HOME > 遍路・巡礼 > 四国遍路第三章「目次」 > 歩き遍路二巡・24 鐘
H20.10.25 UP
むかあぁ~ぁしぃ、むかあしぃ~・・・ある所に・・・そりはそりは、何とも言えん・・かしこい子供が居りました。
この子供は何を考えたのか、近くの山へ行ったんです。
近くの山と言っても、そこらのブランコやスベリ台が置いてある公園の山じゃないんですわ・・トッツアン・・。
これまた、それはそれは深あぁぁ~い深い山の中です。
親は心配するでしょうなぁ・・・うちの大事な子供が、どこへ行ったんだべか・・・
ヒョットしたら誘拐されて、身代金要求さりるかもしりん・・
オラとこには田圃もねぇ・・畑もねぇ・・・
そんな金有ったら、オラの老後の足しにするだ・・・
と・・心配したか、どおかわかりまへん。
スンマヘンなぁ・・いい加減の事を言って・・・
その深い山の頂付近には岩場が有り、そのかしこい子供は、ロッククライミングでもして岩場を登ったんでしょぅ。
そして、その子供は何を思ったのか、その岩場から飛び降りちまったんですわ・・
子供のやる事はわからんですのぉ・・
いくら、かしこい子供のやる事でも・・
しかあぁ~ぁしぃ・・皆の衆・・よおぉ~ぉく聞かっしゃい。
この子供が飛び降りた時、どこからともなく、もんのすごく美人の天女が表れ出で、その子をシッカと抱きしめ、地上に傷一つ付けず降ろしたそうでんがなぁ。
すごいでんなあぁぁ~・・・
そのかしこい子供は、大きくなって中国へ行き、日本へ帰って来て、弘法大師様と言われるようになりましたとさ。
はっ?・・なんで飛び降りたんか、よぉ~わからんってか?
そりゃあ、あぁたぁ~・・・将来自分が仏道に入って、何とかなるなら助けて下さい・・というような事を祈ったらしいです。
この伝説の有る所が、出釈迦寺の「奥の院」「捨身ケ嶽禅定」であります。
行って来ましたが、そこのオッカサン、聞いてくんなせぇ・・
えれぇ~キツイ所で、ヒーコラ言いながら登りましたでぇ。
出釈迦寺の納経所で、「捨身ケ嶽禅定」へ登る時の注意を聞き、山に向かいました。
電線に沿った道を行けば良く、上の寺に着いたら鐘を突きなせぇ。
そしたら、寺から男の人が出てきて本堂に上げてくれるからと言われて・・。
出釈迦寺からの道は、車道で舗装して有りましたが、その急勾配の事と言ったら、そりゃあ~・・えれえもんでしたわ。 (なお、一般の車は上れません)
今まで、あちこちの勾配の有る坂を上って来たけど、ここが一番でんなぁ。
勾配といい・・距離の長さといい・・しかも・・ほぼ一直線で・・・
神峰・屋島・八栗も、きつかったけど、そこと比べりゃあ可愛いもんですわ。
越後屋に、せっかく話しかけてやったのに「このアホ、話しかけるなキツイのに・・ゼェゼェ・・」と言って相手してくれまへん。
たとえ、この道を車で上れたとしても、下手したらズリズリズリッ・・と後ずさりして落ちてしもうのではないかと思うくらい急坂なんです。
それでも、途中より車道から遍路道へ入ると、楽になりましたねぇ。
今までの舗装された道は、足裏に響いて痛かったけど、土の道を歩くとホッとします。
やっと寺の山門に着き、階段を上がって寺の境内へ行くと、寺の人が障子の張り替えをやっている最中で、わざわざ鐘を突いて呼び出さんでも、えかったです。
でも、せっかくだから思い切り一回突いちゃったぁ~・・・!(^^)!
200度近くの展開パノラマでんなぁ・・・(@_@)σ
遠くに海や山は見えるし・・・
寺の人もσ(*_*)らだけだったためか、親切に本堂に飾ってある写真や窓の景色を指さして説明してくれて、ここから雲辺寺の灯りも見えると言ってました。
ここまで上がって来る人は、日に一人か二人ほど居るらしいです。
グループで来る人の中には、あまりにも途中の道のキツサに耐えかねて挫折して引き返す人も居るそうです。
そおやろぉねぇ~・・・トシヨリや足腰の弱い人には、ちと無理やろぉなぁ。
で、問題の飛び降りた所ですけどね・・寺の横にトイレが有って、そこを通り過ぎると屏風みたいな高い岩場が有るんです。
そしてオトロシイ事に、いきなり鉄の鎖がぶら下がっとるんですわ。
それを掴みながら岩をよじ登ったら、もう一つ鎖が有りましてなぁ・・そこを上がった所が問題の所で、もんのすごい絶壁の岩場でした。
畳み半畳ほどの広さの所に、小さい石仏と共に幾枚かの納札と小銭が置いてあり、納札は風で飛ばないように小石を乗せてありました。
月日を見ると、2日前にだれかが来たようです。
そこから鎖を伝って寺へ降りるのが、これまた、えれぇ~オトロシイ事でした。
寺の人に礼を言い麓の出釈迦寺へ向かって半分近く降りた時、鐘がゴオォ~ン~と鳴り、思わず山頂を振り返りました。
高くそびえ立つ山の頂に、寺の屋根と鐘楼が小さく見え、あの寺に居た人が突いたのでしょう。
聞けば、あそこでたった独りで寝泊まりしてるそうです。
あの鐘は、時報なのか・・麓の出釈迦寺への定例の何かの合図なのか・・・
はたまた・・σ(*_*)らのために突いてくれた、見送りの鐘なのか・・・
「除夜の鐘にちなみ」 01/12/31記載
あの「奥の院」に居た人は、今もあそこに、たった一人で住んでいるのでしょうか?
出釈迦寺の人に聞くと「普通の一般の人が、寺にお願いして住まわせてくれ」と言って住んでるそうです。
寺の人もよくやってくれてるので僧職を取れば・・と勧めたらしいですが、その時は断ったそうです。
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