HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・町石道 > 8 祈 り(高野山・金剛峰寺)
H16/8/14 UP
高野山の町を歩いていて宿坊や庭園等の立派さは、外観から見ても何となくわかります。
四国では宿坊と言えば寺と一体なのですが、高野山の宿坊は、なぁ~んか寺とも違うような感じです。
ホントは立派そおな庭園を持っている各宿坊で尺八吹いてみたかったのですが、勝手に門へ入り尺八吹いちまって、ややこしい事になったらアカンので止めておきました。
「苅萓堂」へ行き、ここは宿坊でないから大丈夫じゃろおうと思い、勝手に玄関正面の賽銭箱前で尺八を吹きました。
参拝後、近くでお守り販売しているアンチャンに会釈したら、丁寧に返礼をしてくれ納経所のジサマも文句言いませんでした。良かったなぁ~。
堂内はグルッと一巡できるようになっており、「石童丸」の生涯を描いた額が飾ってあります。
堂内が薄暗く、説明文も小さいので少し読みずらかったけど・・・
堂内を一巡した最後付近に地蔵さんだかが奉ってあり、何となく響きが良さそうに思ったので尺八を一曲吹いてみると、最初に吹いた賽銭箱の所より反響効果が有り良かったような気がする。
その壁を隔てた所が正面玄関なので、先程のお守り販売しているアンチャンに、
「尺八を吹かさせてもらい、ありがとうございました。ついては、お尋ねしますが高野山に沢山のお寺が在り、そのお寺にて今のように尺八を吹かせてもらう事は可能でしょうか?」
「さあぁ・・どおなんでしょうねぇ・・宿坊ですから・・」
「でも、お寺なんでしょ?」
「そうですけれど、宿坊ですからねぇ・・・」
と言葉を濁し、何となくアカン雰囲気のような気がしたので、それ以上は聞きませんでした。
宿坊の姿勢が、寺を主としているのか、単なる宿を主としているのかでしょうなぁ、何となく宿を主としている印象を持ったが・・
昼近くなので、土産屋兼食堂をやってる店に入り、「精進料理定食(1500円)」というのを話の種にどんなモンかと思い注文しました。
普段、食堂へ入っても800円程度の物しか注文せず、今回はせっかくだからと最高金額の物を食べちまったが・・・普通の単なる「天ぷら定食」と全然変わんかったので、今度から「ライスカレー」にでもしておこ・・
食事中、頭を青々と剃った、坊さんの卵らしい20才前後の人達も食べに来ており、宿坊では昼飯を作らないんかな?と思ったけれど、良く考えれば寺関係の大学生なのかもしれまず、会話の内容も今時の若い衆と同じでんなぁ。(^_-)
金剛峰寺の拝観料を取る所で「ここで尺八吹いたら・・」と聞くと、やっぱし「室内では・・・」と断られ、さすが高野山・・畏るべし・・・四国の寺とは違いまんなぁ。
襖絵の有る部屋を見て渡り廊下を歩くと、鶯張りの廊下で「ギッ・ギイッ・・」という音と共に「キュッ・キュウッ・・」という鶯張りの音も良く聞こえます。
「入場券を持った人には休息所で茶・菓子が出る」と貼り紙してあったので、そりゃあぁ・何がなんでも、茶と菓子を食べてこなけりゃアカンと行ってみると、オバハンが愛想良く、お盆にお茶と紙袋を載せて、これを持って大広間で休めと言ってくれます。
赤い絨毯が引いてある大広間の入口に「ここで寝たりしないでください」と書いてあったが、そおいう貼り紙を見ると、なぜか「おぉぉ、それも良い考えじゃ」と思いゴロンと寝転がりたくなっちまいます。
「霊宝館」へも行き、ゆっくり見たかったのですが、なんせ足が痛くて、立ってるだけでキツク、コンジョが足りんもんだから・・
仏像なども古く「ほほぉぉ・・」と思いながら見たのですが、この仏像に魂が入ってるかどうか?という、くだらん事まで考えながら見る余裕は無く、たぶん魂が籠もってるでしょう。
一通り高野山の主たる物を見物し、町並には自販機が見当たらなかったので「大門」へ行ってジュース買って飲んでると、一人の遍路が丁度、町石道を上がって来ました。
おぉぉ、懐かしや・・ここで笠を被り白装束にリュックを担いだ四国遍路者と出会うとは・・
なんせ、高野山へ来ても遍路のカッコウして歩いとる人間とは、だれ一人として出会わなかったからなぁ。
唯一、団体バス1台から降りた団体だけが遍路のカッコウしとったが・・・
さっそく、自販機で1本買い、お接待をして聞けば、昨日満願し今朝9時頃「慈尊院」を出発したという大阪の人でした。
以前に車で高野山へ来た事があるそおで、四国遍路した人なら、つっこんだ話でもわかると思い
「言っちゃあ悪いけど、高野山は思ってた印象と違ってました。
四国だったら、また行きたいと思うが、高野山へは何故かまた再び来たいと思わないんですよねぇ。
信心が足りんからかもしれんが・・・」
「そおですねぇ、四国は寺が観光化されてると言っても、そこには信仰があり、読経が聞こえて来ますからねぇ。
しかし、高野山では読経が聞かれまへんから・・・。」
うむぅ・・そう言われれば、高野山では読経しとる人は見なかったなぁ。
ほとんどの人は賽銭あげて、手を合わせてオシマイちゅう感じで・・・
奥の院で尺八を断られた時、代わりに経を唱えてると、横へ来た老夫婦が経を唱え始めたのが唯一だったなぁ。
説明しとる案内人も真言を唱えさせるだけで、経は唱えなかったもんねぇ・・もっとも、経まで唱えさせたら時間が掛かってしょうがないやろうけれど・・
歩いて来た熊野古道・町石道は、四国同様に・・いや、それ以上に素晴らしい道でしたので、皆の衆も是非歩いてみなせぇ。
高野山へ来るまでは「静かなる霊域」と心に思ってましたが、残念ながら正直な感想を言うと、印象と違って四国の寺々とは、なぁ~んか雰囲気が大きく違うんですわねぇ。
大きな立派な寺やら、何やらは沢山有るけれど・・・
遍路する人達との出会いや会話したりする事が、ほとんど無い環境だったからかもしれまへん。
また、この遍路が指摘したように、四国のように必死に祈り・願う姿を見る事が無かったからかもしれまへん。
それでも、信心が足りないながらも、今まで巡って来た四国遍路の「一区切り」というか「まとめ」になったような気はします。
「熊野古道・町石道」を歩くは、ここで終了「完」です。
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恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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