HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 歩き遍路一巡・10 マナー
H20.1.20 UP
28番大日寺から29番国分寺の途中に、「遍路無料接待所(都築)」と地図に書いてあります。
見渡す限りのタンボや畑の農道をテクテクと歩いてくと、道端に大きな倉庫と間違えそうな建物があり(実際、倉庫のようだった)、それが接待所でした。
倉庫の入り口には、「ご自由にお休み、宿泊して下さい」と書いてあります。
だれも居ないようですが、それでも建物の内へ「休ませてもらいます」と一応声をかけて遠慮なく入らせてもらい、荷物を解き椅子に座って机の上に置いてあったウチワを勝手に使ってると、子供を背負った女の人が出て来て麦茶を出してくれました。
で「ありがとぉ、ごぜぇます。
あのぉ〜・・・、このような接待所をしておられるのは、
やっぱし、宗教からですか?(ちと、不躾だったかな・・)」
おカミさん「はい。でも、うちは石鎚神社の方ですから・・・」
で「はぁ・・石鎚と言っても、私、よ〜わからないんですが・・」
(後で他の人に聞くと、山伏みたいようです)
おカミさん「お遍路さんと同じように、山に登って修行もし、托鉢もしますし・・・・」
越「宿泊もできると、書いてありますが、多いんですか?」
おカミさん「昨年、600人ほど泊まり、今年は、200人ほど泊まってます。」
いくら無料宿泊と言っても、泊まる方も、いくばくかのお金を置いていくかもしれませんが・・・。
接待所を運営し続けるのは、経済的にも家の仕事の関係も有り、なかなか大変で並の人間に出来る事では無いと思います。
普通の家でさえ客が一人でも来るとなったら、気を使ってバタバタしなきゃアカンのだから・・・・
それを、いつ・何人・どんな風に人が来るかわからんのに、信仰とはいえ、やっている人が居るんですねぇ・・・エライもんです・・。
31番竹林寺への遍路道は、他人の家の庭みたい所を通って山に登ります。
地図を頼りにしていても、遍路マークを見落としたらわからんじゃろうなぁ・・・・。
山の中腹には墓が所々あり、草は茂って越後屋の故郷「ゲゲゲの森」と似ています。
越後屋の本名は「スナカケババア(略してスナカケ)」と言って当時は、ちと名前が売れてましたが、「そりじゃぁ、いくらなんでも、あんまりにも可哀想だ」と、ある人が「おスナ」と変更してくれました。
遅れましたが、本人は「おスナ」と変更されて、ヒジョウに喜んでます。
そんな所を登っていくと、知らないうちに植物園の敷地内に入ってしまい、園の入場口より出て、すぐ目の前に竹林寺の山門があります。
植物園の中が遍路道のようで、遍路は無料のようです・・・・かなりキツイけど・・・・。
竹林寺の境内参道で一人のお遍路さんが鈴を鳴らし、立ち止まって托鉢をしています。
お遍路さんの服は真新しくキレイな正装で、ワシらのように汗臭くなく、汚ないカッコウをしてませんでした。
ニセのお遍路さんかもしれません・・・
ワシも、そうだから、人の事言えんけど・・・・・。
しかし、なぜか素直に、ねぎらいの言葉をかけ、お布施ができました。
ニセかホンモノか、そんな事を詮索する気は全然なく、「あぁ・・暑いのに、たいへんですね。」と自然に言葉が出て・・
昔なら、こーいう托鉢とかしてる人をウサン臭そうに見て、こいつ本物なんか?
信仰深いジサマ・バサマが、ヨメの目を気にしながら溜めこみ、少ない小遣い銭を巻き上げる不届きな奴?・・・と疑いの目で見て、無視して避けて通ったでしょう。
なんせ信仰心の無い人間なもんで・・今も無いけど・・・。
考えてみれば、今までワシらにお接待してくれた人達は、こいつらホンモノかニセモンかと一々疑わずに、ワシが今、お布施したように素直に理屈抜きでお接待してくれてたんだなぁ・・・と、ふと思いました。
越後屋(注:スナカケ)は托鉢してるのを見て、人前で托鉢するのは、もんのすごく勇気がいるので、素直に托鉢修行してるのだと思ったそうです。
ワシとちがって、単純ですなぁ(^^;
しかし、言われてみれば、ど〜いう事であれ、多くの見知らぬ人前でたった一人で何かをやるつーのは、勇気がいると思います。
この竹林寺の境内も落ち着いており良かったのですが、庭園も素晴らしいと聞いてましたので、ついでに拝園料400円払って見学してきました。
2ヶ所の見所の有る所で、ボタンを押すとテープで説明が流れます。
使いすぎたテープなのか、所々聞き取りにくい箇所がありましたが主旨はわかります。
睡蓮の葉が浮いてる池を室内から見ると、まさに水の上に建っている建物と錯覚する感じがしました。
え〜ですね〜・・・、こーいう所でボォッーと庭眺めながらゴロッと横になって、そのまま寝てしまえば・・・・
「無料接待所(都築)」は廃止されたらしいですねぇ。
そおじゃろなぁ・・・遍路のカッコウしとりゃあぁ、四国の人は親切だからタダで、どこででも泊めてくれる。
寺の通夜堂なんかは、遍路だったら泊めてくれるのが当たり前・・と思っとる人が多くなってるようだから・・・
それにも増して、一般常識とかマナーというモンを、どこかに置き忘れちまった人々が遍路と称してる人が多くなったらしい。
歩き遍路をし始めた頃、職場の同僚が遍路道近くに実家があると言うので、地元の人は遍路に対してどのように思ってるか聞いた事があります。
同僚「勝手に家の水道(道沿い)を使う人がいる(少し怒気を含んで)」
σ(*_*)「水ぐらい、ええんじゃないの?」
同僚「ええけれども、断りも無しに使うのは気分が悪い」
σ(*_*)「四国の人は遍路を嫌ってるの?」
同僚「嫌ってはいないけれどねえ・・・」
これもマナーの問題でしょうなぁ。
相手の立場になってみれば、ささいな水道でも断り無く使われるのは気分が悪いでしょうなぁ。
これを読んでるアァタも、見知らぬだれかが、自分とこの水道を勝手に使ってるのを想像してみなせぇ、そりゃあぁ面白くねぇでしょう。
ある早朝、σ(*_*)の職場付近で寝袋を抱えて歩いる人と行き違い、別に咎める気もなく「あそこで野宿したの?」「蚊がいなかったか?」と軽く声をかけて別れました・・・ホントは「立入禁止」の看板も出てるんだが・・・。
個人的にはσ(*_*)も遍路しとるの者なので、黙って野宿するぐらいは目をつぶります。
念のため野宿したと思われる所へ行ってみたら・・・・・・
アチャアァァァァァ〜〜ッッッッ!!・・・・・・・(T_T)
職場施設の白ペンキの所に、しっかりと蚊取り線香による渦巻きの焦げ跡が・・・・
この状況を職場に報告しましたが、この焦げ跡は絶対に消せず、たぶん未来永劫残るでしょう。
職場の人達はσ(*_*)が遍路をしてるのを知っており、「同じ遍路のした事ですので・・」と職員の人達に代わって謝罪し、職員の人達は追求しまへんでしたが、数日間は正直居たたまれまへんでした。
野宿の大原則は、そこで野宿した人が居たという形跡を絶対に残さない事です。
公園の東屋・駅・バス停のベンチ等、公共の場で野宿する事が有るかもしれまへん。
でも、その時は人目が有るうちは絶対にゴロッと横になったりしたらアカンです。
疲れて眠たいでしょうが起きてるべきで、それが最低限タダで泊まる時の守るべきマナーだと思う。
それがイヤだ、出来ないと言うならば、一生懸命に働いてお金をしっかり貯め、民宿なり旅館に泊まりなせぇ。
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