HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第二章「目次」 >7 八音
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大日寺では、今まではいつも本堂内へ入る扉が閉まっていたのに、今日は珍しい事に扉が開いており、さっそく堂内へ入り参拝しました。
時間に余裕が有り、せっかく堂内に入れた事だし、こんな機会はもう二度と無いかもしれんので続いて二曲吹きました。
次に大師堂へ行こうと思い、入口を見ると扉の内側付近の隅っこの薄暗い所に、二人のオババが遠慮がちに座ってます。
「あっ、気が付きまへんで、すんまへん。参拝が終わりましたのでどうぞ。」と言って席を立って譲ろうとすると「いえ、尺八を聞いてましたので・・」と言います。
そか・・聞いててくれのか・・そいじゃ、このオババ達のために、もう一曲吹いてあげよう。
せっかく黙って聞いてくれてたんじゃからな・・と思い、座り直して一曲吹きました。
大師堂へ行って参拝してる時に、このオババ達が越後屋と話をしたようで、「高知の生まれで今は愛知県に住んでいるが、帰ってきてお参りに来て尺八を聞けるなんて、本当によかったと喜んでおり、オバアさん、涙ぐんでたよ」と言います。
うん、知ってた・・曲の途中で、鼻水をすすり上げるような音が聞こえたもん。
話しは違いますが以前、僧職の人と話して「瞑想のつもりで尺八を吹いてる」と言った時「それじゃダメだ。自分だけが助かろうとするんじゃなく、他の人も助けないと・・」と言われた事があります。(「四国遍路一章」「愛媛」「22極意」)
以後、この「尺八で他の人を助ける」とは、どういう事か、そこへ到達するまでの「道しるべ」みたいもんはないだろうか、どこかそこらに転がり落ちてねぇだろうかと、ズウッ~と遍路しながら考え歩いてました。
そこで再び話しは変わりますが、先日パソコンの前で椅子の上にアグラをかき、ふんぞり返ってネットサーフィンをしていると「箱根 阿弥陀寺(リンク切れてました2021.9.7)」のHPで「浄土の八音」というのを見つけ、HP管理者の了承を得たので以下抜粋転載させてもらいます。
① 極好音(聞く者を仏道に引き入れるような妙なる音声)
② 柔軟音(やさしく、穏やかな音声)
③ 和適音(調和のある、和らいだ優雅な音声)
④ 尊慧音(聞く者に智慧を体得させる音声)
⑤ 不女音(男性的で畏敬の念を起こさせる音声)
⑥ 不誤音(聞く者に正しい見解をいだかせる音声)
⑦ 深遠音(深遠な道理を悟らせる音声)
⑧ 不竭音(聞く者をして、尽きることなく悟らせる明瞭な音声)
音楽的な用語として「清揚」「哀亮」「微妙」「和雅」などと区別されています。
「清揚」というのは、清くよく通る音、
「哀亮」は哀しい音と明かるい音、
「微妙」は最高の境地をあらわす音、
「和雅」は柔らかくみやびやかな音です。
このような素晴らしい音の世界が、み仏の音楽です。 仏の存在を信じて、無心に、 八つの(多くの)音を心に持ちながら、 私たちはみ仏の歌を歌って行きたいものです
この「八音」の説明を見つけた時、「あっ、これじゃ!!、この事だったんだ!!」と、椅子から転がり落ち、思わずパソコンに対し、ハハアァァ~・・・と、デコチンを床に付けてひれ伏し拝んじまった。
「八音」を検索して調べてみると、音楽と関連付けて説明しているネットは、この「箱根 阿弥陀寺」HP以外に見当たらず、また仏教関係のネットで調べても「八音」の詳しい事はわかりまへんでしたが、次の語句を見つけました。
「無量義経」「徳行品第一」
「・・ 梵音雷震響八種 ・・」
(梵音雷震のごとく響八種あり)
「如來具八種音聲 即一極好音 二柔軟音 三和適音 四尊慧音 五不女音
六不誤音 七深遠音 八不竭音 此八種音聲 微妙清淨甚深遠・・」
(如来の音声は八種を具えており、
即ち一は極好音、二は柔軟音・・・以下略)
「無量寿経」「巻下 正宗分 衆生往生因 往覲偈 27」
「梵声如雷震八音暢妙響」
(梵声はなほ雷の震ふがごとく、八音は妙なる響きを暢ぶ)
おおざっぱな解釈では、「仏さんの言葉は、雷が震えるように大勢の人々の間に広まり、それには八音の響きがある(八種の教えが含まれる)」。
話しは、もう一回変わりますが、尺八の世界に「一音成仏」という言葉が有ります。
漢字の並びからその意味がわかるようでありながら、σ(*_*)は頭が悪いのでホントは何もわからず字句の並びのまま単純に「一音は仏なり」かなとも思ってます。
「吹く音、一つ一つが仏の境地で・・・うんぬん・・」「悟りの境地を目指して・・・どうのこうの・・」
説明してあるのを読んでも、なあぁ~んか、近寄りがたくも立派過ぎ、アリガタくも難しそうでσ(*_*)のようなコンジョ無しの人間には、雲のかなたよりも空遠いお言葉のように思い・・ついつい・・・
ええんじゃ、ええんじゃ、オメエは、そんな事を心配しねえで、わからんでもええから一生懸命に尺八吹いておれば、そのうち仏さんに成れるから安心しろ・・てな事は、無いでっしゃろなぁ・・・たぶん・・。
「無量寿経」等には「一音成仏」という言葉こそ使われてまへんが、「仏さんの言葉(梵音・梵声)=尺八の音」に置き換えてみると、「一音成仏」の具体的な意味内容を「八音(八種)」が説明しているような気がします。
えっ?・・はぁ・・そおですか・・σ(*_*)の気のせいでしたか・・・すんまへん・・・(T_T)シクシク・・・と、ウソ泣きがバレたところで、話しはコロッと再び変わります。
つい先日の3月末にσ(*_*)と同じように、尺八を携えて四国遍路一巡を終えた人からメールを頂き、本人の了解を得ましたので転載します。
やはり人の前で演奏するのは自分の性に合ってないなと思いました。
最後の辺りで、お寺が続く所では、もう面倒臭くなって来て、義理で短い曲を吹いてさっさと退散するといった感じでした。
むしろ時々山の中で一人で吹いて楽しんだ思い出の方が心に残っています。
尺八に鳥たちが集まって来て競い合うように鳴き出すことも多かったようですが、これは何とも嬉しい気持ちになりますね。
でも珍しいのでしょうね。概ね好評で、皆さん良いものを聴かせて貰いましたとよく褒めて下さいました。
2-3エピソードをあげてみますと。
焼山寺の登りの一本杉で心月を吹いていると若い女性が登って来ました。
もうだめだと思ってたら笛の音が聞こえてきて、それを聞いたら嘘みたいに力が湧き出してきて又登れたそうです。若い美人だっただけに嬉しかったな!(^^)!
弥谷寺の本堂で吹いていたら5~6人位の団体が来て一人の女性がとても良かった、ここまで登った甲斐があったと言われました。
次に大師堂で吹き終わると全員で深々と礼をされ有難う御座いましたと言ってくれました。
恥ずかしくて納経所の人に礼をして出て行こうとすると、その人もつられて有難う御座いましたと合唱され、恥ずかしいやら嬉しいやら。
もう一つは鎌大師堂で一休みと思って寄ったら、女性がお接待といって美味しいお茶とお菓子を置いて引っ込まれました。
で、そのまま帰るわけにも行かず、しかも誰もいないので、私にとっては大曲の奥州薩慈を吹きました。
結構巧く出来たとは思いましたが、終わると、本堂の中で人の気配がしました。
それから、お接待のお礼の納め札を置いて帰りました。
家に帰るとその坊さんから手束妙絹尼さんに替わりましたとの挨拶状が届いており、「素晴らしい笛の音を聞かせて頂き有難う御座いました。」と手書きしてありました。
これも嬉しかったですね!(^^)!
もう人前で吹こうとは思いませんが、とても楽しい思い出が沢山出来、誠に有難い旅でした。
σ(*_*)も同じように体験をしたので、その時の恥ずかしさ嬉しさは、よぉ~くわかります。
きっとメールにも書ききれない、尺八を携え歩いたゆえの数多くの貴重な出会いや体験をされた事でしょう。
エラソーな事を言いますが、尺八を趣味にしている人は、ぜひ尺八遍路をしてみる事を勧めます。
きっと、舞台演奏などでは絶対に得られない貴重な体験をする事でしょう。
その際には、一曲でも良いですから暗譜しておくと、そこから得る物も多いと思います。
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