HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 >歩き遍路一巡・36 縁
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雲辺寺を降り、麓付近から雨になりました。
次の寺へ行く途中に小さい白藤大師堂が有るので、そこで雨宿りと昼飯にしょうと行ってみると、雲辺寺の護摩堂で参拝していた老遍路さんが、まさに出発しようとしています。
挨拶して中に入り話をしました。
リヤカーに野宿道具を一式積み込み、53回巡ったそうです。
千日修行したり、滝に打たれての修行も何回もしたそうです。
以前書いた「庵の坊さん」の事も知っていました。
今まで疑問に思っていた、般若心経の「空」の意味を聞いたり、自分の参拝の仕方についてや、寺の仏像の件についても聞きました。
さすが、よ~知っており、やっぱり50回以上も歩いて修行されてる人は違いますねぇ。
そこへ三角寺で会った日本一周のアンチャンが、雨に打たれながら通ったので、大師堂の中へ入って休息を勧めました。
すると、この老遍路さんは、このアンチャンと徳島で会っており、偶然にも、ここでまた再会したのでした。
アンチャンは今日の野宿場所を探しており、どこかに有るかと老遍路に聞くと教えてくれましたが・・・・そのあと・・・・
老遍路「本当は、教えない方が良い場合も有る。
教えたゆえに脇目もふらず、君はその目標地へ急ぎ、もし教わらなかった場合、途中で他の人に道を聞く等の良き出会いが有ったかもしれない。
そしてその時に、何かを得るべき物が有ったかもしれない。
今ここで君に教えたために、その良き出会いのチャンスを失った場合、ワシは罪を作った事になり、これは全て「縁」である。
自分も歩いていて、なぜか急ぐ時もあるし、ゆっくりしてしまう時もあるが、その先には必ず何かがあって、この出会いのためだったのか・・と思う事がある。
良い出会いもあるが、悪い出会いもある。
しかし悪い事が有っても、それは次ぎの良き出会いのために、大いなる布石なのかもしれない。」
この老遍路さんも、庵の坊さんと同じく「縁」というものを言いました。
庵の坊さんや、この老遍路と会ったのは、ワシにとっては、もんのすごく重要な「出会いの縁」だったのでしょう。
今回、64前神寺から65三角寺の麓までは、車移動して「ズル」しましたが、この「ズル」をしなかったら・・・
あるいは護摩堂で、老遍路と会っていなかったら・・・
また雨が降って、老遍路の出発が遅れなかったら・・・・
わずか数分の違いで擦れ違い、このような話を聞く事もなかったでしょう。
まさに「出会いの縁」を、深く感じる雲辺寺でした。
よく車遍路よりも「歩き遍路」の方が、エライとか価値が有ると誉められますが、ワシは別に車遍路が悪くて、歩きが良いとは思ってません。
歩きの時間や金の都合つかない人もいるだろおし、体の不自由な人やトシヨリの人等は、どおしても車でなければアカンです。
いつか書いたと思いますが、歩き遍路は現在の世情で一番ゼイタクな事をやっとるんです。
むしろ、車やバスで巡ってる人の方が、ワシよりも信仰心が、ズゥッ~と厚いと思っとります。
しかし、歩き遍路の方が老遍路の言う「出会いの縁」が一杯あり、それこそ、何百・・・何千倍も・・・・。
その点、車遍路の人達は、この「出会の縁」いが極端に少なく気の毒に思います。
88箇所の寺は、単なる通過地点であり、な~もアリガタイと思ってません。
そこへ行くまでの過程にこそ、本当のお遍路の価値・意義が有ると思っており、老遍路も同じく、この過程にこそ意義があると言ってました。
ついでに言うならば、この老遍路さんは、けっこう寺の坊さんや納経所の人とケンカしたそうです。(^^;
坊さんが、寺を私物化しとる態度の時は、
「寺は皆の物であり、オメエ個人の物でないはずだ。」
納経所の態度が悪い時も文句を言い
「皆は納経所に頭下げて、納経帳を書いて貰っているが、あれは本当は納経所に書かせてやって、その手間賃に300円払って やっとるんじゃ。
それを、エラソーに書いてやってるんじゃという態度とりやがって・・輪袈裟の一つでも掛けてから、書けと言いたい。」
うむ・・・また、寺の悪口を書いてしもおたなぁ・・・。(^^;
00/11/19記載
ちと重複しとりますが、老遍路が日本一周のアンチャンに野宿場所を教えた時の状況は、第一章 徳島「11出会いの縁」に記載してあります。
その日、大興寺よりバイクで車を取りに行く途中、雨の中を日本一周のアンチャンが野宿場所へ向かって一生懸命に歩いてる姿を見ました。
次に出会ったのは、夕暮れ迫る善通寺境内で、これが最後でした。
遍路してる時は、ほんのわずかな時間差で偶然の「良き出会いの縁」という事が多々ありましたが、日常生活でも気付かずに、こおいう事も有ると思います。
尺八を吹いてなかったら・・
そして日本一周のアンチャンという配役が居なかったら・・・
たぶんこのような「出会いの縁」の話しは、一生を通じても聞けず、また知らずに終わったかもしれまへん。
まさに尺八を吹き巡っていたがゆえの「出会いの縁」だと思います。
掲載写真の神恵院は、σ(*_*)が3巡目に行った時は廃堂になっておりました。
そのうち取り壊されるかもしれんので、掲載した写真は貴重な部類に入るかもしれまへんなぁ。
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