HOME > 遍路・巡礼 > 小豆島88箇所霊場「地図・目次」 > 35 堀越庵
遍路日 2011.12.9 掲載日 2013.1.7
3番札所「観音寺」から、狭い道を車道に出て、テクテク・・・振り返れば、先程下りて来た「隼山」がそびえてます。
海側に朱色の鳥居が立ち並び「西山稲荷神社社叢」の看板が有りましたが、読むだけで中まで入らなかった。
今朝出発した小豆島88箇所霊場の4番札所「古江庵」に着いたのが午後2時半頃。
これから5番「堀越庵」まで歩き、馬立峠越えをして6番「田ノ浦庵」へ行って、ここまで戻ると、どうしても暗くなっちまう。
越後屋と相談し、この4番「古江庵」から次の5番「堀越庵」までの間を歩くのをヤンピして、直接に5番「堀越庵」まで車移動してズルする事にしました。
こおいう、ズルする事に関しては、相談がまとまりやすい。
県道から5番「堀越庵」へは防波堤との間に有る細い道を行き、付近の広場に車を置きました。
そこから半島方向を見ると崖崩れが有り、下調べの時にブログで6番「田ノ浦庵」方面へは、「崖崩れが有り通行不能」という記事を読んでいたので、あぁぁ・・ここの箇所の事で、やっぱり復旧されてないのかぁ。
よっぽど現場近くまで行って、どんな状態なのか、無理すれば渡れるのか、はたまた迂回路が有るのかを確認したかった。
しかし、残された時間が余り無いので、次の6番「田ノ浦庵」への行程途中で出会った人に状況を尋ねて、最悪の場合は県道コースで戻る事に即決した。
こおいう事は、なんせミッドウェイ海戦と同じで、忙しい時に決断を先伸ばししてモタモタと安全策を取ってたら日が暮れちまい、泣きながら歩かにゃならんからなぁ。
この崖崩れの状況を知らずに、半島の南側・自転車ハイキングコースを来た人は、目の前に「堀越」集落を見ながら引き返すのは、何とも残念で泣きたくなると思う、いや、きっと「よよよ・・」と泣き崩れると思う。
σ(*_*)らも下調べしてなかったら、絶対に南側・自転車コースを知らずに歩いており、現場へ来てから慌てふためき、越後屋と手を取り合って泣き崩れていただろう。
情報を掲載してくれたブログの方、ありがとうございます。m(_ _)m ハハアァァァ~・・・
おかげで泣き崩れる事も無く、どうしょうもない腹立たしさのため、ウップン晴らしに「お前が悪い、どうたらこうたら・・」と、お互いに責任をなすり付けて、ののしり合う大ケンカする事も無く、無事に戻る事ができました。
できれば崖崩れ情報等を小豆島88箇所霊場の札所「堀越庵」「田ノ浦庵」に、分かり易く掲載してあれば、もっと良かった。
小豆島88箇所霊場の5番札所「堀越庵」へは細い路地を入った所に有り、塀に「堀越庵」の看板が有ったので、その看板の有る路地へ行くのだと思って行きましたが、どうも雰囲気的に庵ではなく、普通の民家の玄関のよおに思える。
引き返して「堀越庵」看板の貼ってある壁の家へ行くと、そこが5番「堀越庵」で、ナハハ(^O^)・・オッチャン間違って、もおチョットで民家の玄関先で尺八を吹く所だったでぇ。
もし吹いてたら、家の人は、何かオカシナモンが来た?・・と、ビックリしただろなぁ。
「堀越庵」は、白い壁に囲まれた狭い敷地の庵で、「妙光信女」の説明看板が有り読んでみました。
幕末の頃(1865年)、遍路姿の若い尼僧「妙光」がこの庵に来て住み込み、やがて村の子供達に読み書きを教え、お産の面倒をみました。
月日がたち妙光尼を捕らえようと大勢の捕手が迫りましたが、村人達は近くの岩穴にかくまい続けて数年、村にお産が有る時だけ姿を表してお産を手伝いました。
ある時、村人が岩穴を訪れると、一人さみしく息絶えていたそうな。
村人は妙光尼の死をいたみ、ここに葬り、以後、産婆の居ない村では安産祈願の仏と信仰されているそうです。
年号まで書いて有るから、実際に有った事だと思い、その墓がたぶん5番「堀越庵」境内に有る墓なのでしょう。
越後屋が「(妙光尼は)何を悪い事したんだろねぇ」と現実的な事を言う。
まぁ、確かに大勢の捕手がわざわざ来るほどだから、よっぽど凶悪な何かをして指名手配になったのじゃろなぁ。
読み書きを教えたり出来るので、一般庶民のそこらに居るゴンベエさんのカカァとか、ドラ娘では無く、教養の有る武士階級の婦人だったように思う。
かくまったという岩穴の場所も図に書いてあれば、近くだったら寄ってみたかったが無い。
帰ってから「妙光尼」の事をネットで調べてみると、「二十四の瞳」を書いた壺井栄がこの話しを元に「妙貞さんの萩の花(昭19.3「少女の友」)」という作品を書いたよおです。
「妙貞さんの萩の花」の「あらすじ」を見つけて読んだが、あんまりにも簡単過ぎて、よぉ~わからんが大部省略して書いてみると。
母子家庭の少女が、学校の文化祭で自分が書いた作文を朗読中・・
家が貧乏なので母を手助けしたいと思ったが、「学校だけは出てくれ」と言う母を「妙貞さんの萩の花」のように大切に育てていきたい・・・という所まで読んだ所で嗚咽して先を読めず、中断して降壇・・・
少女は、母が「チリンチリン(便利屋の事)」と言われ、馬鹿にされ軽蔑されていても、母の仕事を立派だと思っている。
その事を最後まで読み上げたかったが、途中から書いた字が読めなくなった・・・
前後・中程、かなり省略して記載したけど、これが「あらすじ」の主旨のような気がするが、違うかな・・・でも、いかにも壺井栄らしい作品内容だと思う。
ちなみに作文の「妙貞さん」というのは、「妙光尼」の逸話を元にしてるようです。
5番「堀越庵」を出ると、すぐに「馬立峠」への標識が有りました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「奥州薩慈」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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