HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・伊勢路 > 25 風鈴(甫母峠・曽根次郎坂太郎坂)
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「甫母峠・曽根次郎坂太郎坂」地図のリンクは、「東紀州ITコミュニティ」様の了承を得ております。
「賀田」の町並を歩いてると、道路の際に電柱が立っています。
いえ、別に電柱が有るから珍しいとか、その電柱に花が咲いてたワケでもありまへん。電柱なんか、日本中どこにでも立ってますからなぁ。
で・・何でそんなに珍しくもねぇ電柱の話題を、わざわざ出したかというと、何気なく見た電柱に「安政」と「昭和19年」の津波の高さが赤い線で印が付けてあったんです。
最初にチラッと見た時は何かの広告のタグイで、ブサイクじゃのおぅと思ったんですが・・・改めて見ると、はりゃあぁぁ~・・ずいぶん高い所まで津波が来たんですなぁ。
以後、熊野古道・伊勢路を歩いてると、所々に津波の避難場所とか「ここは海抜5m」と書いてありました。
昼頃だったので道端の店へ入り「オニギリのようなモノは無いか?」と聞くと、店のオババが「「山菜おこわ」なら有る」と言います。
一応食料は持って来てましたが、ちっとは地元産の何か珍しい物でも食べようかなぁと思い・・値段を聞いたら「450円」・・・うっ高い!!・・スーパーの総菜売場なら、2~300円で売っとるでぇ。
しかし、聞いちまってから「やっぱし高いのでヤンピ」と言うわけにいかないので1個買いました。
店を出てからコソコソと越後屋に「高かったなぁ、2~300円位かと思ったでぇ、」
「まぁ店も無いような遠い所じゃから、しかたがないかもしれんが、それでも高いねぇ。値段が書いて無いのを見て、ちょっと不安感は有ったのよねぇ」
「良かったなぁ・・・2つ買わなくて・・」
「賀田駅」の駅舎で、問題の「山菜おこわ」や、持って来た食料で昼食にしまして、問題の「山菜おこわ」は、それはそれなりに「おこわ」の食感がして美味しかった。
食事後、汽車が来るまで1時間ほど有り、どうせイナカだから、それまで客はだれも来ないだろおと思い、賀田駅舎のベンチで尺八を吹きました。
駅舎改札口付近に、だれが付けたのか風鈴が一つぶら下がっており、たまにチリ~ン・・リンリン・・・と風に合わせて涼しい音を響かせています。
近くの山からは、透き通るような鶯の鳴き声が続き・・この自然の中における尺八演奏会での観客は、ダラしなくベンチでゴロ寝している越後屋がただ一人・・
ええですなぁ~・・・こおいう遍路旅をしたかったんだよねぇ、何の制約も受けず、自分の吹きたいなぁ~・・と思った時に、気ままな場所で好きなだけ尺八を吹く・・というのが・・
遍路していても日にちが決まっており、どうしても計画通りに歩かなければアカンので、なかなかこおいう「自分が吹きたいと思った時に吹ける」という機会は有りまへん。
死ぬまでに、思いっきり1年間ほど気ままな遍路をして、時間を全く気にする事なく尺八を吹いてみたい。
風鈴はええなぁ・・・自然の風に流されるまま、自由に音が出せて・・・
汽車が来る少し前に「賀田駅」を出発し、熊野古道・伊勢路「甫母(ほうじ)峠」へ向かいました。
海が見える舗装道路を歩いてると、途中の曽根町・民家脇に「首なし地蔵」が有り、どんなオトロシイ伝説が有るのかと思い、案内板をワクワクしながら読んでみました。
しかし、どうも単に江戸末期頃から既に首の部分が無かっただけらしく、オトロシイ云われは無いようで・・チエッ・・。
飛島神社付近で、国道と民家脇の細い路地がY字状になって別れており、城山と熊野古道の標識が有りますが、果たしてこの狭い路地へ行って、ええもんか・・・
地図には「民家の間の細い道」と書いてあるので、たぶん良いじゃろうと思って進み、途中に城山へ行く標識があり、ホンマに狭い路地をウロウロと歩き、アスファルト工事の仕事を中断させてまで通らせてもらい・・・すんまへん・・・
甫母峠の登り口は墓になっており、少し登って振り返ると、先程どうしょうかと迷った飛島神社の森や曽根の町並が見えます。
結論的に言えば、どうしても古い「曽根」の家並みをウロウロしたいというならば、それでも良いんですが、あっさり国道をそのまま来た方が、いらん心配しながら歩くより良いかもしれず、国道にも大きく「熊野古道 入口」と看板が出ていました。
甫母峠への石畳を歩いてると、途中に木株で作った椅子が道脇に有り、けっこうシンドイ登り坂だったので、ちょうど休みたいなぁ~・・と思ってたところなんだよねぇ・・作ってくれた人、ありがとう。
さらに山道を登ると「巡礼供養墓」が有り、越後屋が「パタリ・・」と倒れるマネをしてくれ・・はいはい、そのまま倒れて、もう起き上がらんでも、ええよ・・。
石階段を上がってると道端の左側に大きい岩が迫り出ており、「鯨石」と案内が出ており、うん、ホンマに鯨の頭部分のような形に見えて、たいしたもんですわ。
石畳の合間には木の根が張っており、熊野古道の歴史を感じますなぁ。
甫母峠頂上には東屋の休息所があり、付近に石垣と屋根付きの石室に地蔵さんが奉ってあり、大切にされてるんでしょう。
この甫母峠からは二木島へ下りるのが普通なんですが、もう一つ「甫母町」へ行く別れ道もあります。
実は二木島駅舎内に、「甫母町」の近くに有る「盾ケ崎」の写真が飾ってあり、これがまた朝霧の中に立った幽玄の岩を思わせる写真で、ぜひ立ち寄ってみたいなぁ・・と思ったんです。
よっぽど甫母町へ下りようかなぁ・・と思い、だいぶ悩んだのですが越後屋の「二木島に早く着いて時間が余ったら、車で行けば良いじゃん」という一言で、「あっ、それもそうだな、カシコイィ~」と思い、予定通り二木島へ向かって下りました。
で、車で「盾ケ崎」へ行ったのかと言うと、結局行きまへんでした。
後でわかったのですが「甫母町」と「二木島」の間に「盾ケ崎」が有るのかと思ってましたが、甫母町の少し向こう側に有るらしく、甫母峠から「甫母町」の方へ下りなくて良かったぁ。
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