HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路一巡・9 震洋
H20.1.13 UP
室戸までは前回で終わり、続きはその地点から始めなきゃアカンのだけど、ホントは・・・
ズルして以前に練習がてらに「予行演習」と称して歩いた27番 神峯寺までを歩いた事にして、その続きを歩き始めました。
安芸市に「八流」という所が有り、「はちながれ」と読むのか「やながれ」と読むのかわかりません。
そこに「八流山 極楽寺」という大師関連の寺・・・といっても、山門も無い小さい寺ですけど・・が有ります。
お陰をもちまして人並みにインターネットで、お遍路の体験ホームページを見る事ができ、この寺の事も書いてありました。
そしてHPに書いてあったように、寺の敷地付近に入ると中から10匹ほどの犬が一斉に吠える声がしました・・・・(;;
そして、やっぱり書いてある通り、一匹の犬だけが吠えながら走り寄って来て、アタイの周りをウロつきます・・・・・(TT シッシッ・・・アッチイケ・・・
越後屋は、アゼンと立ちすくみ・・・・・
その犬は、見るも恐ろしげな・・・白い小さなプードル犬?でした。
ほれ、お金持ちが室内で飼ってる頭とかシッポを丸く刈り込んだり、リボンつけたりしてるチッコイ犬・・・・・
キャンコラ、キャンコラ・・・と、ウルセエこと・・・
蹴飛ばしてやりたかったんだけどねぇ・・・・
お参りをし終わって、帰る時にまた一斉に吠えます・・・・(;;
そして、さっきの一匹だけ律儀にも、また吠えながら走り寄ってきます。
こいつは、一番マジメな犬じゃ。
人が来るたびに、吠えてたら疲れるでしょうが・・・・・・・
しかも、このクソ暑いのに・・・わざわざ出て来んでもよいのに・・・
手を抜くちゅう事を知らんのかな・・・・犬は・・・・
このお寺の10匹ほどの犬は、全てこのような小さい犬だったので、それほど怖くはなかったですが、これがデカイ普通の犬だったら、まず後ずさりして寺参りなんかしないで逃げてたな。
そーいえば以前歩いてた時に自販機でジュース買って休んで飲んでると、黒いオオカミみたいな顔付きの野良犬が近寄って来ました。
目を合わせると、犬からインネン付けられて脅かされるかもしれんので、目を合わせないように無視してましたが、吠えもせずチラッと見た犬の目も大人しそうでした。
そこで犬も暑いだろうと思い、側に落ちていた発砲スチロールの皿にジュースを入れてやりました。
ワシ、本当は、善人なんです・・・・
あっ、わざわざ感心してホメんでも良いです。
犬は、すぐに飲み始めようと舌を、チロッと付けましたが飲みません。
しかし暑さと渇きもあるのか未練がましく、また舌を付けましたが、やっぱす飲まず、そのうち越後屋のクツを代わりに舐め始めました。
あ〜ぁ・・・そんな物・・・・舐めて・・・
ハラ痛くなってもしらんぞ・・・・・
その様子を遠くで見ていた子犬が走り寄って来て、ジュースに舌を付けましたが、やっぱすチロッと舐めるだけです。
それを見ていた別の子犬も来て、こいつはチロッと飲んで、どうしょうかと迷ってたようですが全部飲みました。
こいつは最後まで生き延びる、リッパな野良犬になるでしょう。
犬は炭酸が入ってる物は、飲まないのでしょぅか?
それとも、ストローが無かったから飲まなかったのでしょうか?
ぜひ家庭で飼ってる犬に、炭酸入りのジュースを飲ませて下さい。
虫歯とか糖尿病になっても責任をもてませんが・・・。
00/07/10記載
安芸市郊外からズッ〜と15kmほど海岸に沿って夜須町まで、自転車専用道路が有り、それを歩いてます。
前回の犬が居た、極楽寺もその道端にあります。
車に脅かされる事なく、排気ガスを無理して吸わなくても良く、たまに自転車が通るだけで、歩いてるヒマ人はワシラだけです。(^^;エ〜デスナ・・・
それは、それで良いんだけどね・・・・
あんまり、日陰がないんです・・これが・・・・・(;;
たまに松林とかに入ると、ホッとしますね。
たぶん、昔、鉄道が通っていて廃線になったのを自転車道に転用したんだと思います。
夜須町「住吉」という所に、「震洋なんとか・・」というのが有りましたので、道から少し外れましたが行ってみました。
漁港の近くに震洋鎮魂碑が建っており、裏面を読んでみると「本土決戦のため、当地に震洋の基地があり160名ほど居たが、昭和20年8月16日に事故で爆発を起こし、100人ほど亡くなった」と書いてありました。
そこで休んでると、ジサマが来て話しかけてきました。
で「ここに、震洋の基地があって事故で爆発が有ったそうですね。」
ジサマ「うん。ワシが小4の時でのぉ・・・・・。
浜で死体を焼いてなぁ・・・
でも、亡くなったのは、大部分が病院じゃった・・・・・。
終戦の次の日に、死んでしもぉて・・・・
全くの犬死にじゃったのお・・・・・・・。」
00/07/12記載
極楽寺で尺八吹いて参拝してる時は、さすがに犬達も寺の人に叱られたので静かにしてましたが、終わって帰り支度をすると、また一斉に吠え始めました。
まぁ・・番犬用に飼ってるようなので、吠えるのもしかたがありまへんかねぇ。
それにしても、あの白いチッコイ犬一匹だけ、何で来る毎に出迎えするんじゃろ?
二巡目の時も、その一匹だけ出て来ましたが、三巡目の時は犬の吠える声がイヤなので参拝は省略しました。
今も元気に吠えながら、一匹だけ出迎えてるのかな?
野良犬にジュースをやった場所は「佐喜浜」の神社で、その前に自販機が有ったのですが、歩き二巡目の時には、なぜか自販機は無くなっていました。
あの時の子犬も成長して、そこらで遊んでねぇかと思いましたが、だれかに飼われたのか、それとも考える事が有って巡礼の旅に出たのか・・見当たりまへんでした。
この「震洋」の事故は終戦の翌日なんですねぇ。
終戦が決まった後も解散せずに、突然出撃命令が出て、その出撃準備中に大爆発事故が有ったようです。
しかし、この出撃命令は、いつ・だれが発したのかは、現在も不明だそうです。
「指揮官達の特攻」という本を読んだ事があり、最後の特攻として司令官が特攻機に同乗して責任を全うしたそうです。
当時の雰囲気で、その心情をわからんでもなく、一緒に飛んだ人達も納得し、すすんで一緒に飛んだらしです。
が・・いかにエライ指揮官であっても、死ぬなら自分一人で腹を切るような責任の取り方をして死ぬべきだったと思う。
今の平和ボケした時代だから言えるのかもしれまへんが、一緒に飛んで行った人達が、あんまりにもカワイソーな気がする。
指揮官・管理者等のように人の上に立つ者は、自分の美学のために、他人までをも巻き添えにして道連れにする事は絶対に避けるべきだと思う。
昔、船に乗ってた時、上司に千葉霞ヶ浦の予科練で終戦を迎えた人が居て、たぶんこの「震洋」乗組員の人達と同じ年頃でしょう。
その上司に「戦争が終わったと知った時に、どう思ったか?」と聞いた事があります。
σ(*_*)としては、今まで映画や本で見た知識のように「練習機をカッパラッて、単機ででも敵艦にブチ当たってやる」と勇ましい事を言うかと思ってましたが「やっと終わったかぁ・・と思って、ホッとした。これから、どうしよう」と言いました。
また徳島の「回天」基地で乗員として練習している時に終戦を迎えた人も居ました。
この人も「ホッとした」と言いました。
そりゃあぁ、単機で敵艦に特攻しようと思ったり、上陸した米兵と竹槍で差し違えてやろうと思った人もいるかもしれまへん。
しかし、素直に生きたいと思った人達も居ました。
だれが好きこのんで戦争をするでしょう。
だれも喜んで戦争なんかは、したく無いと思います。
しかし、どうしても戦争しなければアカン時も有るんです。
(自称「反戦平和団体」の人達から、叱られるかもしれんが・・・(^_^;))
この海岸は小さな漁港のようになっており、海岸線は狭いジャリ浜という感じでした。
もし、機会あればこの海岸を見て想い出してくんなせぇ。
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