HOME > 尺八関係 > 虚無僧寺「目次」 > 7 千葉・旧山田町大角 虚無僧墓
2012.5.22 訪問 2012.5.28 記載
千葉・旧山田町・・今は香取市になっていますが、昔は山田町だったところに「虚無僧の墓」というのが有ったらしい。
しかしネットで調べても詳しい場所がわからず、また紹介されているページもリンク切れしており、これに関する詳しいHPは見つけることができませんでした。
こおいう場合は、旧山田町役場だったと思われる「山田区事務所」へ直接訪ねてみるのが一番です。
区事務所の入り口に入り、一番近くに座ってるネーチャンに、担当の課では無いのは重々承知しているのですが、そんな事を無視して
「あんのおぉ~・・・、ここら付近に虚無僧の墓があると聞いてきたのですが、どの付近にあるのでしょうか?」
「さあぁ~・・聞いた事無いんですが・・」
ここで「はぁ~さようですか、それでは又この次の機会にでも・・」と「さよなら」しちまったら、何しに来たのかわからんので「観光商工課はどこでしょう?」
「合併したので観光商工課はありません。」
あらまあぁ・・、それなら、やっぱり、この辺で「さよなら」を・・と言うワケにもいかんので
「それならば、それに代わる課か、または虚無僧墓に詳しい方はいないでしょうか」
ネーチヤンは、ちと考えて「地域何とか課の人なら知ってるかもしれないので・・」と言って案内してくれました。
地域何とか課の若い職員に、もう一度、虚無僧の墓について聞いてみると
「ええっ・・そんなの、有ったかなぁ・・」
おいおい・・地元の役所の人でさえも知らんのなら、もうお手上げじゃぞおぅ。
職員は、しばらく腕組みして考え「あっ、そおいえば、それらしいのが一つ有った。」
おおぉぉぉ・・・、それじゃあぁ~・・・良かったあぁ。!(^^)!・・一時は、どうなるかと思ったでぇ。
職員が「香取 まちしるべ」というパンフレッを持って来たので見ると、その地図に、ちゃんと「虚無僧墓」と記載してあり、しかも「返り討ちを悼み刀を供えて祈願」と、ワクワクするような事まで書いてあるでねぇか。
こんな大事な場所を隠すな、コラッ。(^O^)
「ただねぇ・・」
ん?・・ただ・・何なの?・・早く言って・・じらさないで・・・お願い・・・
「その場所へ行くには、目標物が無いんですよ」
へっ・・・?
よくよく聞いてみれば、畑の中に塚があるだけで、目印になるような物は付近には何も無く、ゆっくりと車で、その付近を走りながら探すよりしかたがないらしい。
塚と言っても、そんなに大きい塚では無く、平坦というか・・何というか、そんなにコンモリしてない。
その畑へ行く分かれ道の目印は、自動車修理屋があるから、そこまではわかると思う。
聞くだけでも、わかりにくい場所なんだから、そりゃあぁ~・・そのスジの人達が探し訪ねようとしても、場所がわからんかもしれんわなぁ。
職員がパンフレットの地図に印を付けて道順を教えてくれ、礼を言って出ました。
教えられた自動車修理場の分かれ道は、すぐにわかり、その分かれ道をソロソロと進んで行くと、周り一面は広大な畑で、確かに目印となる物は一つも無い。
うむうぅ、コンジョ入れて探さなくちゃ・・塚らしい物は無いか・・と注意しながら走ったのですが、派出所の有る十字路まで来てしまい、わかりまへん。
地図を見ると、派出所まで来たらアカン事になってる。
派出所へ入り、虚無僧墓の場所を尋ねると
「はん?・・そんなの有ったかなぁ・・・」
ワアァ~ァン(T_T)・・そんなこと言わないでよぉ~・・あぁたぁ、だけが頼りなのにぃ。(/_;)
お巡りさんが、パンフレットの地図を眺め直して、しばし考え・・
「ああぁぁ・・そおいえば有ったぁなぁ・・草がボウボウに生えている。」
ここの虚無僧墓は、地元の人達に尋ねても直ぐに一発で答えられなく、必ず一度は「そんなの有ったかなぁ」と言われ、どこだか少し考えないとアカンほど知られていない場所だったのね。
「ただねぇ・・・目標物というのが無いあぁ・・。」
ここでも目標物が無いのがネックになってます。
「そお言えば、卵屋さんの看板が立っており、その下の草ボウボウの所が、それですよ。
囲いがしてあって・・ん?高さ?・・腰位の高さかなぁ、この部屋位の広さで・・」
礼を言って、ソロソロと戻り・・おぉぉ・・看板があったぁ。!(^^)!・・その下は草ボウボウになっとるが、まさかこれ?
その草ボウボウの中に白杭とブロックのような物が積んであり、車を止めて確かめると、オマワリさんが言ったような囲いになってます。
で、看板を確かめたら卵屋さんの看板ではなく、ゴルフ場の看板でした。
卵屋の看板は、もう一つ向こうに有りましたが、だれにでも思い違い・勘違いは有るので、そこは追求せず、看板の下に有るという事を教えてくれたオマワリさんに深く感謝。
「説明看板」も立っており、内容は下記の通り。
「山田町指定文化財 指定日 昭和56年9月22日
所在地 山田町大角1579番1
天保の初年頃、一人の虚無僧が小川村名主高橋家に一夜の宿を乞い、翌日一管の尺八を礼として旅立った。
大街道地先にて目指す敵に出会い切り込んだが、刀が折れ返り討ちになったという。
里人がこれを手厚く葬り、いつしか信仰に結び、墓前に刀を供え霊を慰める事により願い事が適うと伝えられ、以前は数多くの木刀が供えてあるのがみられた。
梵論(ぼろ)塚は、虚無僧となって仇討ちをしようとした、当時の社会の一つの行き方を物語るものと考えられる。
全国的に例の無い貴重な資料で、特異な史跡といわれている。
平成8年3月 山田町教育委員会
草ボウボウの囲いの中に入るのは、ちと勇気がいったが、生えてる草を踏みつけ・蹴り倒しながら、まずは中に立ってる白杭を確認。
字は、ほとんど読めなかったのですが、それでも「虚無僧墓 山田町」と書いてあるようです。
草むらの中にコンクリブロックが置いてあり、何でこんな所に在るんじゃろ?
確かめるために、その付近へ向かって草をなぎ倒しながら歩いて行くと、草の下に銀刃や黒鞘のオモチャの刀が5・6本まとめて置いてあります。
あちゃあぁ・・草で見えなかったから、踏んづけちゃったでぇ。
それにしても説明看板に書いてある通りに、今も刀が奉納してあったのには正直言って驚いた。
これだけ草ボウボウで、だれも手入れをしてないようだから、刀なんて腐っちまって形も残ってないかと思っていましたが、シッカリした形をしてます。
そいで先程から気になっていた、コンクリブロック付近の草を引っこ抜いて確認すると、ブロックかと思っていたのは石で「梵論(ぼろ)塚」と彫ってあります。
「虚無僧墓」ではなく「梵論」と書いてあるのが、いかにも歴史を感じさせます。
一般の人は「虚無僧」と言えば「あぁ~、あれか・・」と通じますが、「梵論」と言っても「はん?何?それ?・・」と、言われて意味がわかんと思いますが、ずう~っと昔は虚無僧の事を「梵論」と言われてたんです。
そこらに固まっている石付近の草を引き抜いて確認すると、全部の石は確認してないが、ほとんど「梵論塚」と彫ってありました。
雨が降っていたので、探索はこれまでにしました。
確かに畑の中で目印となる物は何も無く、ただひたすら「山田グリーンゴルフ」の看板を目当てに探してください。
今は広大なる畑地ですが、たぶん昔は樹木の茂った街道筋だったと思います。
もしこれを読まれ、この地を訪ねてみようと思われた方へ、「志」有れば、せめて雑草の5・6本でも引っこ抜いて、「草ボウボウ」の汚名返上、少しでも整備協力されんことを望みます。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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