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歩き遍路三巡目(逆打ち) 4 歌姫
H20.11.12 UP
一生懸命に仕事をしたので、束の間の休憩しに近くの最御崎寺へ行きました。
あっ、サボッタんではありまへん・・キッパリ。
平日のためか閑散としておりましてなぁ・・
ボケエ~ェェッッ~・・と口開けてベンチに座ってましたがなぁ。
口を開けとると楽ちんで、なあ~ぁも考えんと、無心になりまんなぁ・・・(^O^)
他人が見れば、アホと間違えられるかもしれんが・・・(^_^;)
そこへ、一人のネエチャン遍路がウロついてましてなぁ・・
遠くから見ると、髪の毛を後ろの方へ長く垂らしておりσ(*_*)好みですねん。
当然声を掛けたいと思うのが男心の自然な人情でありましょう。
そおじゃろ?トッツアン・・・(^^;)σ カクスナ
が、σ(*_*)・・気が弱いので、そんな事はよう出来まへん。(;_;)
口を開けたまま、チラッチラッと見てると、大師堂の所で、般若心経を小さい声で唱え始めました。
離れていたので、あんまりよぉ聞こえんかったけど、普通の唱え方と・・チイ~ッと違います。
なんちゅうていいのか・・ソプラノで「和歌」を読むような調子というか、歌っているような・・・というか・・・。
ネエチャンが参拝終わって、σ(*_*)の座ってるベンチの方へ来ました。
口説くチャンスやでぇ・・トッツアン。!(^^)! ヨロコベェ
近くで見ると一瞬、東南アジア系の外人かと思いました。
顔は日焼けして、茶髪で、日本人離れした顔立ちだったもんで・・・
そいで日本語が通じるかと、もんのすごく心配しましたんねん。σ(*_*)
σ(*_*)「ネエチャン、歩いてるんか? (~o~) ヒッヒッヒッ・・・」
ネエチャン「はい、時々ヅルして交通機関利用してますねん。」
σ(*_*)「さっき参拝しとるのを聞いたけど、あれは何か信仰しとる宗教関係の唱え方かね?」
ネエチャン「いえ、般若心経を自分なりに、その時々の心のままに歌ったものでごぜえますだ。」
σ(*_*)「おぉぉ・・たいしたもんじゃ・・
もう一度、少しで良いから聞かせてもらえんかのぉ」
ネェチャン「それでは、ギャアテイ・ギャアテイ・・の所だけを・・」
・・・歌い終わり・・・
σ(*_*)「パチパチパチ(拍手)・・・うん・・えかった、えかった・・・。
今まで、参拝の仕方を見ていて、これはタダモンでねぇ・・と思うのが二人居ってのぉ。
一人は、まだ若い青年じゃったが、まるで雲か深い霧の中から、沸き出るような力強い低い声で唱えた経と・・、
もう一人は境内中に響き渡るような、透き通る素晴らしい御詠歌を詠ってたオバチャンがおってのぉ・・
ネエチャンで、三人目じゃ。(^-^)」
ネエチャン「あらあぁ~・・三本の指に入れてもらえたんですか。
キヤァ~~・・・ウレシイ。!(^^)! キャハハハハ・・・」
σ(*_*)「ネエチャン、ひょっとしてプロの人と違うんか?」
ネエチャン「へい、ジャズ等の歌を教えてますねん。
生徒達に般若心経を思うがまま自由に歌わせてみたら、これが、もんのすごく綺麗なハーモニィになったんですねん。」
σ(*_*)「おぉぉ・・やっぱしのぉ・・。
エラソーな事を言わせてもらえるならば、もっと大きい声で歌ってみなされ。
88カ所の本堂・大師堂で歌いながら一巡すれば、必ずや何かを得るものが有りまっせぇ。」
ネエチャン「恥ずかしいのと、他の人に迷惑かなと思って・・・」
σ(*_*)「何をおっしゃる、ウサギさん・・
その恥ずかしさを耐えに、耐え抜いて・・やってみなせぇ・・、
さすれば、今まで以上の何かを越える事が出来まっせぇ。
それに、オカリナや三味線弾いて巡ってる人も居るんでっせぇ。」
と言いつつ、サボリ・・あっちがう・・一時の休息が終わりました。
逆打ちとは、全然関係ない話でしたが・・・・f(^_^;) ポリポリ・・
02/04/23記載
歌姫さんは、「その時々の心のままに・・」「自由に歌わせてみたら・・」とサラッと言いましたが、簡単そうに思えても、なかなか「心のままに」とか「自由」に歌ったり演奏する事はできません。
もし芸事等で上達を望む方がおられましたら、ぜひ四国霊場の各寺で演奏しながら巡ってみてくんなせぇ。
エラソーな事を言いますが、一巡するとだいぶ変わります。
でも自分でも尺八がホントに上達したなぁ・・と感じたのは、ニ巡以後でした。
へえぇ~ぇぇ~・・あの程度で、エラソーに・・と鼻先で笑われるのを覚悟しとります。(^O^)
そいで、これは「四国霊場」で、しかも「歩いて」という二条件がないとアカンと思い、他の霊場(例えば西国・秩父など)では、ちと無理な気がする。
その理由として、うまく言えまへんが・・・・
単に演奏度胸をつけるだけならば、他霊場でも良いと思いますが、それプラスαを望むならば、仏教的意識を得やすい四国霊場だと思います。
尺八吹奏には仏教的意識が無いとアカンのか?と、正面から問われると弱っちまい、うまく説明できないがσ(*_*)個人が思うには、尺八に限って言えば少なくともその意識が有った方が良いように思う。
ただし、既成の葬式仏教的考え方・意識ではダメで、何もならんと言うより、むしろ表面だけを撫でた権威主義に陥りやすく、かえって害になると思う。
四国霊場では、出会いや他人との話をする機会が断然多く、その出会いにより話しをして、予期せずに尺八を吹く心のヒントを教わる事が多かった。
残念ながら他霊場を巡った時は、あまり話掛けられず、また話をする機会も少なく、四国霊場のようにヒントを教わるような事は、ほとんど無かった。
別の見方をすれば四国霊場では、遍路は一応、仏教者として扱われているので、自然に仏教的な話になり、その考え方を吸収して尺八に当てはめていけたように思う。
各地の他霊場を巡りましたが、仏教的な話をした事は、ほとんど無かったように思う。
歩き遍路の方が、車やバスを利用した遍路よりエライとか言うつもりは毛頭有りまへん。(キッパリ)
ただ歩きの方が、遍路中の出会いとか他の人と話が出来る機会が、もんのすごく多いという一点だけです。
おそらく乗り物を使用した遍路より、出会いは数百倍は有ったと思い、心に残る風景を十分に楽しめ、それも尺八吹奏のヒントになる事がありました。
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