HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・伊勢路 > 21 八鬼山峠
熊野古道・伊勢路の「八鬼山峠」を「尾鷲」側から登って「三木里」からJRを利用して帰る場合、汽車が4時過ぎまで無く、時間がもったいないですなぁ。
一汽車早く帰れるようにすれば、2時頃まで「三木里」に着かなくてはアカンので、やれない事は無いが、ゆっくり見物する事も出来ず慌ただしい思いをします。
そこで究極の裏ワザとして「大曽根浦駅」に車を置き、朝8時頃「三木里」行きの汽車に乗って「三木里」側から「八鬼山峠」を登る事にしました。
「三木里」駅よりテクテク・・と旧町並みを歩き・・海岸に出たのでデジカメで写真を撮ってると、そこらをウロついてたヒマなオババが声を掛けて来ました。
「あんたら、これから八鬼山峠を越えるんかねぇ。ワタシも何度も通ったよ。
昔は生活道路でなぁ、海が荒れた時はこの道を通るしか無かったんやでぇ。 兵隊さんも皆、この道を通ったんや。」
うっ・・バアサン、生まれた年代がわかるでぇ。(^O^)
「八鬼山峠の所に「荒神堂」ちゅうのが有って、今でも扉が開くかなぁ・・
兵隊さん達はそこに名前を書いて武運長久を祈ったんやでえ。
その扉が開いたら、あんたらも名前書いて行きなせぇ。
えっ?・・うん、だれでも名前を書いてもええんだわ。」
そか・・記念ノートみたいモンだな・・有ったら書いとこ。
「熊野古道では、ここ(八鬼山峠)が一番難所と言われとってなぁ・・落書きもしてある。」
あっ!!・・ここの峠かぁ、熊野古道にスプレーで落書きして世界遺産反対と騒いでた所は・・
「三木里側は、白色(落書きの色)でまだ大人しいけれど、尾鷲側は赤色で書いてあり、ヒドイもんだわ。」
ほほおぉぉ・・地区別で色分けしとるんか、地権者が違うんかな?
「そいでねぇ、あんまり落書きがヒドイもんだから、それを見るバスツアー客がイヤ気をさして評判が悪くなっちまい、バス会社もツアーを中止しとるんだわ。」
ほほおぉぉ・・・バスツアーも中止させるほどならば、よっぽどスゲエ落書きなんだなぁ。
「ん?・・三木里側と尾鷲側とどちら側から登るのがキツイのかって?
そりゃあぁ・・三木里側から登る方が楽ですがなぁ。」
おぉぉ・・・良かったなあぁぁ・・でも、地元ビイキでなけりゃええが・・・
「今年は山にエサが無くクマが、よぉ~出るからのおぅ。
えっ?・・うん、居る居る、近くで見た人が居るからのおぅ。熊野古道近くでは猟をしとらんし・・猟しとる人も熊野古道を歩いてる人はわかるから、大丈夫だと思うでぇ。」
うん、こおいう場合のために、ホームセンターで1000円近くした「熊除け鈴」を買って来たんじゃからな。
「はっ?・・明治道と江戸道か?・・・どっちもキツサは同じだわ。(^O^)」
よっぽどヒマでヒマでしょうがなく、まだまだ延々と昼頃まで話が続きそうだったが、こっちもボチボチと八鬼山へ登らにゃアカンので、途中で礼を言って別れました。
八鬼山峠の登り口にベニヤ板の「世界遺産」反対看板がかかっており「八鬼山峠道は熊野三山の道ではなく生活道路を三山参りに利用しただけです。
賦役に苦しみぬいた過去を忘れてはならないのです 世界遺産反対 名柄原住民」と書いて有ります。
うんうん・・確かにご先祖様が「お上の命により」このクソ忙しいのに無理矢理使役にかり出されて、イヤイヤ重労働させられて石畳を作らせられたんだからなぁ。
ワシも庭石を動かすのにドエレエ目に遭ったから、その気持ちは、よぉ~わかる。もっとも、こっちは趣味でやってたから、まだ楽しみが有って良かったんだけれど・・、
しかし「賦役に苦しみぬいた過去を忘れてはならない」というのはわかるが、それがどうして世界遺産の反対に繋がるのか、よぉ~わからん。
世界遺産に登録されたら古道周辺50mは勝手に木を切ったり、手を加える事は出来ないらしく、林業の人達は、どうして木を切り出せばええんか困り、そおいう意味での「世界遺産反対」と言うのならわかります、生活がかかってるもん。
しかし、それと「賦役に苦しみぬいた・・」から「反対」というのは別問題と思う。
むしろその資料を発掘・公表し、世間にアピールして歴史的価値を高めた方が、ご先祖様も「ワシらの苦労が、やっと子孫の代でわかってくれた(/_;)ウッウッ・・」と草場の陰で泣いて喜ぶと思うがなぁ。
そいで看板署名を見ると「名柄住民」では無く「原」が付いており、名柄地区の住民全部が反対しとるわけでもなさそうです。
さっきのオババも、世界遺産に対してはどう思ってるのかわからんが、落書きに対しては批判的だったからのおぅ。
「名柄」集落を過ぎて少し行くと、石畳になり「一里塚跡」で休息し、説明板を見ると、兵隊を見送りに来る人は、ここで家族と別れたらしいです。
苔むした石畳を上って行くと、時々ベニヤ板や杉の木に「反対」等と書いてありますが、杉皮の表面に書かれた白ペンキの落書きは年月が過ぎ去ったためか、杉皮が剥がれ落ちたりして、あんまり目立たなくなっています。
まぁ・・これ位の落書きならば、意地を通したという事で、何となく落書きした人にも同情できると思う。
どうせ下を向いて歩いてるので、あんまり顔上げて落書きを見ないから・・。
やがて「江戸道」と「明治道」の別れ道へ来て、オババが言った「どちらも同じ」という言葉と、世界遺産に指定されてる方が「江戸道」だったので、そちらの方へ行きました。
「明治道」の方は、今まで歩いていた石畳が続いていますが、「江戸道」は石コロだらけの道を上がるようです
そしたら、先に上がってた越後屋が、「あらあぁ・・道が無い・・わからんで迷子になるわぁ・・やっぱし明治道へ行こう。」と言い、えっ?!・・と思って見ると、確かに越後屋が居る所は、石がゴロゴロしとる所へ入り込んでます。
ふと付近を見渡すと、その右手に木橋が架かっており、そちらが正規の道でした。
いきなり石がゴロゴロした所が登り口だったもんで、知らずにそのまま石の上を歩くもんだと思い、周りを見ずに下ばかり見て、歩き易そうな場所を上がって行ったんでしょうなぁ。
さすがに「江戸道」はドエレエ急坂で、今までの「江戸道」と言う場所は、全てそうだったが、昔の人はよぉ~こんな坂道を上ったもんじゃ
息切れしとる越後屋が「ワタシに構わず・・先に行って・・」と言い、当然じゃ、だれが待ってててやるか・・と、ばかりに後ろも見ずに置いて行きました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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