰掛けて、海を見ながら一休みされた事でしょう。
今は、その岩からは海は見えず、コンクリートの分厚い壁しか見えんが・・・
しかし、神峯神社の「腰掛け岩」といい、ここら辺は、よぉ~けぇ大師様が腰掛けたと言う岩が有り、よっぽど岩に座るのが趣味だったのか、疲れてたんでしょうなぁ。
どちらも名所・史跡案内には載ってなく、ここの岩は、海岸のどこにでも転がってるような岩なので、わざわざ見に来るほどの人も居ないかもしれん。
畏れ多くも勿体ない岩に「上がったらアカン」と看板に書いてあったという事を越後屋には内緒にして、再び堤防をテクテク・・・正直に白状しちまうと何を言われるか、わからんからなぁ。
しばらくして伊尾木駅に着き、そこで一休みしました。
待合室のベンチで、小学校低学年くらいの女の子3人と男の子2人が楽しそうに、ベンチを机にしてお絵かきしたりして遊んでます。
女の子が男の子に、何か書いた紙を渡し、男の子がメンドウ臭そうに、つっかえながら小さい声で読み、黙って聞いてると、どうやら「家に遊びにおいで・・」と書いてあったよおです。
おっ・・ラブレターか・・ええなぁ・・・お主、モテるのおぅ。(^O^)
大きくなったら、そんな手紙を貰うどころか、「家へ遊びにおいで」なんて滅多に言われんぞ。
大切に取っておいて、10数年後、証拠の品じゃと、その紙切れ持って遊びに行ってやれ。
そんな遊んでる姿を見てると「幼なじみの想い出は・・」という歌が思い浮かびます。
そやねぇ、σ(*_*)にも、づう~っと昔、これと同じような事が有り、友達と仲良く遊んだ事があったなぁ。
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