HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道・伊勢路「目次」 > 29 鬼ケ城 (松本峠・笛吹橋・鬼ケ城)


 松本峠より七里御浜を望む、熊野古道・伊勢路を歩く  H19.8.25 UP
 「波田須・大吹峠・松本峠」地図のリンクは、「東紀州ITコミュニティ」様の了承を得ております。


松本峠から鬼ケ城へ/熊野古道・伊勢路を歩く

国道脇のパーキング、熊野古道・伊勢路を歩く松本峠の石畳、熊野古道・伊勢路を歩く松本峠へ、熊野古道・伊勢路を歩く松本峠、熊野古道・伊勢路を歩く

 「松本峠」登り口付近にある国道脇のパーキングに車を置いて、熊野古道・伊勢路「松本峠」へ行きました。松本峠・地蔵、熊野古道・伊勢路を歩く

 松本峠の道にはそれなりに、ちゃんと石畳が残っているんですなぁ。

 山道を歩いて竹藪の中に大きい地蔵さんが立っている・・と思った所が松本峠で、設置されているスタンプ箱を見た時、あっ!・・スタンプ帳を入れた地図一式を車の中に置き忘れて来たというのに気付き、やっぱしトシか・・

 まぁ、今回は小さい峠越えなので、地図が無くても何とかなるが、これが他の長距離の峠越えだったら、地図無しではドエレエ目に遭ってたと思う。

 松本峠の説明板に、地蔵さんが鉄砲で撃たれて弾が当たったと書いてあったので、それを読んだ越後屋が「本当に弾の跡が有るか、見てこよっと・・」と言って、地蔵さんが立っている石段をトットと上がって行きます。地蔵の弾跡、熊野古道・伊勢路を歩く

 好奇心が強いと言うか、疑い深いヤツ目・・・普段ならワシを先に偵察に出して、自分は楽して待ってるのに、こおいう短い距離の所だと、珍しく積極的だのおぅ。

 伝説だから、そんな弾跡なんか無いと思ってたんですが、越後屋だけが見つけて、ワシが見なかったら面白くないので、負けずに追いかけました。

 地蔵さんをジロジロ眺めながら「あらあ~・・やっぱし(弾の跡なんか)無いわぁ・・・」と嘆く越後屋。松本峠より熊野市へ、熊野古道・伊勢路を歩く

 ほれみろ、やっぱし伝説は伝説であり、そおいうモンは無いんじゃ・・と思いながら地蔵さんの顔を眺めると、ワシとよぉ~似て、ボオォ~とした顔してまんなぁ・・・少なくとも高貴なお顔とは、お世辞にも言えん。

 ご尊顔を拝した後、台座から地蔵さんが着ている衣の右側を眺めた時、窪んだ小さい穴を見つけ、フウ~ムゥ~・・鉄砲の弾が当たると、石が弾けてこんな窪みが出来るのかもしれん。

 第二次大戦時に米軍機が室戸岬灯台へ撃った機銃跡を見た事が有りますが、やっぱしこんな感じだったからなぁ。松本峠より七里御浜を望む2、熊野古道・伊勢路を歩く

 スタンプの図柄を見ると、やっぱしそこが弾の当たった跡のよおで、地蔵さんの後ろ付近を、なおも執念深く探してる越後屋に「これが弾の跡じゃないかなぁ」と教えてやりました。

 ちなみに、伝説では鉄砲の名人が地蔵さんを妖怪と間違って撃ったらしく、そりゃあぁ~そうですわなぁ、ワシだってこの松本峠を上って来た時、竹藪の中にいきなり地蔵さんが立ってるもんだから、何じゃこりゃ?・・と、正直思っちゃったもん。

 しかし・・名人ならば衣の端なんかに当てるんじゃなく、額の真ん中とか急所に当てるのでは・・と思うワシは、きっと理屈っぽい人間なんでしょう。

「笛吹橋」欄干、熊野古道・伊勢路を歩く     笛吹橋より漁港へ歩いて来たコース、熊野古道・伊勢路を歩く     「鬼ケ城」入口、熊野古道・伊勢路を歩く

 麓へ降りて「笛吹橋」で一休み。

 「笛吹橋」のたもとに立札が建っており、笛吹橋の云われが書いてあり、それにはカワイソーな伝説が有りましてなぁ・・・

 むかあしぃ~むかしぃ・・「鬼が城」が「鬼の岩屋」と呼ばれていた頃、そこに住んでいた鬼達が人々を苦しめておりました。

 どんなヒドイ事をして人々を苦しめていたかと言うと・・

 鬼達は官公庁の天下り機関である特殊法人「犬HK」を作り、頼みもしないのに勝手に電波を垂れ流しておきながら、「受信料払え」とサラ金の取り立てのように執念深く脅しに来るんです。

 そして、鬼達はその受信料で、毎晩飲めや歌えのドンチャン騒ぎ・・・
 ええですなぁ、自分の好き勝手に湯水の如く金を使えて・・近所の人達は、やかましくて夜も寝れません。

 情け深い帝はそれを憂い、「スクランブルをかけて、見たい人だけ見るようにしろ」と言って将軍を差し向け交戦しましたが、鬼達はそんな事すると、だれも受信料を払ってまで見る人が居ないのがわかってるので、シノゴノ言って受付ません。

 その時、見よっ!!・・

 天空に観音様が表れて、美しい音楽と共に舞いを踊り始められたじゃありまへんか・・たぶん、フラダンスを踊られたのでねぇかな・・と思います。弁天様、熊野古道・伊勢路を歩く

 その踊りを鬼達が、ボケェッ~と口を空けて見とれているスキに、将軍達は「よっしゃあぁぁ・・今のうちじゃあぁぁ・・!(^^)!」とばかりに、弓矢で射て鬼を退治しました。

 勝利を祝う凱旋パレードにおいて、数十人のチアガールを先頭に将軍達が笛を吹きながらこの橋を渡った事から、この橋を「笛吹橋」と呼ばれるようになり、橋の欄干にある丸い穴は「横笛」の形を模して作られたそうです。


 うむぅ・・読み返してみると・・それほどカワイソーな話しでも無かったなぁ。

 なお、この云われは、ウロ覚えの所を、こんな内容だったかなぁ・・と思い出しながら書きましたので、どこか間違ってる箇所があるかもしれまへん。

 なんせトシなもんで記憶力が・・正確に知りたい人は調べてくんなせぇ。m(_ _)m鬼ケ城・遊歩道、熊野古道・伊勢路を歩く

 普通ならば熊野市街へ入って行くのですが、そのまま「鬼ケ城」へ向かいました。

 川に沿った道を歩き、途中の民家に居た人に「鬼ケ城へ行く道は、これで良いですか?」と確認すると親切に教えてくれます。

 国道の橋下を潜り、漁港の見える道端でオババがヒマそうに腰掛けていたので「鬼ケ城」へ行く道を聞くと「あぁ・・それなら、あの弁天様の所を上がって行けば良いんじゃ」と言って漁協の建物に隠れている森を指差します。

 ん?・・弁天様?・・そんな事を言われても始めて来たもんだから、どこに有るのかわかりまへんがなぁ・・・でも、トシヨリに何度も聞くと、話しがややこしくなるのが、今までの経験上わかってます。

 指差し示す方向の漁港端っこの岩場に階段みたいのが見えるので、そこから上がるのかな?・・と思い、礼を言って漁港へ下りる道を歩き始めました。鬼ケ城、熊野古道・伊勢路を歩く

 そしたら付近にタムロしていたトッツアン達が、オババとのやりとりを聞いていたらしく「そこから行くと遠回りになるから、こっちの道を行った方が良い」と漁協建物の裏側にある車道を教えてくれました。

 すんまへんねぇ、なぁ~も知らんモンですので・・教えられた道を行くと、鳥居が有りますが何か雰囲気が違い、そのまま少し歩くと別の鳥居のが有り、デエェ~ンと車が置いてある後ろに「鬼ケ城」の観光案内板がありました。

 案内板を見ると、けっこう岩場に応じた名前が付けてあるんですなぁ。

 鳥居の階段を上がると、さらに上へ行く方向と水平方向に行く道がY字なって別れており、水平方向は先程の漁港へ行くのじゃろうと思い、上へ行く道へ行ったら、そこがオババが教えてくれた弁天様の社でした。

 あちゃあぁぁ・・・Y字の別れ道の所に標識でも有ったら良かったのにぃ・・まぁ・・そこから下へ降りる道があったから良いけれどもね。

 「鬼ケ城」に来るまでは、名所と言われてるが、どうせ大したことが無いだろうと思ってましたが、しかし来てみると、けっこう変化のある岩場が長距離に渡って眺められ、十分に楽しめたので来て良かったと思います。鬼ケ城2、熊野古道・伊勢路を歩く

 遊歩道がもう少しで終わるなぁ・・と思う頃、向こうから4~5人の観光グループが来たので、道を譲るため岩場に腰掛けて通り過ぎるのを待ちました。

 「もう2/3ほど来たんかねぇ」と仲間と話してるのが聞こえたので「まだ半分も来てないと思いまっせぇ」と、余計な事を教えちゃった。(^O^)

 「あらあぁぁ・・(T_T)」「まだ先に見所が一杯有りますがなぁ(^O^)」

 実際、歩いて来た漁港側の方が見所が一杯有ったように思い、遊歩道はけっこう距離が有るので、時間に追われてる観光客の人達は、途中で引き返すじゃろなぁ。

 それにしても、あの人たちは終点の漁港付近まで行って、また元来た遊歩道を引き返してくるんかな?

 ワシらは、そのまま観光駐車場から車を置いたパーキングまで歩けばええんだけど・・


 大泊海岸、伊勢路・熊野古道←前頁「花の窟」へ  「熊野古道・伊勢路」はこれにて完了しました。 


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


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