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法海上人堂

道の駅「宍喰」

 国道55号線の宍喰町に「道の駅 宍喰」というのが有り、え〜とこですよ。

 季節になると若い連中が、サーフィンやりに来ており、今回の宿泊はこの道の駅です。
 もちろん車の中で。(^^;

 で・・疲れ果てて、やっとこさ着いて、ワシがチヨット目を離してるスキに、越後屋は接待を受けました。

 こいつは、ワシがおらん時に限って、よ〜接待を受けるやつじゃ・・・。

「今ね、接待受けたんよ。(^^;」
「ふ〜ん・・・。  また、キレイなネエチャンからなの?」

「ううん。ふつうのオバチャン。安心した?(^^;」
「ふ〜ん。で、何もらったの?」

「それがね・・お風呂なの。」

 この「道の駅 宍喰」には、珍しく温泉が有るんです。一人400円だかで。

 ワシらも入るつもりだったんですが、オバチャンが自分の持ってる入浴券で入れるかと、係の人にわざわざ聞いてくれたそうです。

 おかげさまで、泡が吹き出てる温泉に入らせてもらいました。

 温泉から上がると50才ぐらいの歩き遍路が、「道の駅 宍喰」のベンチで消毒薬やら何やらを広げて足のマメの手入れをしてました。

「今朝は、どこから来られましたか?」
お遍路 
「薬王寺です・・・。」

「よ〜歩かれますねぇ。
  私らなんか一日15Kほどで、20Kいくかどうかです。」


お遍路
「いや、私もそんなもんです。
    足が痛いから、明日は休まないとアカンかもしれんなぁ・・・」


「だいぶ、長い間巡ってるんですか?」
お遍路
「いや、ワシ・・仕事辞めてきた。・・・独りもんやし・・・・。」

「今日は、どこで泊まるんですか?」
お遍路
「ここで泊まるつもりです。一応断ってあります。」

  何かそれ以上の事を聞くのも、はばかれたので別れました。

  9時に「道の駅 宍喰」が閉まり、お遍路さんは建物から出されたようで出てきました。

「この軒下で、泊まるんですか?」
お遍路
「いや、宍喰駅で泊まるつもりです。」

「あらぁ・・・実は、私らも昨日、宍喰駅で泊まるつもりで駅員に聞いたら、
 最終の汽車が出たら駅を閉めると言ってましたよ。」


お遍路
「そぉですか・・・・。  でも、駅の付近で泊まります。」
と言い、互いの無事を祈る言葉を残して、足を引きずりながら行きました。

 ところで夜の2時か3時頃まで、若い連中がデカイ声で
「キャァ〜・キャァ・・・・」「アハハハ、アハハ・・・」とよ〜騒いでますねぇ。

 こっちは、寝てるのにぃ・・よっぽど、この連中は行く所が無いのか・・・眠たくないのか・・・、

 たまに爆音を響かせながら来る奴とか、わけのわからん音楽をドンチャカ鳴らしやがって・・・。
 まぁ・・・ここは寝る所でないから、モンク言えんけど・・・。

 宍喰町は徳島県ですが、小さい山を一つ越すと高知県の甲浦町になり、「発心の道場」から「修行の道場」に入る事になります。

通交困難

 「四国遍路ひとり歩き同行二人」の本には、「旧へんろ道(通行困難)」と書いてあり、国道通行を推奨しています。

 たいてい今までのへんろ道は、わかり易く表示も出ており迷わずに来れました。

 「通行困難」ちゅうても、たいした事あるめぇ、根性で登ってやるわい(^^;と思って行きましたら、途中で道が切れていました。

 も〜チヨットで峠を越すと思われる所で・・・

 さすが道無き道を歩いてまで、山を越す根性は有りません。

 後で地図を見直すと、「古目関所跡」ちゅう所が有り、その近く付近から道が横にあるようですが、草が生い茂っていて道がわかりません。

 しかたなく、泣きながら越後屋の手を引いて、国道の道へ引き返しました。
 後で会ったお遍路さんも、やっぱし同じ道を歩いて、引っ返したそうです。

                               00/07/06記載

ゴロゴロ海岸

 ところで高知県へ入ってまもなく「野根」という所から室戸までは、あんまり人家もなく昔からたいへんな難所だったそうです。

 仕事とかなんかで、この付近は車でよ〜通ってるのでわかりますが、確かに車に乗っていても、国道脇まで落ちている山と、岩が転がってる海岸ばっかしで、飽きて眠たくなるような風景です。

 「野根」から「入木」という村までの約10Kの間は人家もなく、自販機も無けりゃあ、とぉぜんコンビニもありません。

 そのため「野根」で、なんとしてでも食料や水分補給をしとかなければあきまへん。

 伏越岬を歩いてその難所にかかり、しばらく行くと「ゴロゴロ休息所」ちゅうのが有ります。

 そこではお遍路さんが、寝そべってゴロゴロしとり・・・ち・・違う・・・・

 水も無く食料も持たずに来たため、干からびてミイラになったお遍路さんが、あちこちに・・・ゴロゴロ・・・と転がっており・・・・・ええぃ・・・これも違う・・・・

 本当は、海岸の石が波で動き、その音が「ゴロゴロ」と聞こえる所から来た地名らしいです。

 海岸に下りて少し歩いてみましたが、確かに歩きにくく、石は擦れ合って縁が丸くなっております。

 それも、タクアン石ぐらいの大きさから、犬小屋及び一件建ての家ほどの岩が、そりこそゴロゴロしており、今の国道が出来る以前は、この歩きにくい海岸を歩いたのでしょう。

 山の斜面は海岸まで滑り落ち、落石防止のコンクリート防御壁のため、日陰となる木もなく、涼を求めるに場所もなく、また国道から海岸へ下りるには、所々に有る階段で下りなければなりません。

 伏越岬から、遠〜〜〜くに霞む岬が見えます。
   
「♪ ごらん、あれが室戸岬、南のはずれと〜・・・・♪・・」
  ・・と歌いたくなるような・・・・

 しかし、その霞んでる岬は、室戸岬ではありません。
 初めての人は、あの霞んでる岬が、そうだと希望を持つかもしりませんが・・

 その霞んでる岬を越して、さらにまだ見えない霞んでる岬へ行かなければいけません。

 初めての人は、あの遠くの岬を越せば室戸と思い・・・岬を回れば、まだ続く岬を見てガックリし・・・まさに修行の道だと思います。

 人家も無く、切り立った山の斜面と、動くものは岩に砕ける波・・・国道を走る車のみ・・・
 俗世から離れた修行にふさわしい道じゃ、ありませんか(^^;キツイケド

 灼熱の太陽の下、越後屋はタオルで頬被りして菅笠をかぶり、日焼けしないように気をつかってます・・・変わりゃせんのに・・・

 国道を歩いてると、この国の建設行政しとる人が、いかに机上の作業でやってるのか、よ〜わかります。

 歩道が山側に有って喜んで歩いてると、そのうち歩道が切れて今度は海側に歩道があり、国道を横切る時は車が来ないか見透かして、急いで横断しなければなりません。

 しかも、ガードレールが設置され、歩道へ入れる隙間が無かったら、ガードレールを乗り越えなきゃアカン・・・・。

 ワシゃ・・・いいよ・・・足長いから・・・ヒラリと越せて・・・。

 でも越後屋は足が短いもんだから、乗り越える時にガードレールの上で引っ掛かって、もがいてるので、それを見て喜んで杖で車道の方へ突き落とし・・・あっ・・いや・・しかたなく、手を差し伸べて引っ張ってやらにゃアカン。

 建設省の役人さん。歩道を作ってくれるのは、いいけどね、歩く人の事を考えて連続した歩道にしてくれんかねぇ・・・・たいして予算は変わらないじゃろが・・・ちぃーと、現場を見れば、わかる事なんだけどなぁ。

 まぁ・・とにかく、どんな物でも作ってしまえば、あんた方の責任は、それで無いとおっしゃるかもしりんけど・・・と思いつつ歩き、伏越岬と入木との中間付近に「法海上人堂」があります。

法海上人堂

 何の変化も無い、山の斜面と海しかない風景の中を、ボッーとして歩いてると見落とすかもしりません。

 山側の国道に、谷川の水を引っ張って水を溜めて飲む事ができ、そこに熟れたトマトが10個ほど置いてありました。

 そのやや上に、木を切って開けた所に、真新しいお堂の「法海上人堂」とトイレがあります。

 この「法海上人堂」は数年前まで、木が倒れてお堂が壊れていたらしいのですが、「一人のお遍路さん」が、この国道沿いにテントを張って浄財を求めつつ「お堂」の再建に努めました。

 そして地元の「野根」の人や、通りすがりのお遍路さんのボランティア協力を得て、木を切り倒し、資材を運び上げ昨年12月に見事完成したそうです。

 既存のお寺が多額の寄付を檀家や宗徒に求め、何百周年法要とかいう立派な行事や、お寺を修理してキレイにするのも良いでしょう。

 しかし長い道のりを歩き疲れ、休む木陰もなく、何かあっても逃げる場所もない、この難所の中間地点に、組織力も名も無い人たちが貧者の一灯を集め、無償の労働力と汗と涙をにじませ再建させた、この小さい「法海上人堂」は、それに負けないくらい立派だと思いませんか・・・皆の衆・・・・。

 そして、お堂には「賽銭箱が盗まれましたので、当分の間、お堂の中にお賽銭を入れて下さい」との貼り紙がしてありました。


                          00/07/07記載


 

編集後記(通交困難と法海上人堂)

 「宍喰」〜「甲浦」の山越え道は、現在の新しい本では記載されているかどうかわかりまへんが、当時の本では破線で記載され歩く事も可能かと思われました。

 後日、この山越え道を「甲浦」より登って探してみました。

 登り口付近より草木に覆われており、道?と思われる所を掻き分けて登りましたが、頂上付近は広範囲に全面シダで覆われており、これ以上道を探す事が不可能と思い断念し、昔、歩いた人に聞くと「枝道の多い所だった」と言っておりました。

 σ(*_*)が室戸へ転勤する前年に「法海上人堂」は完成したらしいです。

 後日、この「法海上人堂」再建の発起人である高見さんが、「観自在寺」の境内で次なる「松尾大師堂」再建の寄付集めをしていました。

 手伝いと称して、その側で1時間近く尺八を吹き続けた縁により、以後偶然にも数回出会った時にも
σ(*_*)のことを覚えていてくれ、おだやかな人でした。



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