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尺八を携え歩いた四国遍路  H20.5.10 UP 


錦札

托鉢遍路

 某寺にて参拝が終わり山門を出ると、寺に入る時には居なかったお遍路姿の人が、仁王様の前にゴザ敷いて座禅組んでます。

 座ってる前に
「托鉢修行中です」と書いた紙と鉢が置いてあり、鉢には硬貨が数枚入ってました。

 そのとき団体参拝客が、ドォドォォッ~ッ・・と潮のごとく入って来て、ワシはその人波に溺れそうになり、団体参拝客は修行中のお遍路さんを見ても「こいつ何しとるんじゃ」という感じで無視して行きます。本山寺

 一人のオバチャンなんかは、仁王様を見るために、托鉢しているお遍路さんなんぞ眼中に無いが如く、邪魔だといわんばかしに、仁王様とお遍路さんのスキマへ入って行きます。

 服装・雰囲気などから見ても、ホンモノの遍路さんではないような気がします。

 しかし、たとえニセモノでも、人前でこういう事を一人でするのは勇気がいり、また同業相哀れむとも思い、数枚の硬貨を鉢に入れながら
「ごくろうさまです」と小声で言うと「ありがとうございます」と、これまた小声で答えました。

 すると、さっきまで無視しとった団体客の後続部隊は、ワシがお布施したのを見て、我先に次々と鉢に硬貨を入れるじゃねぇですか。

 な・・なんじゃぁ・・・・ワシは「さくら」の役か?・・(^^;)オイオイ弥谷寺 俳句茶屋

 しかし、こ~いうのを見ると、日本人の気質を、よ~わかりますねぇ~・・・。

 だれかがやらない限り、自分から行動を起こさず、だれかがやったら、次々と他人と同じ事やらんとアカン思うて・・・・

 自分の主義主張ちゅうもんは無いんか?・・・(^^;)ワラッチャウネ・・・

錦札

 その駐車場で椅子に座っていたジサマが、ワシにどこから来たかと尋ね「やる物が有るから、近うよれ」と言います。

 おぉぉ・・何くれるんかな(^^;)・・と喜んで行くと、服の懐から封筒を出し・・おぉぉ・・・札束か?(^^;)ワルイナァ・・と思ったら・・・俳句茶屋 障子

 ゲェゲェェッッッ(*_*)・・・・こ・こ・・こりは・・・・なんとト・・・

 お遍路さんなら、たいていの人が欲しがり・・
 人によっては根性出して、他人の非難の眼差しもなんのその・・・・

 ワシさえ良けりゃいいんじゃ・・・と納札箱を掻き回し、ヒックリ返してでも探すという伝説があり、マボロシとも言われてる「錦札」じゃねぇですかぁぁぁ~・・ !(^^)!。ヤッホー

ジサマ 
「281回の錦札じゃ・・・
   これを枕の下に敷いておくと、頭痛いのが治る」


「あのぉ~・・歩いて巡られたんですか?
  (それならば、ぜひともアリガタイお話を、正座して聞かんと)」

ジサマ
「いんやぁ~・・ワシじゃなくて、人から預かってるんじゃ・・。
    ○○の人でタクシーで回ったんじゃ。(^^;)エライモンジャァ~」


 なぁ~んだ、タクシーでか・・・・・と正直、ガッカリ・・、それでも顔には出さず、うれしそうにお礼を言いました。

 弥谷寺  弥谷寺  弥谷寺

 先日の「出会いの縁」を教えてくれた老遍路さんは、歩き遍路を50回以上しており「金札」と思います。

 ヒョットしたら、そんな札の種類にとらわれず白札のまんまかもしりませんし、また持ってないかもしれません。

 老遍路さんのは金札だからという意味ではなく、記念の意味で白札でも良いから欲しいと思ったのですが、あえて納札の交換もせず、名前も聞きませんでした。弥谷寺よりの遍路道

 そのような事に、こだわる人でないようだったので・・・・。

 庵のお坊さんなら、錦札を見せられても「それだけ多く巡って何を得た?」と言って、きっと鼻先で笑い飛ばすでしょう。

 もっとも、その錦札で何かが治るとか、どおとかなると心底信じてる人には、それはそれで十分に存在意義が有ると思います。

 今までにも回数の多さだけを誇る人の話を何回か聞きましたが、それも意義有る事でしょう・・・しかしなぁ・・・別に車遍路がアカンと言うわけでなく・・うまく言えんけど・・・・・

 1回歩いても、まだ遍路の事は何もわからない。
 2回歩いて、ようやく何かが少しわかり、
 3回歩いて、やっと遍路とは何かが、わかって来ると聞いてます。

 ましてや、ワシなんか、途中ズルしとるからなぁ・・・・

 今まで、自分から求める事なく金札2枚と銀札1枚を貰いました。曼陀羅寺/不老松/笠松

 そのうちの銀札は、ある庵への道を尋ねた時、道端に座ったまま教えてくれただけの、やがてお迎えが来そうな、名も知らないバサマにあげました。

 信仰深そうだったし、ワシが持ってるよりも、この人なら本当の意味で喜ぶと思って・・。

 今回貰った錦札と、越後屋が貰った金札は、今後も歩いてる途中で、たぶん過疎地の・・・この人ならという・・やっぱし、お迎えの近いジサマかバサマにあげるつもりです。

 残る法輪寺で出会って話をしたジサマから貰った金札の1枚は、最後まで記念のため残しておきます。

      出釈迦寺         甲山寺

                        00/11/23記載



編集後記(納札)

 錦札・金札を欲しがる人には、なかなか手にする事ができないようですが、どうでもええや・・と思ってる信心の足りんσ(*_*)には、今まで何故か次々と手に入るんですよねぇ。
善通寺
 手に入る毎に、途中で縁の有った人達に
「自分のではありませんが・・」と断って惜しみなくあげましたが、それでも今現在、手元に2・3枚残ってます。

 回数的に言えばσ(*_*)の納札にも色が付いてもええようですが、しかし、これから何回巡っても、ずうっ~と白色の納札を使用していくつもりです。

 納札に色が付くと、何がどう変わるのじゃろうか。
 単に巡った回数を自慢するだけの自己満足の世界じゃねえのか・・・と思う。


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