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尺八を携え歩いた四国遍路  H20.8.9 UP


安和駅

安和駅にて

 須崎から安和まで、前回見落とした遍路道を歩いたら、まぁ~時間がかかった事・・(^^;

多ノ郷駅 車もほとんど通らない静かな道でした。

 夕方6時頃、無人駅の「安和」に着き、須崎まで帰る汽車時間を見ると1時間ほど有ります。

 ゲッ・・ここで、ボォォッ~とベンチに座って待っておらにゃアカンのか・・
 雨も降りそうだし、早く車に帰りたいなあ・・・(;_;)

 囲いの有るホームのベンチに座って、低く垂れ込めた雲と鉛色の海が暮れるのをしばらく見てましたが・・やっぱしヒマです。

 ふと、立ち上がってホームの囲いの横に行くと、柵に寄りかかって立ってる男の人がいました。

 日焼けした顔、ヨレヨレの服等・・年の頃は、ワシより少し若く・・白衣・杖・笠を持ってませんが同じ遍路仲間です。

 本土では、ホームレスルックと言う事になりましょぅか・・・・
 ワシも、よ~似たカッコウしとるので、人の事、言えんけど・・・・。

大善寺 挨拶すると相手も気楽に挨拶を返し、人なつっこく関西弁で話しをしてきます。

 そのうち、トッツァンは離れて置いてあった自分の荷物を持ってきて、番外寺の新聞の切り抜き資料等を見せながら話します。

 昨年一巡し終わり、今回はある人と約束して番外霊場20番札所を巡り、巡った証として、その寺の数珠玉を手に入れる事・・・その他に2箇所の人の家を尋ねる事・・・等を話し始めました。

トッツアン
「なんて言うたかなぁ・・どっかの庵で、どんな悩みでも聞いてくれる人が居るゆうて・・
  作家のなんとか言う人よりも・・・ん?・・そうそう、その瀬戸内ちゅう人よりも、ええ人やという。」


ワシ
「あぁぁ・・それは、○大師の○○さんでしょう。
   私は会った事有りませんが、行きました。」


トッツァン
「それ・・どこですねん?・・あぁぁ・・そこなんですか。
     あっ・・・ワシの紙のここに、住所書いてあったわ。(^^;)
     ところで番外7番の出石寺ちゅうのは、だいぶ遠いんかねぇ。」

四国遍路記
ワシ
「地図を持ってないんですか?」

トッツァン
「それが、12番(鶴林寺)で、無くしてしもぉてなぁ。」
と言って、簡易な番外20番札所の案内地図を見せてくれます。

 番外20番札所は、普通の88箇所寺コースより遠く離れた場所や高い山の上に有る事が多いのです。

 三角寺の奥の院である番外13仙龍寺は、昔は山中の遍路道が有ったのですが、今はその道は廃道になっており、遠回りして人家無き道を行かねばなりません。

 車で行った事があり、また道についても仙龍寺の住職に聞いていたので、その事を伝えると、

トッツァン
「それでも、約束したんだから、行かんにゃあかん。
      15箸蔵寺と16萩原寺とは、どっちを先に行ったら、ええやろか?」

焼坂峠へ
 正確な地図を持ってないので距離感が把握できないのでしょう。

 ワシらも、同じように番外も含めて巡ってるので、椿堂から箸蔵寺→雲辺寺→萩原寺にするつもりだと伝えました。

 一口に番外20番巡りと言っても、88箇所とちがって、ホンマに人里離れています。
 そぉでない所も有りますが・・・

 車で巡るのなら、そりほど苦労もせんでしょぅが、歩くとなると・・・・

 「へんろ道保存協力会」の立て札が要所にはありますが、道々の遍路札は88箇所ほど充実しておりません。

 そいでもって、山の遍路道はあんまり人が歩かんもんだから、草や木の枝が伸びて道を塞いで不安を感じる所も有り、なるべく後に続く人のために、そぉいうジャマな枝は、手でヘシ折っております。
焼坂峠 遍路道
 このトッツァンは地図もなく、たった独りで、そんな道を遠く歩くんかぁ・・・

 トッツァンは善根宿の世話になったり野宿をしたりしており、善根宿ではホンマに世話になったと感謝してます。

 今夜は、この駅で野宿する予定で、このような自分の姿を他人が見たら不快になると思うのでホームの囲いの外に居て、人目につかないようにしており、また最終列車が出るまで、ベンチで寝ころがるという事はしないと言います。

 関西弁の明るい話し方からは見られない、気遣いもする人でした。

 今まで会った、駅で泊まる野宿の人達も、たいてい最終列車まで起きており、横になる事はしていません。
七子峠 登り口
 食事は、スーパーでラーメン1袋買えば良いんじゃ・・と明るく言ってのけます。

阪神大震災

 話しが現在の既存仏教の在り方になると、今までの明るく話していたのが一転してキッとなり目を光らせ

トッツアン
「ダンさん(ワシの事)。!!
      これだけは言わせてください。!!」


 おぉぉ・・・な・なんじゃ?・・・急に改まって・・・
 ワシ・・なんか、悪い事を言っちゃったかなぁ・・・・

トッツアン
「ワシ、阪神大震災に遭いましたんねん。
   そん時、一番最初に炊き出しに駆けつけてくれたんは仏教界じゃなく、七子峠遍路道
   ○○○○教と○○教だけじゃった。

   どんだけ、涙が出るほど有り難かった事やら・・・
   それは、神戸のモンは、皆よ~知っとる。

   
それに引き替え、日頃エラソーな事言って金儲けばっかししとる
   仏教は、なんじゃ・・あれは・・・・・

   特に、あの有名な・・・・・(ここんとこは、差し障りがあるので書きません(^^;・・」

と・・まぁ・・・ボロクソに非難します。

トッツァン
「ワシ、あの時、アパートに居たんだけどなぁ・・
     同じアパートの隣に居た30女・・

     タンスの下敷きになっていて、火が周って、どおしても助けれんかった・・・・

    
ホンマに可哀想やった・・・・どぉしょうもなかった・・・・
    ありゃあ・・ほんまに生き地獄じゃった・・・・。」


 目前の助けを求める人を、助け出す事ができなかった無念さ・・・、
 どおする事もできなかった、もどかしさ・・・・
 阪神大震災の救助活動の遅れに対する歯がゆいばかりの、くやしさ・・・
七子峠よりの展望
 暗くなった安和の海を見つめながら、切々と話しています。

 あれから2週間あまり・・・

 もう悩みを聞いてもらえたでしょぅか・・
 人里離れた民家も無い、山奥の仙龍寺へ着いたでしょうか・・・・・。

 今夜は、冷たい雨が降っています。

                        01/05/2記載



 

編集後記(中越沖地震)

 昨年、σ(*_*)も中越沖地震に遭い、震災直後の翌日もオートバイで郵便配達をしました。

 住民は余震等で、いつ家が倒壊するかわからないので家の中へ入れず、道端に面する駐車場にゴザ等を敷き寝泊まりしていたようです。

 そんな中を配達していると、バサマが道端の椅子にポツンと独り座り、希望の無い目をして呆然と座っているのが何人も居ました。

 そやろなあ・・生きてただけ良かったのかもしれんが、家が倒壊し老い先が短い事を考えると、これからホンマに、どうすれば良いのじゃ・・・・と思ってたのでしょう。

 配達は、いつもは12時過ぎに終わるのですが、この日は3時近くになっても終わらず、まさかこんなに遅くなるとは思ってなかったので昼食を用意してなく、当然まだ店も開いていません。

 ある工場を配達した時、休んでいた工場の人が、σ(*_*)のあまりにも疲れている様子に
「水をあげようか」と言ってくれましたが「それよりも腹が減って・・」と思わず本音を漏らすと、奥に引っ込んでバナナを3本くれました。

 震災直後で、これからの食料事情が、どのようになるかもわからん時に、惜しまずにくれたバナナは、ホントに涙が出るほど嬉しく、阪神大震災に遭ったと言う遍路の気持ちが良くわかりました。


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