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  H19.12.14 UP


車遍路・結願

車遍路67番~88番

67 大興寺 
       省略
68 神恵院69 観音寺


 68番と69番は同じ敷地内にあり、奥の階段を上がった所の方が68番で、下に有る方が69番です。

 そーですわなぁ・・・・下に68番が有ると、69番が有るのを忘れてしもぉて、奥へ行かないかもしれんからなぁ。

 なんせ、来る時もそれなりの階段があったから、疲れるし・・・息切れはするし・・・。

70 本山寺 
      省略

71 弥谷寺

 おとろしいくらいに、長い階段を上らなけにゃアカンとこですが、周囲の風景は、昔ながらの自然そのものでした。
弥谷寺、四国遍路記
 この階段を、バサマが
「次にもう少し先に上がる所(階段のふち)が有るからね」と、目がほとんど見えない年取ったジサマの側で言いながら、手探り状態のジサマの手を取って、ユックリと上がって行きました。

 ここの本堂が、またわかりにくく、広い境内の階段をさらに上がった所でT字路になっております。

 しかも丁度そこに古びたお堂が有るもんだから、前を歩いてたジサマは、それを本堂と勘違いしたのか、それとも、もう歩くのイヤになったのか、それを拝んで下りて行きました。

 本堂は、もっと左の道を行かねばならず、納経を先にしている越後屋を残して、先に本堂へ行ってたら、やっぱし、そのT字路付近で越後屋も、わからんかったらしく、ワシを探す声がした。

 返事をせずに黙って、そのまま雲隠れして行方不明となり、越後屋と手を切って新しい人生の再出発をしても良かったんだけど、ワシやさしい人間だから返事してやった・・・しかたなくね・・・。

72 曼陀羅寺 
73 出釈迦寺 
74 甲山寺
 
       省略

75 善通寺

 でっかい敷地に門がいくつか有り、駐車場から入った門は、どうも裏門のような気がする。善通寺、四国遍路記

 広い境内の納経所の前で、テントを張った中で白衣を着た看護学生が無料健康診断をしていたが、あんまり受ける人が居ないようです。

 そーですわなぁ・・・半径50センチ以内に若いケガレを知らない白衣の天使に取り囲まれて、ジッーと見つめられて手を握らりちゃったら、どおする?・・・・(^O^) ソコノ トッツァン

 おまけに、サービスでウィンクまでさりちゃったら・・・(^^;ナハハハ・・・・
 ボッーとテレてしまって、血圧は上がるし脈拍も上がりますわなぁ・・・
 どおかすると、手を握り返すかもしれんなぁ・・無意識に・・

 ハッ・・・!! いかん・・・・ここは、寺だった・・・。

76 金倉寺 
77 道隆寺 
78 郷照寺 
79 高照寺
 
       省略

80 国分寺

 境内に、どこからともなく琴の音が聞こえ、大師堂から聞こえたので入ってみると、遍路用品やらお守りやらが、薄暗い部屋に山積みしてあり土産物屋かと間違う所だった。国分寺、四国遍路記

 越後屋なんかホントウに大師堂かと、疑って一度堂の外へ出て確かめていた。

 琴の音テープで流していたが、それほど大きくなく、外の境内ではマッチしており風情があった。

 もっとも、どこやらの寺では、わけのわからん最近の現代風の音楽を大きな音で流しておったけど・・・いくら観光化しとると言っても、寺でそんなの流すな。!!

81 白峰寺

 山の上にあり、威厳のある森の中という感じでした。

 夕方5時過ぎて行くと最後のお遍路さんが帰る途中で、本堂では寺の人がローソクの後片づけと掃除をしていたが、しかし寺の人は、イヤな顔もせずに迎えてくれました。

82 根来寺

 ここも、木に囲まれた昔ながらのフンイキがあった。門が工事中だったけど・・・。

83 一宮寺 
     省略

84 屋島寺

 敷地内に「宝物館」が有り、開館が9時からでゼヒ見てみようと1時間ほど待ってたが・・・入ってみると期待したのと違ってた。屋島寺、四国遍路記

 源平合戦の刀の折れたのとか・・赤旗の破れたのとか・・鎧の切れっ端とか・・射られた舞扇の壊れたのとか・・青葉の笛の破片とか・・・・が飾ってあるかと思ったが、手紙みたい物ばかりと陶器とかで、刀は一本だけだった。

85 八栗寺

 境内から本堂を見ると、すんごい山が重なっていた。(たぶん5つと思う、五剣山というから・・)八栗寺、四国遍路記

 あっ、ここはケーブルで寺へ行きました。道がわからんかったもんで、近くの家の庭でボッーとしとるようなジサマに道を聞いたら、長々と説明してくれ、結局ケーブルで行った方が良いという事でしたので・・。

 なんでも、そこは、よ~道を間違って行く人が多いそぉで、やっぱし、ワシみたいケチな人が居るようです。

86 志度寺 
87 長尾寺
 

 最後のあと一つの所で、やっぱし杖を忘れていく人が居るようで、杖は大師様と同じで、大切にせにゃアカンものらしく、お遍路の象徴みたいもんです。

 今までの各寺にも、忘れられた杖が必ずと言って良いほど有りましたが、ここまで来て、杖を忘れた人は残念だったろうなぁ。

88 大窪寺

 さすが四国遍路の最後を飾る立派な大きな札所寺で、門前の店では生姜湯の接待をしてくれました。大窪寺、四国遍路記

 ここで、一人の年取った歩きお遍路と話す機会が有り、聞いてみると奥さんが亡くなられ、2年がかりで区切りなから65日かかって一巡したとの事です。

 供養という目標が無いと、歩ききれなかったかもしれないとの事でした。

結願

 おかげさまで?、無事四国遍路88ケ所を車で廻る事ができました。

 寺の納経所では、にこやかに労いの言葉をかけてくれる所もあれば、返事一つせず無言で乱暴?に納経帳を扱う無愛想な所もあり、これも大師様からの試練でしょう。

 納札箱に納札を入れた時、隣で一人の中年の女性が小さな声で、
「・・・なにとぞ、なにとぞ、・・・・お助け下さい。・・・」と祈ってるのが聞こえました。

 別の寺では、一人の老婆が目をつぶり何事かを黙して長い間祈り・・また、中年の夫婦の祈る姿は、子供達の事か・・・これからの将来の事か・・。

 このように必死になって祈ってる人と、自分のような、いい加減な気持ちで参拝している人との、見分けがなんとなくわかってきた旅でした。

                          00/05/16記載

編集後記(車遍路・結願)

 実はσ(*_*)も最初、71番・弥谷寺で本堂がわからず、ジサマが間違って拝んでいたので本堂だと思い、そこで尺八を吹きました。

 知ってる人は、何でそんな潰れかかったような堂で吹いとるんじゃ・・と思った事でしょうなぁ。(^O^)

 肝心の尺八ですが、室戸の最御崎寺を皮切りに本堂・大師堂の二堂で尺八を吹き続けたお陰か、88番大窪寺では大部慣れて、もう足の震えや音の上擦りは無くなり、家で普通に吹くような感覚になってました。

 慣れっちゅうのは、オトロシイもんですなぁ。(^O^)ナハハハ・・・

 はっ?・・そいで、法輪寺のジサマの言ったように上達したかって?、そんな、あぁたぁ・・・・一巡したぐらいで、すぐ目に見えるほど上達するワケがありまへんがなぁ。

 そおいうのは、何かの物語等の世界であって、信心も無えのに観光気分で巡ってた、どうしょうもねぇ人間には無理な話です。

 たぶん、遍路する前とあんまり変わりなく、吹奏度胸だけが少し付いたんじゃねぇかなぁと思います。(^O^)

 車遍路も終わり頃になった時、もう一度車で巡りながら尺八を吹くか、歩き遍路しながら尺八を吹くか、ちと迷っていましてなぁ。

 なんせ車で回っただけでも、それなりにきつく、四国の地図を眺めると、その広大なる距離を歩き通す事なんて、果たしてコンジョ無しのσ(*_*)に歩ききれるかという心配があったのです。

 その頃は巡りながら尺八を吹いてると「何かが得られるかもしれない」・・という事は全然思っておりまへんでしたが、なぜかもっと遍路しながら吹き続けてみたいという気持ちだけは猛烈に有りました。

 だれか先人が居ないかと思って本やネットで調べたのですが、歩き遍路の経験談は有りましたが、遍路しながら尺八を吹いてた経験談を記載された物は、車・歩き遍路を問わず見つける事ができまへんでした。

 やっぱし、遍路しながら尺八を吹く・・そんな物好きな事をする人は居ない・・・いや、たぶん居たと思いますが世間に発表してなかったのでしょう。

 そんな思いが有ったので、最後の88番・大窪寺で出会った歩き遍路と話した時、一度に全部巡らなければならないという事は無く、区切りながら何回かに分けて巡っても良いのだというのを聞いた時、「あっ、そんなのも有りなんだ」と鎖が解き放されたように、目から鱗がポトリッ・・。

 なんせ、その時までは、何がなんでも休む事なくマジメに一巡しなきゃアカン。

 途中で家に帰るなんて事しちまったら、そんな軟弱なのは正式の遍路じゃねぇ・・と言われるかもしれんと思ってましたからなぁ。(^O^)

必死なる祈り

 「なにとぞ・・なにとぞ・・お助けください・・」と必死に祈っていた中年女性・・

 実は、これを某掲示板(FS20)に掲載した時には、すでに歩きの一巡目を始めており、1番・霊山寺における大師堂での事です。

 ちっと位の時間のズレは、読んでる人には、わからんじゃろお・・と思いましてなぁ。スンマヘン。f(^_^;)ポリポリ・・・

 この女性が参拝している途中から、σ(*_*)が隣で尺八を吹いて参拝し始めたので、女性は一瞬祈りを止め、こちらを見て少し席を譲ってくれて再び小声で祈り続けました。

 この中年女性の必死の祈りの小声を聞きながら、この科学万能な時代においても、どうする事も出来ない、生きてる人間の悲しみというか、苦しみというか・・何かにすがりついてでも救いを求めたいという必死に祈る姿を垣間見て、あぁぁ・・世の中には、このような人も居るのだと、もんのすごく衝撃を受けました。

 普通の生活をしていながら「なにとぞ、お助けください」と神仏に向かって、必死に声に出して祈れるじゃろか?

 そりゃあぁ、心の中で必死に祈ってる人も居るでしょう。しかし側でだれが聞いているのかわからんのに、思わず願いが声に出てしまうほどの祈り・・・。

 σ(*_*)に解決出来る力が有るもんなら、今でもホンマに助けてあげたかったと思い、「祈り」という事を最初に考えさせてくれた女性でした。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


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