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遍路日 2011.12.13 掲載日 2013.2.2
山道を上がり、車道を横切り再び山道へ・・車道に出て歩くと、城を思わせるような石垣の有る小豆島88箇所霊場の44番札所「湯舟山」に出ました。
山門・・と言うか・・・ボンビーな人間には、畏れ多くてとても入れない高級料亭のような門を潜り、境内のベンチで荷物を降ろして一休み。
44番「湯舟山」は無人ですが、そんなに荒れた感じではなく、落ち着いた雰囲気があります。
庫裡玄関横の手水鉢に、紅葉の枯葉が浮いてるのが人が住んでいない様子を表しており、これだけの敷地と景色を、手入れせずにおくのは、もったいないなぁ。
尺八を吹いて44番「湯舟山」で参拝していると、ベンチの方からオババと越後屋が話しているのが聞こえました。
参拝が終わってオババに挨拶すると「そこの軍人墓地から水を汲みに来たが、どこからともなくキレイな音が聞こえたので、どこから聞こえるんじゃろと思って来てみた。」と言います。
ウレシイですなぁ・・・・!(^^)!。理想的な尺八を聞いてもらえた展開シーンです。
オババは、どこかそこらに居るようなオババと違い、何とく品の良さそうな顔立ち雰囲気が有り、学校の先生とか生花の先生なんぞを、やってたのかもしれない。
それにしても、ここら付近には軍人墓地なんて有るのだ。
後で越後屋に聞くと、この44番「湯舟山」にも以前は住職が居たらしいが、地元の人とモメて、それ以後は無人になったそうで、惜しいなぁ、σ(*_*)に住まわせてくれたら、ここで尺八吹きながら庭掃除くらいはするのにぃ。
オババと別れて、しばし境内を散策すると、ベンチ近くの大木の中に地蔵さんが有り、側に「杉中矢久興家地蔵」と彫った小さい石碑が横に有ります。
何か云われの看板が無いかと思ったが見当たらず、そもそも「杉中矢久興家地蔵」・・って、何と読むの?
「杉中」は杉の大木の中に有るのでわかるが、「矢久興家」がわからず、どこか名の有る家に置いてあった、カワイソーな伝説の有るアリガタ~イ地蔵さんなのだろか?
帰ってネットで調べたら、この地蔵さんに関する掲載は無く、やっと某ブログで「矢久興家」は当て字で「やくよけ」と読むらしいのがわかりました。
あらまぁ・・・おっちゃん、頭悪いから、わからんかったでぇ。ナハハハハ・・・(^O^)
44番「湯舟山」境内の隅に「名水百選 湯舟の水」が有り、水が流れ落ちてるので飲んでみると、思ったよりも水が温かかった。
「湯舟の水」横に有る鳥居を潜って壊れたような祠へ行ってみると、側には耳をしっかり押さえた「三猿」を彫った石碑が建っています。
へえぇぇ・・こんなのが有ったんだ、「三猿」の石塔とは珍しいでんなぁ・・云われは、どんなのだろ?。
祠は「熊野三所大権現」の額が掛かっており、昔は極彩色に塗ってあったが、今は剥げ落ちて痛々しい感じがする。
中に木札が置いてあり読んでみると「湯舟の水」に感謝する言葉が書いてあり、以下原文のまま。
山はべんりが わるいといふけれど
ゆぶねのごんげんさまの そのしたに
いつからかしれぬが むかしから
あくすいいらずの よいみずが
いつもどんどん わきいだす
ぶらくのゆうしが ごそうだん
うまくはなしが まとまつて
ゆぶねのおおだとに たんくす江
おくとにしとに すいどしき
きれいなおみづで すいじをし
やぶ?はおふろに ためこんで
きれいにぎょうずい できるのも
ごんげんさまの おかげじと
まいにちよろこび おれいする
八十四歳丑之歳女敬白
?テル
「?」は掠れて読めない字で、上手な毛筆で平仮名で書いてあり、「湯船の名水」を使って日常に使用し、感謝しているのが、よぉ表れています。
惜しむらくは、この祠を、もおチット手入れすれば良いのになぁ、σ(*_*)に住まわせてくれるんなら、直しちゃうだが・・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「奥州薩慈」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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