HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・本宮道 >6 役 所(さぎりの里・上野の大杉・風伝峠)
国道から「大杉」へ向かって、熊野古道・本宮道をテクテク・・・
数日前に車野宿した「さぎりの里」が遠く離れて見え、あれが歩く道筋に有ったら寄って休んでいたのになぁ。
その「さぎりの里」近くに案内看板が立っており、あの付近を「役所」と言う地名にした落人伝説が書いてありました。
しかし、残念ながら伝説看板内容をデジカメに撮るのを忘れっちまい・・トシなもんで、ウロ覚えながら・・違ってるかもしれまへんが・・・
むうかあ~しぃ・・むかし・・、この地方に悪代官?・・山賊だったかな?・・いや、NHKという天下り特殊法人だったかな?・・まぁいいや、そのようなタグイの悪いヤツが居たらしいです。
その悪いヤツらは「受信契約しろ」と毎日しつこく、朝昼晩の区別無く、押し売りのように責めて来ては村人達を困らせていました。
そこへ戦いに敗れちまい、野に隠れ伏し、草を噛み、足にマメをこさえながら山を越えて逃れ来た落人達が来ました。
えっ?・・なんの戦で敗れた落人か?・・・すんまへん忘れました。
落人達は村人が泣いて困っているのを見て、カワイソーにと思いながらも、ここで目立つ事をしちまったら敵の追手にバレちまいます。
どうしょうかと迷った事でしょうが、ワシと同じように義理人情に厚い落人だったらしく、村人を困らせている代官だったか山賊だかNHKだかをやっつけてくれました。
村人達は大喜びして、赤飯を炊いて近所に配り、ジャリタレのために餅マキをし、若い衆の機嫌を取るために「ヨサコイソーラン踊り大会」を開催したりしました。
そして、その記念式典の席上において、村人達は落人達にもう隠れ逃れる事なく、このまま村に留まり、ぜひ村を治めてくれという要望書を落人のオヤブンに提出しました。
落人達にしてみれば隠れ住みながらキノコとか、ゼンマイ等の山菜ばかり食べていたので、いいかげん粗末な菜食生活に飽きが来ていたところです。
そこへ村の衆から、赤飯とか餅等のゴチソウのお裾分けが有ったもんだから、すっかり里心が付いちまい・・ボチボチここらでマトモな職に就いて生活をしたいなぁ・・・と思い始めていたので快く了承しました。
落人達が村を治め始めると、村は活気を取り戻して発展し始め、それと共に落人の話がどこからともなく広まり、その噂はお上の耳にも達しました。
しかし、お上はその善政を「良し」とし、格別のお慈悲をもち「そのまま村を治める事を許す」という粋な計らいをしました・・・エライでんなぁ。
そいで、落人達が村を治めてた場所が「役所」という地名になったそうです。
あの・・念を押しますが、これホンマにウロ覚えなので、伝説のスジがどこか他の伝説とゴッチャになっとるかもしれまへんので、正しくは「さぎりの里」近くの石垣付近に有る看板を読んでくんなせぇ。m(_
_)m
話しをもどして・・「大杉」集落に入りT字路近くの石垣付近に大きな杉が2本生えております。
チョット見た目には神社かな?と思いましたが、それが「上野の大杉」で隣は学校のようです。
農道を歩いて風伝峠へ、テクテク・・・それほどキツクない山道には、石畳が残ってました。
山道から車道に出たなぁ・・・と思った所に風伝峠のスタンプ箱が有ります。
人通りの多い場所だったら、だれかイタズラしたり盗んじゃったりするのでしょうが、ちゃんとスタンプが有りました。 !(^^)!
少し車道を歩いて再び山道へ・・・山道を出て車道に出る付近で家の屋根が見え、車道に出てみると食堂になっとります。
店は新しそうで、名前も「茶屋」となってますが、この車道を日中どれだけの数の車が通るのやら・・
歩いてる人も、そんなに多くは無いと思うが、果たして経営は成り立つんかいなぁ・・・と、いらん心配をしちまう。
「茶屋」を少し通り越した所から、下りの山道へ・・・律儀にも石畳が残っており、山道を歩きながら車の騒音が聞こえてきたら、もう風伝峠越えはおしまい。
後は国道をテクテクテ・・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八曲「五木の子守唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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