HOME > 遍路・巡礼 > 小豆島88箇所霊場「地図・目次」 > 37 薬師堂
遍路日 2011.12.10 掲載日 2013.1.10
オリーブ公園の県道沿いにある「小豆島民族資料館」の駐車場に車を置き8時頃、28番札所「薬師堂」へ向けて出発。
県道のオリーブ並木を通り、「竹生」付近から瀬戸内海らしい島々が見えます。
「石場」集落を抜けたカーブの山際に階段が有り、そこに遍路標識が有り、たぶん階段を上がって、車道のS字カーブをショトカットするのだろおと思って上がると、いかにも遍路道らしい山道が有ります。
おぉぉぉ・・・!!と感動したが短い距離で、すぐに砂利道の林道のような道に出て、オババが、ヨチヨチと手押し車を押しながら向こうから来ます。
挨拶しましたが、この付近には人家や畑みたいもんは無く、見渡しても山ばっかしだが、朝の散歩で、どこまで行って来たのじゃろうか?
手押し車ならばコンクリ舗装されている車道の方が、押しやすいと思うが・・・
霊場会発行の地図本(青線)では、海岸沿いの県道を歩く事になっており、そのうち海岸端の県道と合流するだろおと思っていました。
しかし、なかなか県道と合流しないので、国土地理院の地図と比較すると、地図本で「へんろ道」と記載されている山側の道を知らずに歩いていたのがわかりました。
おおいぃぃ・・・霊場会の地図本、青線(徒歩用)の位置が間違ってるでぇ、たぶん小豆島88箇所の歩き遍路した大部分の人が、ここを歩いてる途中で「アララッ・・・?」と思ったじゃろなぁ。
もっとも海岸沿いの道よりも少し距離が長くなるかもしれんが、車に怯えながら歩くよりも良く、また山上から見える海も良かったので、これはこれで良かったかもしれない。
昔は海岸沿いの隣接集落での交通には、船を利用する事が多く、海岸沿いの道が無い事が多い。
それでも必要に応じて集落間を行き来するために山越えする道も必要だったので、この山上に有る道は、今は道幅が広くなっているが昔から有る道だったように思う。
途中に「長崎のしし垣」の看板が有りましたが、どうせ石で組んだ石垣だろおと思って、見に行きませんでした。
歩き遍路していてると、「吉野」「蒲野」「小蒲野」集落への3方向へ行く分かれ道の所へ来て、28番「薬師堂」の有る「蒲野」方向行くのが旧遍路道で、ちゃんと標識も設置されております。
しかし「蒲野」に有る「薬師堂」は、麓の海付近に移設された・・と下調べしてたので知っており、地図本にもそのようになってます。
たぶん「薬師堂」が移設される前は、標識通りに「蒲野」方向へ行った方が合理的な道筋だったと思います。
しかし、そのまま「蒲野」へ向かうと次の29番「風穴庵」へ行く時に、わずかながらも同じ道を往復しちまい、そんなのオモロないし、距離的にも余り違わないので「小蒲野」集落へ下りる道を行きました。
そしたらいきなりS字カーブの急坂なんですねぇ・・しかもコンクリ舗装の・・
こりゃあぁ・・車でこの坂道を下るのもタイヘンだが、上がって来るのは、もっとタイヘンだろなぁ。
県道251号線に出て、テクテクと歩き遍路・・・・
「蒲野」集落入口付近に「薬師堂」の看板が有り、その道を行く途中に小型トラックが止まってます。
そこに居たトッツアンに挨拶しながら、何気なく荷台を見ると、プラスチック箱に魚の贓物のような物が一杯入っており、σ(*_*)が不思議そうな顔していたのがわかったのか、トッツアンが「イノシシの贓物だよ」と笑いながら教えてくれました。
「捕れたのですか?」 「大きいのがね・・そこで解体した所だ」」と小川の対岸に有る、草むらを目で教えます。
ううむうぅぅ・・そお言われてみれば、解体を家の敷地ですると血が流れたりしてタイヘンだろなぁ。荷台には、そんなに血が流れてなかったが・・。
よっぽど見に行こうかと思ったが、夢に出て来るとオトロシイので止めときましたが、後で聞くと越後屋も同じような事を聞いたらしい。
「ここへ来る途中の山に「ワナ注意」の看板がありました。」 「あれはワシが作ったんだよ」と教えてくれた。
そこから余り離れていない所に、小豆島88箇所霊場の28番札所「薬師堂」が小川の側に有り、どっちかと言うと墓地内へ移設したという感じの小さい庵です。
「薬師堂」前に霊場で良く見かける、お馴染みの「小僧さん」の看板が無かったら、それが札所の「薬師庵」だとわからず、墓のための施設だと思って行き過ぎたと思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「奥州薩慈」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。