HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路二巡・6 迷い人
H20.7.26 UP
前方にユックリ歩く一人の遍路在り。
後ろから見て越後屋と、あの遍路は男だ・・女だ・・と言ひ合い、挨拶しながら追い越し見ると70才くらいのバサマで、ワシが勝った。
別に勝ったからといって、1億円貰えるわけじゃねえんだけども・・しかし貰えたら、うれしいなぁ。
しばらくして高速道路下の町道?から愛染院へ入る遍路道へ来た時、あのバサマは、この田んぼの畦道へ入るのが、わかるかなぁ・・と思いつつ歩み、途中にてしばし待つ。
この田んぼの畦道、古い遍路石に掌の形で行き先を指さしておりしが初めての人は疑ひ迷ふ。
遍路マークは手前に有りしが、この畦道が遍路道と思わずに、まっすぐ、そのままの道を歩む人多しと聞き、また遍路札は田んぼの中にて、取り付ける事ができず。
待つ事しばし、やがてバサマ現れ、やっぱし遍路石の所で、かなり迷ってる様子なり。
遠くから声を掛け手で合図したら、やっと、それがしの姿に気づき、頭を下げて畦道を渡って来る。
愛染院にて休息していると、やがてバサマも現れ一緒に休息し、聞けば秋田より、たった一人で来て、薬王寺まで行く予定との事。
先の虚無僧も後より来しが、やっぱし遍路石の所で迷い、200mほど真っ直ぐ進んでしまひて引き返したとの事。
バサマ曰く、初めての遍路で、しかも方向オンチなもんで助かった。
できれば途中まで一緒に歩いて欲しい・・・と言ひ、一緒に愛染院を出る。
大日寺にて、大きい荷物を背負った若い歩き遍路に会ふ。
このアンチャン、遍路の地図を持っていなく野宿しながら一巡する予定と言い、ワシが一巡経験者と知ると、歩く時の参考意見を聞いてきた。
それに答えていると、先程の秋田のバサマも一緒に聞かせてくれと熱心に質問する。
特に遍路道沿いは、例え町中を通っていても、食堂が無い所の方が多く、食堂を見つけたら、ウドンはキライじゃ・・ラーメンは喰いたくない・・・とゼイタク言わずに、早めに腹ごしらえした方がええ。
また、山中などには自販機も無く、店も無い所が有るので、必ず一食分の非常食は持っているように。
ワシはカロリーメイトを、いつも1箱持っていると言うと、カロリーメイトは思いつかなかったようで、えらく感心されてしまふ。
皆、それぞれに寺を出発し、地蔵寺で再びアンチャンと会ふ。
このアンチャン、就職が決まったけど気が弱くて辞めちゃい、彼女も居たんだけど、自分の言った何かの一言が原因で相手を傷つけ疎遠になった。
四国を一巡したら、少しは自分の何かが変わるだろうかと思ひ遍路すると言ふ。
「大丈夫、必ず何かが変わり、何かがわかる。
ワシも一巡して何かが変わった。」と励まし別れる。
越後屋、道中しきりに曰く、あのアンチャン・・ホントに気が弱そうで最後まで巡れるだろうかと気にかける。
地蔵寺の近くの食堂で昼飯を食べ、歩き始めたすぐに一人の遍路が道に迷ひ、そこらをウロウロして行きつ戻りつしている。
声を掛ければ、先程の秋田のバサマでねえか・・・・。
食堂を探して、さっきからここら一帯を歩き回っているが、もう・・・腹が減って、腹がへって・・と泣きそうな声で言ひ、ここでワシらと出会ったのも、大師様が助けに現われたようだと深々と頭を下げ言われちゃい、だいぶ信仰心が厚いバサマのようである。
このバサマも、遍路の理由は言わなかったが何かがあり、はるばる遠く離れた地より、老いた身でたった一人で遍路する決心をして来たのであろう。
ワシらが食事した、すぐ近くの食堂を教えしが、ワシとしては、アンチャンよりも、この方向オンチのバサマの方が心配である。
「職業遍路」と言う言葉があり、某寺にて挨拶をしたきっかけで話す機会があった。
門前で托鉢して巡っており、1日1000円あれば、その日は喰っていけると言う。もちろん、全部野宿で・・・。
88カ所寺のうち、門前で托鉢を許可してくれるのは20寺ぐらいで、境内で托鉢するのは許可されず、やはり竹林寺境内で托鉢していた遍路はニセモンだったようだ。
気になる托鉢は、どれくらいお布施が集まるかと問えば、4時間やって3000円くらいという。
托鉢したお布施の何割かは、寺に納めるのかと問えば、お大師様から貰ったものであると言うことで、寺に納めなくても良い。
しかし、高野山の坊さんの托鉢の場合は、600円だけを手元に置き、残り全部を寺に納めなければアカンらしい。
托鉢は自分を殺し、全てを捨て恥ずかしさに耐えねばアカン。
寺の門前以外の、どっかそこらの適当な道端で托鉢するのは乞食と同じになり、そこが遍路の托鉢とちがうところだ。
いつぞや、ワシが門前で托鉢しとる人にお布施したら、今まで知らん顔していた団体が次々とお布施して行った話しをすると、そおいうもんで、引率しとる先達がお布施をすれば、その団体の人は次々とお布施してくれるが、知らん顔して行く先達の場合は、まずその団体も通り過ぎるだけだと言う。
だいぶ永い間、遍路しているのか?と聞いたが、黙って笑い答えてくれなかった。
以前、東京に住んで居たという事は、話してくれたが・・・・
01/03/26記載
先日、日和佐へ行った時
で 「おぉぉ・・珍しくも、この道を逆打ちしとる人がおるのぉ。」
越 「ほんに・・・」
で 「おぉぉ・・ここにも逆打ちしとる人がおる。
しかもバァサマで・・・」
越 「あぁぁ・・・・車止めてぇ!!
こらぁ~・・・止めちゅうとろおがぁ・・・」
で 「はん?・・・どおした?」
越 「あのバサマ、この間会ったバサマみたい。」
で 「まさか・・・あの、よ~迷子になりそぉなバサマが・・・」
越 「ええぃ・・止めちゅうとろおがぁ・・・見てくる。」
パタンと大きい音させて、越後屋が車を降りる。
車は橋の真ん中に止めたので、通行する車にジャマになっており、ワシは運転席で遠慮して顔見られんように下を向いてる。
越 「やっぱし、そおだった。
今、郵便局から荷物を送るところだって・・。」
聞けばバサマは、あれから藤井寺より柳水庵で泊まるつもりだったが、柳水庵に午後3時ころ着いので、庵の人が止めるのも聞かず、焼山寺までコンジョ出して登ったそうな。
着いたのは、たぶん夕方近くだったろぉ。
最初に会った時は、初めての遍路でオドオドしていたが、今は会ってみると、すっかり自信あふれる様子である。
やはり、焼山寺・鶴林寺・太龍寺の山越えして、この薬王寺まで歩いて来ると、人は変わるのかもしれない。
あれから8日たっていた。
01/03/30記載
その頃は寺の門前付近で許可を得れば托鉢も出来たようですが、年々厳しくなり最近は許可されにくくなっているようです。
σ(*_*)が寺付近で許可も得ずに勝手に托鉢した経験上、確かに寺門前付近で托鉢するのはお金の入りが多いと思う。
しかし、今思うとそれはやっぱし信仰心よりも金が目当てじゃなぁ。
σ(*_*)の場合は、最初は度胸試しという事もあったが・・
話しは変わりますが、σ(*_*)は少し以前に公機関の統計調査の仕事で企業を訪問して、調査協力をお願いした事があります。
しかし、例え公の機関が主催する調査であると言っても、露骨にイヤな顔されたり、詐欺商品のタグイの売り込み等と間違われたり、話しも聞かず怒鳴られて追い出されたり・・・ずいぶんイヤな思いをしました。
それでも「ありがとうございました。ども、すいませんでした。」と頭を下げて出てきます。
余談ながらこの「ありがとうございました」という言葉は、遍路してから、どんな時にでも自然に素直に言えるようになったんです。
民間企業で飛び込みで営業されてる人は、もっとイヤな思いをしているでしょう。
ましてや天下の嫌われモンのNHKなんか、初めからケンカ腰で対応されると思う。
でもねえ・・同じ断られるにしても、丁寧に言われたり、怒鳴って言われたりされた、その時にこそ、その企業の本当の隠れた顔を見たような気がした。
全く別の件で同じ企業を訪問した時は、その時に怒鳴った相手がσ(*_*)だと気付かず、コロッと態度を換えてニコヤカに対応された事があるが、でも、その企業の別な顔を見てしまってるからなぁ。
不愉快な思いをさせた人は忘れてしまってるかもしれまへんが、やられた当事者はそおいう事って覚えてるもんで、いついかなる時に、その不愉快な思いをさせた人と気づかずに再び会うかもしれまへん。
そおいう経験したので、σ(*_*)はたとえインチキ寄付集めの人や、ややこしい宗教団体、果ては一番大嫌いなNHKが来ても、丁寧に理をつくして断っています。
各家庭を巡る托鉢は、σ(*_*)がやった企業訪問の仕事以上に、ツライ、イヤな思いをする事が十分予想され、ええ修行になると思う。
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