HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路一巡・1 遍照の響き
H20.1.26 UP
静寂な、薄暗い杉並木や竹林の遍路道を黙って歩いてます。
車が走り通る道も、やっぱし黙って歩きます。
はい、越後屋とも必要な時以外、ほとんど話しません。
歩きながら考える事は
まず第一に、21世紀の日本の将来はどうすべきか・・・・
次に全世界が平和で住み良くするには、どうしたら良いか・・・・
そして、自分のお大師様への信仰心はどうなんだ・・・・・・
と・・・いうような、マジメな立派な考えをした事は、全然ありません。
あっ、知ってましたか・・・
そうでしたか・・スイマセン・・・シクシク・・クックックッ・・ワッハッハッハッハッハッハッ(^^;
ただ・・ただ・・・ボォォッッッー・・・と歩くだけです。
歩きながら、ふと昔の事を思い出し、
あの時、こ〜言ってやれば、口ゲンカで勝てたのになぁ・・・・とか・・・
あいつには、イジワルしちゃて悪い事したなあ・・・とか・・・
今回書くお遍路のネタは、何も無いなぁ・・・とか・・・・
ど〜でも、ええことばっかしです。
越後屋も、な〜も考えんと、同じくボォッーと歩いてるそうです。
そーでなくても、ボォッーとしとるようですけど・・・・
本によればヒマなもんだから、ヘッドホンかけて音楽やラジオを聞きながら歩くのは、いけないそうです。
若いアンチャンのお遍路で一人そんなの居ましたが・・・。
ヒマだからこそ、くだらん事でも何かを考え・・・思い出し・・・自問自答し・・・・
そして、ふと道端の目を向けた花の美しさに新鮮な驚きを感じ・・、
おぉぉ・・・それでも、だんだん人並みのマジメな美しい事を、書けるようになってきたなぁ・・ワシ・・(^^;ナハハ・・・
そこから、また全く別の、どーでもよい、くだらん事を考え始め・・
思い出し・・・自問自答し・・・そんな風に歩いてます。
白状しますと、本堂と大師堂のお参りは、な〜も祈願してません。
「家内安全」「身体壮健」「ポックリ往生」「出世祈願」「大金来々」
「異性大もて」「気弱退散」「頭脳明晰」「容姿端麗」「近眼回復」
「車錆必止」「ネズミ捕回避」「伊勢エビ丸ごと必食」など・・・、
こおいうのを、ついでに頼めば、そのうちに大師様も、いくら信心が無い人間の祈りでも、気が向いた時とか機嫌が良い時に、いつか一つぐらいは、しかたなく祈りを聞いてくれるかもしりませんが、まったく無心で納札と賽銭入れて般若心経よんでおしまいです。
越後屋も、な〜も祈ってないと言っており、たまに子供の事を思い浮かべれば就職できるように、ジサマの事を思い浮かべれば、どうせなら苦しまないでポックリ逝かせて下さい・・と祈った事もあるそうです。
なお、納札には「願意」を書く所があります。
そこには、いつも自分で作った四文字の熟語?(漢字を四つ組み合わたものと言った方が良いかもしれん)を、見るもコギタナイ字で書いておりますが、何て書いてるかは・・・ないしょ(^^;ダハハハ・・・・
00/07/17記載
納札に「願意」「住所・氏名」の欄が有りますが、最初の頃は願いが特に無かったので「願意」は書かず、住所・氏名だけをマジメに書いてました。
しかし、そのうち尺八を吹きながら巡ってるんだから、これは奉納に準じとるのかもしれんので尺八の流名と竹号の方がええんじゃないか・・・
うん、その方がカッコええからのおぅ・・と一人で勝手に納得し、それを書いてました。
そのうち流名・竹号ちゅうのも、一般的であんまりオモロナイなぁ・・と、いらん事を考え始めました。
なんせ気弱と、移り気の性格がミックスしとる、優柔不断な人間なもんでして・・・
せっかく「願意」ちゅうモンがあるんだから、そこに尺八を吹きながら巡って得られるであろう理想の成果を書いた方がええかもしれんと思い、それをカッコイイ四文字の漢字で表そうと、歩きながら老化しかかった頭を使いアレコレと考えました。
今はもう、その時に書いていた四文字の創作熟語は忘れました。
なんせ、もうトシなもんで、恥ずかしい事は早く忘れたいから・・・(^O^)ナハハハ・・・
ただ、その頃に山道を歩きながら、ふと「響」という文字を入れたら、ええなぁ・・と思い、その字を入れた創作熟語を書いていたのを覚えています。
それも何時の頃からかゴチャゴチャ書くのもメンドウになり、アッサリと単に尺八の竹号一字だけしか書かなくなりました。
納札を縁が有った人に渡す時、尺八を吹いてるのを見られてない場合は本名を書きますが、見られた場合は竹号の一字だけを記してます。
遍路するのに俗世の肩書・免状・名前は不要であり、「無名の一遍路」で良いと思ってるんです。
(そお言えば、一時期「一遍路」とだけ書いてた事があるような気がする)
それじゃあぁ仏さんがσ(*_*)に用の有る時に、何と呼んでええか困るかもかもしれまへん。(^O^)
尺八の竹号一字だけを書くようになってから、なあぁ〜んか、そおいう俗世のややこしい事から、スッパリと縁が切れたような気がする。
ついでに書いておくと、その頃、四国遍路に関する本などを読んでいて「遍照の海(澤田ふじ子:著)」という小説があり、小説の中身も良かったけれど、本の題名もえらい気にいりましてなぁ。
ホームページを作った時に、この題名をパクって「海」を「響き」に替えて「遍照の響き」としました。
黙っておりゃあぁ、わからんのですが、でもσ(*_*)根が正直モンなので・・
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