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H19.12.27 UP
立江寺から鶴林寺・太龍寺へ行きました。
道中の道は国道沿いなんですが、歩道が所々寸断されてたり、そーいう所に限って道幅も狭く、トラックが横を通り抜ける時なんか、轢かれちゃうんじゃねぇかと心配するほどです。
こーやって歩いてると、見逃しそうな旧跡なんかも見ますねぇ。
説明の看板があると、ヤジウマ根性出して可能な限り読んで行きます。
以前、徳島市内の4番寺付近だったか、歩いてると「清和天皇の血筋をひく家」というのがあって、清和天皇から七代目位から始まり、今は24代とかの本家・分家の名前が書いてある石碑を見ました。
今の天皇さんの血筋が絶えたら、ここの家から出るんかな?
普通の家と変わらなかったけど・・・・。
また、恩山寺からの遍路道に「弦巻坂(つるまきさか)」というのがあり、屋島を急襲をする義経が四国上陸した時、この坂で伏兵が居ないのを確かめ、弓の弦を巻いたという坂だそうです。
すんごい竹藪の坂で、夏は蚊に悩まされるだろうなぁ・・・
鶴林寺への登り道は、車道とちがって遍路道でした。
頂上近くで車道とクロスする所に荷物が置いてあり、車道脇でジサマが上を向いて寝ながら鼻歌を歌ってました。
ジサマに挨拶して追い越し、寺の駐車場のトイレに入って出てくると
越「さっきのジサマ、そこの車に戻って来た人に、
「車で来るのもいいけど、歩いてみたら、もっといいぞ」と言ってたよ。」
で「あらぁぁ・・・、そんな事、言わなきゃ良いのに・・・。
車の人、イヤな顔してただろ。」
越後屋「うん。」
で「歩くのが良くて、車が悪いとかで無く、人それぞれ好きずきで・・・、
都合もあるんだし・・・・どのように来ようと勝手なのになぁ・・・。
ワシらだって、車で来た時は、歩きの人にスマネェなあ・・・と思って見てたけど、
こーやって歩いてて尊敬の目で見られると、
信心もねぇこっちの方が申し訳ない気がするんだよなぁ。
ニセ遍路です・・とでも、名札かノボリ立てて歩こおかなぁ。」
越「シィッー・・・聞こえる。」
見ると、ジサマが道端の端っこに座り、何か書いてました。
道端に座るのが、好きなのね・・・・このジサマは・・・。
お参りしてると、ジサマのチリ〜ンという鈴の音と鼻歌も聞こえ、お参りもせずに、そのまま下りの遍路道へ行ってしまいました。
ちなみに、予行演習で「羽根」集落を歩いた時に足の悪いジサマから接待されて貰った 1円玉の包み(2包 100円分)は、以後各寺の本堂と大師堂及び、途中の無人の庵で休んだ時に、自分達のお賽銭の他に、この1円玉を一つずつ賽銭箱に入れております。
で、どちらかというと、本堂・大師堂よりも、崩れかかった無人の庵の方に、お賽銭を少しよけいに入れてます。
歩き遍路にとっての庵の位置は、丁度良い休息地点に有り、休ませてもらったもんで・・・将来、庵を立て直す時の釘代の一本にでもなればと・・。
鶴林寺と太龍寺の間には、大きな川をへだててあり、そりほど遠くありませんが、鶴林寺から麓の川まで下りるのに一時間ほどかかり、川から太龍寺まで2時間ほど登ります。
昔は渡し舟で向こう岸へ行ったらしいですが、今は立派な橋がかかってます。
曇り空だったのが途中から小雨になり、ズルして雨合羽を持って来なかったので濡れました。
太龍寺は小雨で煙り、またそりなりの風情はありました。
ちと、寒かったけど・・・・。
西の高野山と言われてるそうで、立派でしたねぇ。
この太龍寺は前回、車で来た時にケーブルの値段が高いので、ケチッて乗らなかった所です。
(^^)/~~~
00/06/19記載
久方ぶりのお遍路で、平等寺へ行ってきました。
手を洗う場所の水には、大きなアジサイの花と葉っぱが、みずみずしく浮かんでおります。
こ〜いう所が、そのお寺の気配りなんだろなぁ〜・・いっぺんに涼しい思いをします。(^^;
本堂への階段を上がると、境内で5人ほどの男女がマイク持って何か話をしており、何かのラジオ中継でもやるのね・・・と思い進んで行くと、アナウンサーらしい男が近寄って来て
無線瓦版屋「あのぉ〜・・・どちらから、来られましたか?」
で「室戸です。」
無線瓦版屋「今日は、どこから出発で?」
で「鷲敷の「道の駅」から・・・」
無線瓦版屋「今日は、どの辺まで行く予定ですか?」
で「福井ダムの所まで歩いてみようと思ってます。」
無線瓦版屋「あのぉ〜・・・あと一分で、本番生中継があるんですけど、
今の事を話してもらえますか?」
で「いいですよ。今言った通り正直に言って良いの?」
と聞いたのにはワケが有ります。
昔、放送局からインタビューを受けた経験が有るので、話を大げさにしてくれた方が喜び、細工してくれと頼まれたら、
「焼山寺から夜も寝ないで、月明かりを頼りに、ただひたすら真言を唱え歩き続け、
途中、三回ほど遍路道から転がり落ち、三回ほど犬に噛みつかれ、
三回ほど腹が減ってメマイを起こし、三回ほど不審尋問に引っ掛かり、
そのたびに泣くマネして許してもらい
飲まず食わずで、やっとここまで、たどり着きました・・・ゼエゼエ・・・・ハァハァ・・・
み・・水を・・・水をくりぃぃぃ・・・・バタッ(倒れる音)」
と、でも言って協力してやるつもりだったのですが、アッサリと「はい、今のままで結構です。」と言った。
フト見れば越後屋は、いつの間にか知らんうちにワシの側から離れて、遠くからこちらを見ており、「あの人は、私とは全然関係無く、まったく知らない人です。 ドチッタら皆して、いっせいに笑ってやりましょう。」というような顔して、他人のフリしていた。
生中継は、約束通りの会話で一分ぐらいで終わり、後はなにかの宣伝をしゃべり始めた。
お参りが終わって帰りかけると、無線瓦版屋がお礼にと記念品をくれ、その時だけは越後屋がワシにしっかりと寄り添い、
「この人とは一心同体で苦楽を共にした人です。何かくれるのなら、私も貰って当然です。」という顔して、しっかり記念品のコップとタオルを一緒に貰っていた。
こいつは、ワシが居なくても、ずぶとく最後まで生き抜くだろう。
境内には少ないですがお遍路さんが何人か居たのですが、だれもインタビュウに応じなくて断られていたらしく、ワシも断っていたら、せっかくの生中継がオジャンだったろうなぁ・・・。
そーいう感謝の念もあったのか、わずか一分のインタビューで携帯ラジオまでくれました・・これは一つだけでしたけど・・・。
やっぱし頼まれたら、イヤな顔せんと素直にやってやるもんですね。
(^^)/~~~
00/06/26記載
平等寺でのラジオ中継の打ち合わせ時、尺八で参拝してる事は言いまへんでした。
言えばインタビュアにとっては絶好のネタで、鴨がネギと茶碗と七輪を持って来てくれたような状態で、根ほり葉ほり聞いて来るのが、わかっているので・・・
その頃は、まだお話するほどのネタを持って無く、信心も足りん人間なので、たぶんインタビューされても、期待されるような答えはできず、シドロモドロになって答えに詰まったでしょうなぁ・・σ(*_*)正直モンだから。
本堂で尺八吹き始めると、デェレクターのネーチャンがマイク持ってるアンチャンに「早よぉ〜撮れ撮れ・・」と慌てて合図しとるのがわかり、σ(*_*)の周りをウロついて横から後ろからマイクを突き出してました。(^O^)
幸い大きな失敗もせずに吹き終わり、記念品をくれた時に「お寺を巡りながら尺八吹いておられたのですか・・言ってくだされば良かったのにぃ・・」と言われたが「アハハ・・そうでしたか・・」と笑ってゴマカシた。
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