HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・中辺路 > 3 船見峠越え(大雲取越え)
(登立茶屋跡・船見茶屋跡・船見峠・色川辻)
H16/11/28 UP
青岸渡寺の人に熊野古道・中辺路「大雲取越え」の登り口を聞くと、親切に教えてくれ「気ぃつけて行ってらっしゃい」とのお言葉も賜りました。
登り口の階段を上がると、いきなり、いかにも熊野古道~という感じの石畳の階段と杉木立が続き、けっこうこの坂もキツイのよねぇ。
途中、女人高野へ行く別れ道が有り、そこを一周すると約6kmほどらしく、行かなかったが、この次に来る機会が有ったらね。
30分ほど上ると開けた公園のような所へ出て、「那智高原公園」というらしい。
しかし・・・ ん?どこへ行けばええんかな?・・と思い、取りあえず石畳が敷いてある道を進んだら・・あらっ!?行き止まり。
付近を見渡せば、公園の中程に青岸渡寺の登り口に有ったのと同じ「青い看板」がチラッと見えたので、そこが上り道でした。
なあぁ~んじゃあぁぁ~損したぁ~・・それなら「那智高原公園」へ着いた時、真っ直ぐ突っ切れば良かったぁ。
この「青い標識」は熊野古道・中辺路の道中いたる所に設置されており、道に迷う事はありまへんでした。
とりあえず「那智高原公園」東屋で一休みした後、見つけた青い看板の道を上って行くと、林道に接した駐車場とトイレ・休息所が有り、その脇に山道が有り、そこからは「小口」まで民家も何も無くありまへん。
山道の入口付近の小枝に懐かしき「鯖大師」の遍路札がかかっていました。
熊野古道・中辺路を歩いていて、たまに「鯖大師」の札を見かけましたが、それ以外の人の遍路札は無く、四国のようにアッチにもコッチにも遍路札が・・という様な事は有りません。
もっとも、遍路札が無くても、ほとんど迷わない道で、所々案内看板も有り、また今では信仰とはあんまり関係無い道になってるからでしょう。
山道をエッチラ・・オッチラ・・・
途中に始めての茶屋跡である「登立茶屋跡」というのがあり、ホンマに一服したい所に昔は茶屋が有ったんですなぁ。
今は、その面影も無く古い石垣と、薄暗く木が生えてるだけじゃけど・・・
再び山道をヒーコラ・・・「舟見茶屋跡」・・・
この茶屋跡近くに東屋の休息所が在るのですが、少し道から離れた高台に在り、どおしょうかなぁ・・と思ってたんですが・・・越後屋が「どおしても休んでいく」と言ってきかないもんだから、しかたなく休みました。
船見峠茶屋跡・看板には、「那智湾・新宮方面が見渡せる」と書いてありましたが、あいにく霧がかかっており何も見えず、たまに風で霧が払われて近くの山が見えるだけです。
休んでいると、椅子の下に少し手を付けただけのお茶のペットボトルが1本転がっておりました。
あらあぁ~・・だれか落としたのに気付かず忘れて行ったのね・・水無しで、これからの「大雲取越え」はキツイじゃろおに・・・。
少し歩いた開けた所に「舟見峠」の看板があり、そこからは下り気味で「八丁の堀割」に着きました。
「掘割」と言うからには、何か八丁の大きさの物を掘ったのかと思ったが、何を掘ったのかよぉ~わからず、ちなみに、後で地図を調べるとここは「色川辻」という所らしい。
そいでもって、ここは舗装された車道との合流点で、同じ看板に「八丁の堀割」と「花折街道」への標識が在るもんだから、「花折街道」へ向かって行って良いもんか、それとも林道の左右、どちらの方向へ行ったら良いもんだべか・・・と、地図を見ながらしばし迷ふ。
四国だったら、確実に遍路札が有る所やろおなぁ・・・。
ワシが、迷ったついでにそこらの写真を撮っている間、越後屋が林道を歩いて偵察をしに行き、「でぇかん(ワシの事)・・こっちに道が有りまっせぇ」と呼ぶ声がするので舗装道路を左に50mほど行くと、下り道がありました。
その道をズンズンと下りて行くと、やがて赤い鳥居が有り、説明看板が無いので何の云われが有るのかわかりまへんが、真新しい石仏と花が供えてあったので、だれか参拝に来とるんでっしゃろおなぁ。
御神体は鳥居正面の大きな杉の木のようです。
やがて石畳の道は小さい谷川に沿って上がり車道に出ました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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