HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 >
歩き遍路二巡・2 阿部御水大師
H20.7.7 UP
でぇかん、越後屋と語り合いて再び遍路を行ふ。
その場所、徳島県由岐町。
22番「平等寺」より23番「薬王寺」間の道、別に有るも遠回りになるゆえ、余り遍路が通らないと思われる「阿部・志和岐谷」経由の道中なり。
その途中「阿部」なる付近に、「金龍庵御水大師」なる霊場有りと古より伝わり今に残る。
越後屋と手に手を取りあいて歩み、JR阿波福井駅より室戸方面へ国道を200mほど進む。
そこに山手に向かう踏切有り、すぐに小さき「中連」集落へ入りて、その踏切のガードに遍路印有り。
昨年会った遍路の一人、この入る道わからず困惑し、しかたなきゆえ他の車道から行ったと聞く。
その時に、この遍路印有ったか否か、今は昔。
小さき集落に、これまた小さき川の流れ有り。
遍路指南書図面に、この川の流れに沿って上がるように破線の印あり。
しかるに、集落入口付近に橋ありて二手に分かれるも、遍路印無し。
どの道へ向かへば良きかと、しばし越後屋と悩み狼狽し遠吠えす。
日曜の早朝ゆえ、集落の人民は寝、または朝餉、それとも電子画像を見ているのか道端に現れず。
意を決し、橋を渡らずそのまま川を右手に見て道を歩む。
人家が途切れる、ようよう最後の一軒家にバルコニーで洗濯物を干している婦人有り。
「この道で良きや」と尋ねれば、快く「この道は、「四国の道」となっている。」との答え有り。
言われてみれば、踏切を渡りてすぐに「四国の道」の表示有り。
されば、遍路道も「四国の道」と一致している可能性大なりと解釈し、礼を述べて越後屋と安堵し道を歩む。
しばし歩みつつ「四国の道」の表示は、所々有れども、見慣れたる遍路札は見あたらず。
番外霊場への道ゆえ、遍路の歩くは年に数人程度と思われ、遍路札は無きものと推察す。
さらに川に沿って歩む事数十分、川の流れも消え去り、山中の分かれ道に「四国の道」表示有り。
しかるに、この表示見落とす可能性大なり。
峠を越し車道に出る。
しばし、この車道を歩み行くと、遠くの人家より犬が吠えるなり、注意必要。
車道を歩むこと数十分、小さき川に「やよい橋」有り。
その橋を渡って、すぐ右手の山に向かって歩む。
しばし、歩めば人家一軒有り、犬がいて、こちらを見ている。
また吠えられるかと、心細く歩むるも飼い主近くにいて、やや安心す。
犬もシツケが良いのか吠えもせず、越後屋と手に手を取りあひ、ただひたすら喜ぶ。
この山道も、遍路札無き事、いと寂しけれ。
峠を越して下り道、初めて薄汚れたる布の遍路札を見る。
こころみに手に取りて見つめれば、平成11年1月吉日なり。
近くに、さらにもう一枚、別の人なるも同じ日なり。
今を去る事二年前、二人の婦人が、ここを通った証と、しばし山中静寂なる遍路道に立ち止まりて、その人達の事を偲ばん。
さらにこれより「明神山」といふ、高き山に向かふ山道を左に見て、麓に降り立つ。
麓の畑近くに、いと綺麗なる水が流るる川が有りて、川に沿い降り「阿部」の集落も間近となる頃、頭上に県道の橋有り。
ふと見上げれば、この県道に上がる階段に遍路印有り。
しかるに指南書図面には、この川に沿ひて集落へ行くよう指し示す。
指南書図面を開き、足の痛きをガマンして、階段を上がり戻りつつウロウロと確かめ、さ迷ひ付近を放浪す。
越後屋の「ええい・・ウロたえるな。落ち着かんかぁ。(-_-;メ)」と言ふ声も聞こえず、再び悩み越後屋と涙にくれて遠吠えす。
階段の上に遍路矢印有り。
ここまでしてあるには、矢印を信用せざるを得ず、県道を歩む。
しばし歩みて、二手に道が分かれる。
一方は「阿部」へ向かひ、また他方は別の集落へ向かふ表示有れども、目的の「御水大師」の表示は見あたらず。
頼りの遍路印も無く、しばし越後屋と再びウロたえる。
ここで、またもや遠吠えすると、恥ずかしいので、それはヤンピして、わからんなりに「阿部」へ向かう。
畑仕事する老婦に「この道は阿部に向かうなりや」と問えば、「正なり」と答うる。
しかるに歩みつつ、この道途中より人家密集せる庭先みたい所へ通じており不安にかられる。
おりよくその辺から出て来た、通称オバハンに「御水大師へ、この道は通じるなりや」と問えば、「あぁた、それは道が違っておる。あの道へ行かねばならぬ」と、先程の別の集落へ行く道を教えられむ。
痛い足をいたわりつつ道を戻り、教えられし道を歩むことしばし、再び二手に道が分かれるなり。
一方は「阿部」、また一方は別の集落なり。
さらに遍路印無し・・天は、ついに我らを見放したのか。
指南書図面は「阿部」からの道が示してあるゆえ、とにかく「阿部」に着かねば「御水大師」に行けないという、はなはだ単純なる頭脳の先入観有り。
海岸が見え、港へ向かふ下り坂を曲がった所にて、呆然とたたずみ海を眺むる独りの翁有り。
翁に「お水大師は、何処なりや」と尋ぬれば、今来た道を引き返し、別の集落に向かう道を歩み、その1kmほど先に有り。
看板出てると、聞き取りにくい言葉で教えくれゆる。
泣きたい気持ちで引き返し、翁の言ふ通り「御水大師」所在せり。
清水わき出る小さな所なり。
次に向かうは、「日和佐」在する「薬王寺」。
指南書図面によれば「阿部」の海岸付近を通り、対岸の山に登りて県道に出る道有り。
ここで、あくまでも指南書に従い「阿部」を通るか、今、来た県道の道を歩むか再び悩む・・何度悩めば良きか・・人間、こおして少しずつカシコキ人と成りうるのであろう(;;。
県道は集落をかなり大回りし、いと距離があり、疲労多大と思わゆる。
越後屋は、もう道に迷うのがいやで、最初から県道を歩む気持ちがみえみえであり、気の弱い、でぇかんは、それに逆らえないカワイソウな性格である。
しかるに先程の県道の橋にて、指南書図面が、どおしても正しい気がするゆえ、川に沿い下り確かめんと欲し、越後屋に勇気を出して進言す。
しかれども越後屋、冷たく「ここで待っている」言い放ち、座り込みソッポ向く。
孤独感に襲われたでぇかんは、寂しさゆえ涙さしぐみ川に沿い歩む。
畑に居る老婦に「この道は阿部に向かい、○○旅館・郵便局・神社に通じるや」と指南書図面に記してある目標物を聞き尋ねると「全て有り、通じる」との答えに満足し県道の橋に戻る。
しかるに後ほど指南書図面を、良くよく見れば「県道橋下をくぐる」と記してあり。
また、こちらが問い尋ねたる目標物も別々であったゆえ、混乱生じたと反省し、少しカシコクなったと自賛す。(^^)
大回りの県道を歩み、「阿部」集落を最後に見る鹿ノ首岬の上に出る。
この高台より太平洋を望む景観は、すばらしき雄大なものなり。
以後、左に太平洋を眺めつつ山腹を歩む。
県道ながら通り行く車、いと少なきゆえ、歩きには、はなはだよろしい。
この道、平等寺より薬王寺の間、遠回りになれども、時間の許される人に奨む。
また、「志和岐」までの間、吹きさらしの休息所有れども、途中人家無し、トイレ無し、自販機無し、水無し。
行き交う人も無く、たまに車が通る曲がりくねった道なり。
休息所を過ぎたる岬を回ると、間近に見える次の対岸の潮見岬は深く懐が入り込む。
道は延々とその深き入り江の山腹を終わる事なく走るを見て、この遙かなる遠き道を、向こうの岬まで歩かねばならんのかと、しばし絶句し、越後屋と口を開けて閉じるを知らず。
対岸、潮見岬先端まで、歩んで約50分、距離約4km。
潮見岬に、「潮吹展望台」有り。
しかるに展望台は道より離れたる所に有るため寄らず、すぐ近くの「四国の道」へ入る。
この道は「志和岐」へ向かう道なれど、やはり遍路札無し。
「志和岐」漁港を通り、真新しきトンネルを通り三叉路に出る。
一方は「由岐」、他方は「阿部」なりて、先の県道と通じ、ここで久々の遍路印を見る。
途中の自販機で、温かい西洋茶を購入し道端の歩道に座って飲す。
地元の人、あまり通らない遍路姿が珍しいのか、我らの小汚いカッコウが珍しいのか、通りすがりにジロジロ見ていく。
原付自転車の爺なんぞ、わざわざ速度ゆるめて後ろを振り返りつつ通り過ぎ行く。
ワシらが、そんなに珍しきや、よそ見運転して転ばにゃいいがと、茶を飲しつつ、いらん心配をす。
由岐町付近にて、「由岐分岐・由岐坂峠越え」からの「志和岐谷合流点」に達す。
由岐小・中学校を左に見て、由岐町入口付近の三叉路に遍路印有り町内へ進む。
01/03/01記載
この頃は、デジカメを買ったばかりで、あまり写真を撮っていまへん。
今思うと、もっと撮っておけば良かったと思う。
これ以外の箇所でもデジカメを撮ってるんですが、越後屋との記念写真的なポーズを取ってる写真のため、見苦しい物を見せるとアカンので載せてまへん、悪しからず。
HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 前ページ 次ページ
以下、広告です。