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歩き遍路二巡・15 親子遍路
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親子遍路
同年51才 今回は、子供と越後屋の3人で親子遍路をしました。
んなもんで、今までと違い軽自動車に3人並んで寝るには狭すぎるので、σ(*_*)と越後屋が簡易テントを張ってそこで寝て、車には子供が寝ました。
20年ほど前に買った4人用テントが、こんなとこで役に立つと思わんかったなぁ。(^^;
近くの無人駅から職場へ電話をするため行くと、そこの待合室に一人の歩き遍路がいて、今夜は待合室で野宿する予定なんでしょう。
挨拶して話をして、年の頃は40才代かなと言う感じです。
聞いてみると、ここまで車用の地図だけを頼りに来たそうで、「四国の道」等でだいぶ遠回りして来たと言ってました。
そおですわねぇ、昨年の日本一周のアンチャンも「へんろ地図」を持たずに歩いて、だいぶ遠回りしたと言ってましたから・・・・
明日は横峰寺へ行き、そのまま石鎚山に登る予定だとの事ですが、車用の地図なもんだから、横峰寺から石鎚山までの道が記載されてません。
σ(*_*)の地図を見せてあげ、横峰寺までの行程は店もなく、寺に売店も無いから食事は持って行った方が良いとアドバイスしました。
遍路「そおなんですよねぇ・・・
歩いていても、この先に店があるかわからず、無いと思って用意すると荷物になって重くなり、有ると思って用意しなかった時は、2日間、非常食でしのいだ事がありましたからねぇ。」
それを聞いて、持っていた地図(某HPに掲載されてた、コンビニとか公園の東屋等が記載してある地図を印刷したの)をあげました。
σ(*_*)達よりもこの人の方が地図は必要と思い、またこの地図は野宿の人には、たいへん重宝し子供が歩いた時にも頼りにしてました。
聞けば、テントは持ってなく、来る途中に寝袋を落としたとの事で、何とかしてあげたいなぁ・・最近、夜も寒くなったし・・と思ってると、「ビニールシート持ってるから、なんとかなります」と言います。
しかし、このままでは気の毒なので、これからの行程に有る通夜堂に泊めてくれる寺と、無料接待所の有る場所を教え、頼ってみたらと勧めました。
次ぎの朝、テントを畳んで出発準備していると、昨日の遍路がわざわざ寄って礼を言いに来てくれました。
遍路札を出したので、こちらも出しましたが、ズボラな性格なもんで、相手が出さない限りσ(*_*)は出しまへん。
ホントは、交換するのが礼儀らしいですが・・・
見ると大阪の人で年齢を見ると「51才」・・・σ(*_*)と同じ年じゃねぇですか。
この年齢で「通し遍路」してるとなると、リストラされたのか・・・
家庭でなんか、有ったのか・・・・
そこの話しは、タブーなのでしませんでしたが、何とも・・はや・・・同年代で、とても他人に思えんかった。
01/10/16記載
通夜堂にて
今回初めて、寺の通夜堂へ泊まりました。
お世話になった所は「十夜ケ橋」の通夜堂で、そおでんがなぁ・・オヤビン。
あの弘法大師様が旅した時に、だれも家に泊めてくれんかったので、橋の下で寝て過ごし、以後、遍路は橋の下で寝てる大師様を偲んで、橋の上では杖をつかないようにという伝説が出来た所でんがなぁ。
通夜堂は6畳ほどの部屋で、3人の先客が居ました。
σ(*_*)と子供の2人を割り込ませてもらえるか?と聞いたら、快く了解を得たので、寺で寺へ泊まりの許可をもらいに行きました。
あっ・・「十夜ケ橋」となってますが、一応、そこにも寺があるんです。
正式の寺の名前は忘れたけど・・・小さいのが・・・
先客は、鳥取の70才代のジサマと、東京の50代のヒゲのトッツァンと、20代の茶髪のアンチャンでした。
部屋の真ん中に、パックに入ったお菓子や弁当等が3パック有り、近所の人が差し入れてくれたらしいです。
ボソボソと遍路していた時の話をしていて、ヒゲのトッツァンが地図の一点を指さし、
トッツァン「ここほどヒドイ民宿は無かったなぁ・・無愛想で・・・、
朝出る時、よっぽど金払わないで出てやろうかと思った。」
σ(*_*) 「どれ、どれ・・・あぁぁ・・ここでっかぁ・・・
遍路のインターネットでも評判が悪いので有名な民宿でんなぁ(^^;」
トッツァン「あと、どこなんですか?」
σ(*_*) 「××の×××というのも悪いらしいですわ。
でも、やっぱし悪い評判ちゅうのは、当たってるんですねぇ。
どんな風に悪かったんでっか?」
トッツァン「とにかく、口をきくのも損するという感じで愛想が悪く、
玄関から部屋へ行こうとしたら「スリッパそこに有る!!」とブッキラボウに怒鳴りつけ・・
その娘というのも、これまた無言で部屋に案内し、無言で出て行き・・」
σ(*_*) 「ははぁぁ・・・そりゃ、エライ所へ・・・」
トッツァン「そんな民宿でも、置いてあったノートに「こんな心温まる良い民宿は有りませんでした」
て書いて有るんだから・・(^^;ワラッチャウネ
ワシも民宿に泊まらない主義なのですが、近くの駅で寝ようと思ったんだけど、駅に先客が4人居たんで、民宿へ行ったんです。」
通夜堂の部屋にはフトン等も有りましたが、皆それぞれ自分の寝袋で寝ました。
朝6時頃から、だれ言うとなく起きはじめ、トッツアンが携帯コンロで湯を沸かし、皆にインスタントコーヒーを飲ませてくれました。
σ(*_*)はこの日は、番外の出石寺へ車で行く予定にしており、同室の人は歩きなので早く発ちたいだろうと思い、「σ(*_*)が掃除をして最後に出ます」と言って、先に皆さんを出発させました。
01/10/18記載
「鳥坂峠」
鳥坂峠を越えた時、越後屋と子供は、ずんずん先へ行ってしまいます。
σ(*_*)だけ置いて・・・・この山へσ(*_*)捨てられたんやろか・・・。
昨年、栗を拾った付近のカーブの所へ来ました。
去年に来た時は欲を出して、ここで一生懸命、栗を拾っちゃい、そのお陰で道を迷っちゃったからなぁ・・・と思いながら、道端の壊れかけて使ってないような小さい作業小屋を見ると、四方に壁が無く柱だけなので、向こう側の草むらが見えます。
小屋の縁に、汚い「布の切れっ端」みたいもんが引っ掛かってるなぁ・・・と思い、ヒョットしたら、これが前回見落とした遍路道の入り口かもしれんと思って確かめました。
そしたら、あぁたぁ・・・やっぱし遍路道でした。
小屋のすぐ横に草が猛烈に生えてましたが、そこらの木々にも布の切れっ端の遍路札がブラ下がってます。
こりゃあ・・やっぱし、わかりにくいわなぁ・・・・
作業小屋付近を抜けると、直ぐに下り坂の道が有り遍路札が下がってます。
子供と越後屋に大声で道が「遍路道が見つかった」と知らせると、だいぶ遠くから返事が来ました。
ブツブツ言いながら戻って来る二人を先に行かせて、σ(*_*)の遍路札を小屋の前と、透かして見える遍路道の位置に取り付けました。
これでチビットは気が付く人もおるじゃろ・・・。
遍路道を下りると、アッと言う間に札掛大師堂に着き、昨年はだいぶ遠回りして、道に迷ったのに・・・・
十夜ケ橋の通夜堂で一緒だった、「ロンゲ」のアンチャンも鳥坂峠の途中で一カ所迷ったと言ってましたから、たぶんここで迷い、昨年σ(*_*)らが歩いた道を行ったんじゃろおなぁ。
札掛大師堂で休み、そこの「へんろ道協力会」の立札に「出石寺への遍路道は、未整備のため車道を行くように」と書いてあります。
ゲッ・・明日、その出石寺へ行くつもりだったのにぃ・・・(;_;)
車道を歩くとなると・・これまた、えらい距離になってしもおて、一日で麓まで降りられん。
越後屋とも相談し、明日は車で出石寺へ行く事にし、そおと決まれば、今日は無理して先を急ぐ事もないので、札掛のバス停から宇和町まで帰る事にしました。
で、バス停へ行ってみると・・・・1時間後・・・・(/_;)
托鉢方法
ボケエッッ~と、バス停の階段に座って待ってると、自転車遍路の逆打ちの人が来たので、声を掛けて一緒に休みました。
何回も巡ってるそうで、托鉢しながら遍路してると言います。
聞いてみると、家の人に托鉢の了解を得たら、玄関に入らずに杖の先端だけを玄関に入れ、杖の握りの部分を自分の心臓の所に当てたまま、般若心経などを唱え、般若心経の解説をコピーした紙を渡すそうです。
托鉢でも人それぞれの、やり方が有るんでんなぁ・・・一口羊羹をあげたためか、σ(*_*)にも般若心経の紙をくれました。
別れた後も、まだ時間があります。
σ(*_*)「このまま、ボオッ~と待ってるのもアレじゃから、ここで托鉢のマネ事でもしてみっか?)」
越後屋「この・・車しか通らない停留所の道端でか?(-_-;)」
子 「おぉぉ・・ええかも・・・前に茶碗を置いて・・・。!(^^)!」
σ(*_*)「な・・そおじゃろ、σ(*_*)座禅組んで瞑想しとるフリすっから、
お前たちは合掌してお経唱えとるフリしとれ。(-_-)」
子 「人が見たら・・・親子遍路というよりも、コジキの親子かと思うやろなぁ・・・(^O^)」
σ(*_*)「そおやろぉなぁ・・・姿・形もよぉ似とるからのぉ・・
あの親子・・他にする事ねぇんかと思うやろなぁ(^_^)v」
越後屋「アホらし・・・(-_-;)」
σ(*_*)「何言うか・・・人間は、落ちる所まで落ちて、最低の身にまで落ちてこそ、
この世の真理がわかってくるもんじゃ・・・(=_=)」
と・・・言っただけで、やりませんでした。(~o~)
出石寺
次の日、出石寺へ車で行きましたが、道の途中に遍路シールや新しい立札も有り、車道とは違う遍路道が復活されているようです。
出石寺は高い山の頂上で、途中で山をいくつも越え、小さい山村をいくつか過ぎた遠い所でした。
以前書いた、震災に遭った神戸のトッツァンも、この遠い山へ来たんかなぁ・・・・
01/10/26記載
「茶髪のアンチャン」
宇和島駅から歩いて途中の道端で休んでいると、茶髪の今風のアンチャンが通ったので、声掛けて一緒にしばらく休みました。
髪は茶色ですが、ちゃんと輪袈裟を掛けて数珠も持っており、σ(*_*)らと違いす。
アンチャンは、ナイロン袋に蜜柑を一杯持っており、接待で貰ったけれど荷物になるので、少し食べてくれないか?と言うので、遠慮せんと1個づつ貰いました。
「もっと取ってくれ」と言ったんですが、σ(*_*)・・蜜柑は、あんまり好きでないので・・・
昨日、アンチャンと一緒に泊まった遍路が3人ほど、後ろから歩いて来ると言って、先にアンチャンが出発し、途中のお地蔵さんに蜜柑を1個づつ置いていきます。
荷物を減らすためなのか、信仰心のタワモノなんか、よぉ~わからんけど(^^;)
某寺で参拝が終わり、ボケッェ~ッと、団体参拝客がどんな参拝するか口を開けて見ていると、いろんな仕方がありまんなぁ。
正面の階段を取り囲むようにして、他の参拝客が通れないようにしてるな団体もあれば・・・
階段横にピチッと3列縦隊に並んで、人のジャマにならんように参拝する団体もあって・・・・
団体を率いてる先達様のお人柄が、よぉ~伺えます(^^;。
そこへさっきのアンチャンが「団体が納経していたので、1時間待たされた」と言って、σ(*_*)らの休んでる所へ来ました。
あんなに先に出発して早く歩いても、納経のために時間を取られてしまい、結局σ(*_*)らが追い付いてしまいました。
σ(*_*)「昼飯食ったか?」
アンチャン「まだだけど・・・どこかに有りますかねぇ?」
σ(*_*)「この寺の下の店で食べた。('_')」
アンチャン「安いですか?」
σ(*_*)「高い・・・なんせ一件しかない店やからなぁ(-_-;)」
アンチャン「アチャアァァ~・・・・(;_;)」
σ(*_*)「でも、ここで食べておかないと次の寺にも、たぶん無いし、峠越えするまで店が無いよ」
アンチャン「・・・・(T_T)」
σ(*_*)「連れのアンチャンは、どおした?
(さっき後から来ると聞いたので)」
アンチャン「もうすぐ来ると思う・・・・」
σ(*_*)「そいじゃあ・・これあげるから食べなさい」
と言って、コンビニで非常食用に買った4個入りの大福餅をあげました。
アンチャンは、「すみません・・ありがとうございます・・悪いなぁ・・」と言いながら、納札をくれます。
25才・・茶髪にしていますが、しっかりと礼を言い好感の持てる青年でした。
やがて遅れて来た連れも茶髪を長くしており、自称「チャパツ・ロンゲ」と言っており、「十ケ夜橋」通夜堂に一緒泊まったて茶髪のアンチャンでした。
(以下、「ロンゲ」と略します、書く日時が前後しましたが・・)
アンチャンとロンゲの二人が餅を分けて食べてるのを見て、σ(*_*)らは出発しました。
次の寺へ着き、これまたボケッェェ~ッと、ヒマそうに参拝風景を見て座ってると、60代のジサマが来ました。
席を勧めて話をすると、この寺に店が有るかと思っていたが無く、前の寺の店では団体が居て満席で食べれなかったと言います。
そおなんですわなぁ・・・σ(*_*)らが食べた店は、団体が来る前に入ったので良かったけど、その準備がテーブル一面にしてあり、なんとか席を割り込ませてもらい、やっと食べたのだから・・。
ジサマも腹減っているというので、さっきあげたのと同じ餅をもう一袋持っていたのであげました。
しかし、ジサマは遠慮したのか、トシでそれほど食べれないのか、2個だけ食べて後は返してくれます。
数日後、先に書いた「十夜ケ橋」通夜堂へ行った時、近くの風呂へ行きましたら、アンチャンとロンゲが話しており、これまた、お久しぶりで(^^; と挨拶しました。
聞けば、アンチャンは内子のキャンプ場で泊まる予定でしたが、彼女が近くに居るので、車でここまで連れて来てもらったと言います。
おぉぉ・・もてる奴はちがうのぉ・・・
σ(*_*)の青春時代と大違いじゃ・・
遍路に来てまで彼女がおるんだから・・・
σ(*_*)の子なんか、親に似てしもおたもんだから、カワイソーに・・・・
後日、今治へ行く途中でσ(*_*)らを追い越して行った遍路に聞くと、二人は松山あたりでバテてたらしいです。
そおやろぉなぁ・・コンジョ出して、1日で岩屋寺まで行くとか言ってたから。
でも、遍路していると、かかわりの有った人の情報も風の便りで聞けて、そこが何とも言えん楽しみです。
実は、高知の無料接待所付近でも、アンチャンはその頃その辺を歩いていたらしく、話を聞くと接待所に居た逆打ち遍路とも話ししたようです。
σ(*_*)らの事も、親子遍路が居ると話題になってたらしいですわ。(^^;
越後屋に言わすと、あの接待所へ入った時に、ちょうど出発準備してたアンチャンではないか?・・・と言っており、そんなような気もするし・・今となっては、わかりまへん。
これも縁でごぜえますなぁ(^^;)
01/10/21記載
編集後記(通夜堂)
背負子
通夜堂・善根宿などを当てにして遍路するんじゃねぇ・・とエラソーに書いていますが、この十ケ夜橋の通夜堂だけは、一巡の時に尺八の縁が有ったので利用させてもらってます。
当然、先客が多い時には利用しませんが、幸い今まで一度も、そのような事は有りまへんでした。
この通夜堂で民宿の悪口を言ってたトッツアンは、リュックではなく、背負子に小さい透明なプラ箱を2個括り付けてました。
聞いてみると、リュックよりも外から中身が見れるし、雨にも濡れず、量も多く入り、取り出し易い・・と言います。
その後、雲辺寺へ行った時にσ(*_*)もそうかなぁ・・と思ってマネしました。
確かにトッツアンの言うような利点が有るように思い、また今の背負子はアルミ製で思ったより軽いんです。
ただ・・・惜しむらくはσ(*_*)の場合だけですが、尺八を肩から斜めに背負って遍路しているので(佐々木小次郎が刀を背負ってるのをイメージしてくんなせぇ)、尺八がプラ箱の背負子が引っかって、尺八を背負う事が出来ないんですなぁ。
1尺8寸の小さい尺八ならば、何とかプラ箱に入れられるのですが、それよりも長い尺八であり、また杖を持つ以外は手を空けておきたかったので、背負子の上部先端を一部切って短くしたのですが、それでもダメでした。
仕方なくその時は尺八を肩に引っかけるようにして遍路しましたが、その一度きりで背負子は止めました。
しかし、尺八を持たない人ならば、この背負子の方法も「有り」かもしれんと思います。
だれか試してみてくんなせぇ。
山門での作法
山門へ入る時や出る時に、寺に向かって一礼するのが礼儀と聞いております。
札掛大師のバス停で会った自転車遍路に教わって、なるほどなぁ・・と思い、それ以後の遍路では山門前に立った時に、山門外から杖の先端を山門内に入れ、杖の握る部分先端を自分の胸に立て掛けて両手で合掌してマネしています。
良く似た事例で、体の不自由な人や足腰の弱いトシヨリが、寺の長い階段を上がれない時は、自分の杖の先端をその階段の1段に置いて参拝しても、これはリッパに参拝した事になる・・と聞いた事が有ります。
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