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 歩き遍路三巡目(逆打ち)
 3 花折れ峠


尺八を携え歩いた四国遍路   H20.11.12 UP


花折峠と女体山


 3日目は、四国でも寒うござんしてなぁ・・・風も吹くし・・四国遍路・民宿
 今年のネングは、どうなるんじゃ・・と、いらん心配せにゃアきまへん。

 民宿を出る時には、皆もう出発してました。

 ゆっくり88大窪寺へ行き参拝しとると、昨日、隣で食事しとった夫婦が寒さ対策の完全防護で来ました。

 風が強いので蝋燭が消えてしまい、この寺はσ(*_*)の行いが悪いのか、毎回来るたびに風が吹いてます。大窪寺。四国遍路記

 「多和」へ向かって歩いてると、おぉぉ・・初めて順打ちで歩いて来る人が居るでねぇか。

 今日まで、だれとも行き会わなかったからなぁ・・・サミシかったでぇぇ・・(;_;)

 今まで、あっ・・遍路だと思って喜んでよく見ると、白っぽい服装した畑仕事しとる人だったりしたもんで・・笠まで似とるし・・・

 仙台から来た正式ルックのバサマ一人旅で、声を掛けると一瞬ビックリした表情になりました。

 そおでっしゃろおなぁ・・反対方向から来る人なんて、めったに居ないし、もうすぐ終着寺だもん。四国遍路記

 短く話しをし
「後、45分 (^_^)/~」と言って分かれました。

細川家

 「多和」の所から、国道を通るのですが、近くに「細川家」という家が有るので寄ってみました。

 昔の旧道じゃろおなぁ・・古い地蔵様もおるし・・(^O^)
 車の通りも少ないし・・(^_^)v
 心配しとった犬は、おらんし・・・!(^^)!
 ジサマ・バサマは、仲良くゲートボールやっとるし・・・(^_-)多和小学校、四国遍路記

 「細川家」は、江戸時代中期の農家を昔のまま復元させたらしく、国の重要文化財に指定されとるそおです。

 暗い土間に、ムシロを敷き、ランプがブラ下がり、囲炉裏は有り、昔は、こんなんやったろおなぁ・・・のどかやのおぅ。

 ちなみに入場料はタダのようで、番する人も居ないし、料金を払えとも書いてなかったので・・・

 細川家、四国遍路記 細川家、四国遍路記 細川家、四国遍路記


 「細川家」を出発すると空の雲が黒くなり、やがて冷たい雨が降って来ました。

 あららぁ~・・・急いで100円均一で買ったポンチョをかぶり、近くに薪置き場の屋根が有るので、その軒下でしばらく休みました。

 そのうち雨がミゾレになり・・雪になって来ます・・・寒いなぁ・・(;_;)
 このまま、ここで凍え死んじまうんでねぇじゃろおか・・・(T_T)

 
「薪置き場で、身元不明のカワイソーな遍路が二人して死んどった・・」と新聞に出るかもしれんなぁ。

 まだ雪がちらついてますが、座ってるより歩いた方が暖かいじゃろおうと思い、歩き始めました。

 ちなみに冬に野宿遍路した人に聞くと、寝る時は寒いので厚着し、ガアァァ~ッッと酒を飲んで、すぐに寝袋へ入るそうです。

 で、夜中に一度でも目が覚めたら、寒さのためもう二度と眠れないので、その時は、しかたなく真夜中でも歩いて寒さをしのぐそうです。

 「花折峠」を通る頃には、お日様も出ましたが、やっぱし、寒いのおぅ・・(-_-;)

おへんろ交流サロン

 前山ダムの「おへんろ交流サロン」に着き、すぐ近くに「道の駅」が3月に完成すると聞いてたので、職員の人に聞くと明日から運用だと言います。

 あらぁ~・・今日だったらなぁ・・
 モチ投げでも盛大にやってくれただろうし、モチを拾えたかもしれんのになぁ。

 
「カワイソーな遍路が二人して、命がけでモチを拾っとる」と新聞に出たかもしれんのに・・

 来館者の名簿をパラパラと眺めていると、おぉぉ・・昨年11月に60横峰寺付近や三福寺で出会ったアンチャンとネェチャンの名前が有るでねぇか。

 二人とも、仲良くここで一緒に休んで行ったんやなぁ・・・

 あん時は、伊予三島付近で二人は都合により別行動をとり、65三角寺も日をちがえて登ると聞いてたが・・・・

 あれから半年近く・・懐かしいのぉ・・今どおしとるやら・・・
            (^_^)v ゲンキカイナァ~ ワシモ、イキトルデェ~

花折峠と女体山

 この「おへんろ交流サロン」の職員が、昔の遍路の話もしてくれました。

 そこへ同年代の正式ルックの女性遍路が一人来て、花折峠を行くか、女体山を越えるか悩んでました。

 職員の人は「花折峠が昔からの遍路道だから」と、花折峠越えを盛んに奨めています。

 どっちが良いかと聞かれたので
 「何とも言えないが、女体山は確かにキツイです。

 昨日、山越えした人は霧で風景が見えなかったと言ってましたが、今日は天気が良いので見晴らしが良いでしょう。
 でも、キツイからこそ感動も有るかもしれません。」

と職員の方と反対の意見を言っちまった・・・。(/_;)ワルカッタカナァ花折峠、四国遍路記

 別れ際、どちらに決めたか?と聞くと、当初の予定どおり女体山を越えると言ってました。

 職員の方の話しによれば、この辺の道路整備の時にも遍路の無縁墓が一杯有ったそおです。

 また某所の遍路道沿いの谷・山には一面に遍路の墓が有り、それらしい墓石では無く、単に小さい石を乗せただけなので、自然に風化してしまい気がつかないだろうと言ってました。

 昔の遍路手形に
「捨て手形」と言うのが有りました。

 この手形を貰って故郷を追われた人は、二度と故郷へ戻る事ができず、死ぬまで四国を巡り続け
「遍路の途中に死んでも、葬儀等の始末は地元の風習にまかせ、また死んだという知らせも生国に知らせる必要は無い。」という主旨の手形です。(実際は知らせたらしいとの事です)

 そおした人達の遍路墓に地元の人達が野に咲く花を折って手向け、いつしか「花折峠」という名前が付いたそおです。

                         02/04/13記載


 

編集後記(花折峠と女体山)

 地図では「細川家」の有る集落を通らず国道方向へ行くようになっていますが、この旧道を通るのも良いでっせぇ。 

 「おへんろ交流サロン」や地元の方が言うには、花折峠が本来の遍路道で、女体山は修験道の道だそうです。

 


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