4 道探し
(平成遍路至難書)


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 歩き遍路二巡目・4 道探し(平成遍路至難書)H20.7.21 UP

廃れ遍路道探し

古目関所跡

 古の昔、阿波國と土佐國の國境に、山を隔てて遍路を改むる関所有りと伝ふ。

 「古目関所(徳島側)」「甲浦関所(高知側)」と言ひ、今となっては小さき石碑が残るのみ。

 この関所間の遍路道、遍路図面によれば「道が荒れている」といふ注意書き、破線で道を記す。

 しかるに昨年ここを通りしおり、どおしても古目関所から甲浦関所に通じる道が見当たらず、わからぬまま古目関所跡前の舗装道路を、そのまま真っ直ぐ歩み、山の中腹付近にて道無く行き止まり、呆然として越後屋と涙さしぐみ引き返す。

 その後に会いし遍路の一人に、この道の事を尋ねれば、その人も同じく道がわからず行き止まりの道を歩みて戻ると言ふ。

 この古目関所跡付近、広大に整地され山へ通じる遍路道は失われ、今は荒れ地となり、今後おそらくその付近一帯に人家・工場等が建つと思われる。

 されば古目側からの道の探索を断念し、甲浦側からこの道を探し求め、切り開けば、
 何とかならんか・・何とかなるかもしれん・・・何とかなるはずだ・・
 そうとも、何とかなる・・でぇじょうぶ、安心せい・・
 ワッハッハッ(^^;・・・と一人勝手に思い喜び

 後に続く遍路の一助けにならんと、花粉症で、しぶる越後屋を説き伏せ、なだめすかし廃れし遍路道探索に出向く。

甲浦関所跡

 甲浦関所跡、漁港奥まりし所に有りて、そこから山に向かふ道と見当をつけ、狭い民家の道を進む。

 途中、一軒の小さき髪結所有りて、老亭主に
「この道は、徳島側へ抜ける道なりや」と尋ねる。

亭主
「そりやぁ、昔は・・通じておったが、
   今はだれも通らず、獣道と成り果ておる。

   この道を行くと、やがて橋があり、そこに大きな岩があるので、
   それを右側に進むが、たぶん道が無いであろう。」


 と、今さら、何でこんな、わからんようになった道を探す気になっとるんか、物好きな人物じゃ(^^・・と、亭主の顔にデカク書いてある。

 その顔を見つつ亭主に礼を言い、
「鎌を借そうか」との申し出有りしが、今回は探索のみと思い、たぶん大丈夫と丁寧に断る。

 言われるまま進むと確かに橋有り、すぐに大岩有りて右に進む道有り。
 
「この程度の荒れ具合なら、大したことないわい。」と不適に笑ふ。

 しかるに、そ;から数十m進めば、イバラが服を引っかけ始め、シダが道を覆い始める。

 
「うむむ・・だいぶ、それらしくなって来たが、まだなんとかなるわい。」とヤセガマンをしつつ進み行く。

 山の中腹付近にて道が不明となる。

 そこらを探しまわり、茨に引っかかり、小枝を折り、シダが何年も枯れて、小山のように塞がるのを杖で、ぶっ叩き、ようよう道らしきと思われるものを発見、さらに進む。

 この頃、ようやく亭主の言ふとおり、鎌を借りておけば良かったと思ひ、トシヨリの言ふ事は聞くもんである。

 しばし進みて、頂上が見えし所で、山頂に立つ電力柱を遠望す。

 電柱有りし所は、古目側から見た所より、かなり離れており方向を間違えたと確信し、見渡せば道は方向的に右の谷間付近と思われる。

 今来た道を引き返し、先程の道が不明になった所へ戻る。

 付近を再び探索し、先程はあまりにもシダの枯れたのが山ほど有ったため、あきらめし所なれど、杖で再びぶっ叩き、薙払い、踏んづける。

 杖による最後の一打をしようとした時、失敗して空振りするも・・その時、見よ。!!・・・・・

 押し寄せていたシダの群生は音も無く、たちまち両側に真っ二つに分かれ開き、シダの枯葉は壁となり、または粉となりて宙を舞いて道を差し示す。

 そのため越後屋は花粉症によるクシャミ・鼻水を垂れ流し、見事なる杖の奇跡に感涙す・・・・

 皆の衆、伏し拝んで喜べ。!(^^)!・・・と言うような事は、全くな~も無く・・・ようよう道らしき物を発見す。


 山頂まで、あと200mほどと思わるる頃、ついに背丈ほどのシダの群生が周りを取り囲みて、道が途切れる。

 今まで遍路道を歩み経験より、この道たとえ通れしとても、遍路図面どおり「かなり荒れている」と言わざるを得ず。

 屋島の遍路道を復興した時も、たぶんこのような道であったろう。

 地元の道知る人の協力無きは、復興は難しきと思われ、途中、道かもしれんと思われる場所も何カ所かあり、今回探索した道も本当に正しきものかと、未だ確信が持てず。

 古目関所跡地に戻りて、遍路札に略図を描き「この先行き止まり」「遍路道不明」と汚き字にて記し、付近の畑の小枝にぶら下げる。

 道を存じる人有れば、教えを乞ひ求む。

      山のかなたの空遠く、道が有りしと遍路図面言ふ
      我、越後屋と語りて、廃れし道を探しゆる

      イバラとシダの、なお遠く、道があったと人が言ふ 

                            01/03/14記載



  編集後記

 この道は最新版の地図に記載されているかどうか、わかりまへん。
 たぶん記載してないんじゃないかな?

 この記事は「第一章」「高知 1 難所」にも記載しています。

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