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遍路日 2011.12.13 掲載日 2013.2.1
地図本によると「中山」へは「池田」から来るのがホントらしいが、それを見るまでは、どのようなコースで「中山」へ来れば良いのか、わからんかった。
地図本を見れば、札所番号順に巡ると、そおなるのかもしれませんが、でも「中山」へは「土庄」からバスで「春日神社」まで行きズルしました。
早朝のバスは客がだれも居なく、σ(*_*)らだけの貸し切り状態だったので、バス運転手が小豆島の事をいろいろと話をしてくれます。
ホンマは運転中は話したらアカンのかもしれんが・・関係者の人、叱らないでね。
「春日神社」でバスを降り、すぐ近くの「中山農村歌舞伎舞台」へ寄り、ポスターで見かけるように敷地は広く段々の桟敷風になってます。
ポスターの写真では春日神社・社殿方向へ向かって写っていたので、神社側が舞台だと思い込んでました。
しかし、そおなるってぇ・・と、後ろへ行くほど見物席が下がるようになり、後ろの人達は頭しか見れないでぇ・・小豆島の風習は、こおいうのが特徴なのかな?
が・・・どうやら逆で、かすが春日神社側から正面に見える茅葺きの家が「中山農村歌舞伎舞台」らしい。
最初に見た時は戸が閉まっていたので、失礼な事に物置かと思っちゃった。(^O^)ナハハハ・・・
春日神社から少し行くと、茅葺き屋根の43番札所「浄土寺」が有ります。
石垣の有る茅葺き屋根が見えたので、大きい寺かと思ったら、茅葺きは庫裡で、同一境内に小豆島88箇所霊場の43番「浄土寺」と45番「地蔵寺堂」が有りました。
堂には看板が掛かっていないので、どちらが、どの堂かわからんかったが、「地蔵・・」と書いてある方が45番「地蔵寺堂」だと思う。
参拝していると住職が出てきて庭掃除を始め、参拝後に挨拶すると「どこから来た?」の話しから始まり「新潟から・・」と答えると、えらい新潟の事に詳しかった。
良寛さん、山本五十六・・この付近は有名人だから知ってるかもしれないが、「河井継之助」の名前まで知っており、新潟県以外では「河井継之助」は有名でないと思ってました。
なんせ、σ(*_*)も新潟県人になり、しかも越後33観音霊場を巡るまで知らなかったもんでして・・・・
「NHKは、くだらん大河ドラマばっかりやってないで、河井継之助みたい人物をドラマにすべきじゃ。
あれほど自分の信念を曲げずに戦った人物はおらん。
今まで(民主党政権)の総理は、女みたいにクネクネしたヤツばっかりだ。」
天下り電波押し売り協会のNHKも、民主党も皆から嫌われてまんなぁ。(^O^)ナハハハ・・・
ちなみにこの時は、一日一刻でも早く民主党政権が終わって欲しいと庶民が心底熱望していた、「ルーピーアホ鳩」「スッカラ管」がやっと辞めて、野田総理が民主党政権を引き継いでいた時期でした。
「やっぱり尺八の音は、昔から有る日本の音で良いねぇ。」とも言って、現在の日本情勢を憂いています。
「河井継之助の新潟での評価はどうか?」
「北越戊辰戦争後は、長岡が戦場になった原因者だとして、河井継之助の墓を傷つけられたりしたらしいですが、今は歴史も流れて、たぶん「良し」とする方が多いのじゃないですかねぇ。」
それからも盛んに河井継之助を誉め、それと比較して現政府・民主党をこき下ろしてました。
民主党のアホさ加減には同感で、話が盛り上がりそうでしたが、長くなりそうなので適当な所で打ち切り、礼を言って寺を出ました。
次の44番札所「湯舟山」への道を尋ねると「「湯舟山」へは、門を出て塀沿いに行けば良いよ」と教えてくれます。
写真では、「地蔵堂」となってますが「地蔵寺堂」が正しいよおです・・すんまへん。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「奥州薩慈」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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