HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路一巡・37 納札
H20.5.10 UP
某寺にて参拝が終わり山門を出ると、寺に入る時には居なかったお遍路姿の人が、仁王様の前にゴザ敷いて座禅組んでます。
座ってる前に「托鉢修行中です」と書いた紙と鉢が置いてあり、鉢には硬貨が数枚入ってました。
そのとき団体参拝客が、ドォドォォッ~ッ・・と潮のごとく入って来て、ワシはその人波に溺れそうになり、団体参拝客は修行中のお遍路さんを見ても「こいつ何しとるんじゃ」という感じで無視して行きます。
一人のオバチャンなんかは、仁王様を見るために、托鉢しているお遍路さんなんぞ眼中に無いが如く、邪魔だといわんばかしに、仁王様とお遍路さんのスキマへ入って行きます。
服装・雰囲気などから見ても、ホンモノの遍路さんではないような気がします。
しかし、たとえニセモノでも、人前でこういう事を一人でするのは勇気がいり、また同業相哀れむとも思い、数枚の硬貨を鉢に入れながら「ごくろうさまです」と小声で言うと「ありがとうございます」と、これまた小声で答えました。
すると、さっきまで無視しとった団体客の後続部隊は、ワシがお布施したのを見て、我先に次々と鉢に硬貨を入れるじゃねぇですか。
な・・なんじゃぁ・・・・ワシは「さくら」の役か?・・(^^;)オイオイ
しかし、こ~いうのを見ると、日本人の気質を、よ~わかりますねぇ~・・・。
だれかがやらない限り、自分から行動を起こさず、だれかがやったら、次々と他人と同じ事やらんとアカン思うて・・・・
自分の主義主張ちゅうもんは無いんか?・・・(^^;)ワラッチャウネ・・・
その駐車場で椅子に座っていたジサマが、ワシにどこから来たかと尋ね「やる物が有るから、近うよれ」と言います。
おぉぉ・・何くれるんかな(^^;)・・と喜んで行くと、服の懐から封筒を出し・・おぉぉ・・・札束か?(^^;)ワルイナァ・・と思ったら・・・
ゲェゲェェッッッ(*_*)・・・・こ・こ・・こりは・・・・なんとト・・・
お遍路さんなら、たいていの人が欲しがり・・
人によっては根性出して、他人の非難の眼差しもなんのその・・・・
ワシさえ良けりゃいいんじゃ・・・と納札箱を掻き回し、ヒックリ返してでも探すという伝説があり、マボロシとも言われてる「錦札」じゃねぇですかぁぁぁ~・・ !(^^)!。ヤッホー
ジサマ 「281回の錦札じゃ・・・
これを枕の下に敷いておくと、頭痛いのが治る」
で「あのぉ~・・歩いて巡られたんですか?
(それならば、ぜひともアリガタイお話を、正座して聞かんと)」
ジサマ「いんやぁ~・・ワシじゃなくて、人から預かってるんじゃ・・。
○○の人でタクシーで回ったんじゃ。(^^;)エライモンジャァ~」
なぁ~んだ、タクシーでか・・・・・と正直、ガッカリ・・、それでも顔には出さず、うれしそうにお礼を言いました。
先日の「出会いの縁」を教えてくれた老遍路さんは、歩き遍路を50回以上しており「金札」と思います。
ヒョットしたら、そんな札の種類にとらわれず白札のまんまかもしりませんし、また持ってないかもしれません。
老遍路さんのは金札だからという意味ではなく、記念の意味で白札でも良いから欲しいと思ったのですが、あえて納札の交換もせず、名前も聞きませんでした。
そのような事に、こだわる人でないようだったので・・・・。
庵のお坊さんなら、錦札を見せられても「それだけ多く巡って何を得た?」と言って、きっと鼻先で笑い飛ばすでしょう。
もっとも、その錦札で何かが治るとか、どおとかなると心底信じてる人には、それはそれで十分に存在意義が有ると思います。
今までにも回数の多さだけを誇る人の話を何回か聞きましたが、それも意義有る事でしょう・・・しかしなぁ・・・別に車遍路がアカンと言うわけでなく・・うまく言えんけど・・・・・
1回歩いても、まだ遍路の事は何もわからない。
2回歩いて、ようやく何かが少しわかり、
3回歩いて、やっと遍路とは何かが、わかって来ると聞いてます。
ましてや、ワシなんか、途中ズルしとるからなぁ・・・・
今まで、自分から求める事なく金札2枚と銀札1枚を貰いました。
そのうちの銀札は、ある庵への道を尋ねた時、道端に座ったまま教えてくれただけの、やがてお迎えが来そうな、名も知らないバサマにあげました。
信仰深そうだったし、ワシが持ってるよりも、この人なら本当の意味で喜ぶと思って・・。
今回貰った錦札と、越後屋が貰った金札は、今後も歩いてる途中で、たぶん過疎地の・・・この人ならという・・やっぱし、お迎えの近いジサマかバサマにあげるつもりです。
残る法輪寺で出会って話をしたジサマから貰った金札の1枚は、最後まで記念のため残しておきます。
00/11/23記載
錦札・金札を欲しがる人には、なかなか手にする事ができないようですが、どうでもええや・・と思ってる信心の足りんσ(*_*)には、今まで何故か次々と手に入るんですよねぇ。
手に入る毎に、途中で縁の有った人達に「自分のではありませんが・・」と断って惜しみなくあげましたが、それでも今現在、手元に2・3枚残ってます。
回数的に言えばσ(*_*)の納札にも色が付いてもええようですが、しかし、これから何回巡っても、ずうっ~と白色の納札を使用していくつもりです。
納札に色が付くと、何がどう変わるのじゃろうか。
単に巡った回数を自慢するだけの自己満足の世界じゃねえのか・・・と思う。
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