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   (胴切坂・楠の久保旅館跡・中根の旅館跡・円座石)


   熊野古道・影絵   大雲取越えの下り道、熊野古道・中辺路を歩く  H16/12/11 UP


胴切坂(大雲取越え)と足の痛み/熊野古道・中辺路を歩く

「胴切坂」の道・大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     胴切坂2、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     「胴切坂」の坂道3、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

  熊野古道・中辺路の「越前峠」からは、しばらくは緩やかな道を行き、やがていつ終わるかわからん延々とした下り坂が続き、この坂が大雲取越えの「胴切り坂」と言うらしい。

 この「胴切坂」を降りる頃から強烈に足が痛み始め、特に左足の関節に痛みが出て来ました。延々と続く「胴切坂」、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 なんせ昨夕から車を走らせて、夜中に那智まで来て車野宿し、睡眠不足と普段から歩いてなかったもんで・・・。

 長い下り坂を杖によりかかり、左足をかばいながら、ユックリ・・ユックリ下り・・・あまりの足の痛みに耐えかねて10mほど行っては立ち止まって休み・・・さらに10mほど行って石に座り込み・・・

 落城して逃げる傷ついた足軽が、槍を杖代わりにして落ち延び、迫り来る追っ手から逃れてる雰囲気ですなぁ・・陣笠の代わりに笠も被ってるし、山の雰囲気も合ってるし・・これは下手したら到着地の「小口」に着くのは遅くなるかもしれん。「胴切坂」の人形、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 この「胴切坂」の下り坂を降りるのもキツイが、この坂を上がって行くのは、もっとキツイやろなぁ・・・なんせ一番の難所「越前峠」に付随しているんだから。

 足をかばいながら、石やら丸太がゴロゴロしてる「胴切坂」を下りて行くと、道端に白目をむいた派手なカッコウした者がおり、ギョッ!!としたら、木で作った人形で胴に「胴切坂」と書いてありました。

 白目むいて、頭が禿げて人相も悪く、衣装も原色の黄色で、もおちっと優しさが有ったらなぁ・・まぁ・・・目立つには目立つけど・・・何も知らない気の弱い人が見ると、山賊が休んでるかと思い、、こおいう遊び心は好きでんなぁ。(^O^)

「胴切坂」5、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     「楠の久保旅籠跡」、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     「楠の久保旅籠跡」2、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く
「楠の久保旅籠跡」2、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     「中根の旅籠跡 休息所」、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く     大雲取越え山道6、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く
「南無阿弥陀仏」と彫られた岩、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く
 その付近から長い石がゴロゴロしてる階段が終わり、やがて「楠の久保旅館跡」という箇所へ来て、説明板には「ここに人が住まなくなったのは昭和35年から・・」とありましたので、ワシが高校へ行く頃まで人が住んでいたんやなぁ。

 ここから更に30分ほど行くと、「中根の旅籠跡」の休息所があり、そこの看板に「小口自然の家3km先」・・ゲッ!! (T_T)「南無地蔵菩薩」と彫られた岩2、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 この東屋にノートがぶら下がっており、読んでみるとワシらの先に12名の「何とか会」が先行して歩いており、今日の宿は同じ「自然の家」のよおで、こいつらが夜に酒飲んで騒がにゃええが・・。

 ここで大休息したおかげで、足の痛みをが大分安らぎましたが、それでも下り坂は、やっぱし足にこたえます。

 30分ほど下りると、岩に「南無阿弥陀仏」と白く彫ってあり、近くの岩にも「南無地蔵菩薩」と彫ってあり、今まで歩いた大雲取越えの道で、宗教に関する物が有ったのは、石仏を除いてこれだけでした。「円座石」、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 それから15分ほど下りると「円座石」という所へ来て、「巨石の上面の模様を見立てて、名付け・・」と書いてあるので、岩の上部に模様が有るのかと思って探したけども見当たりまへん。

 そのうち「丸い輪」のような物が岩表面の所々に出ているので、これを「模様」と表現して書いてあるのかもしれまへん・・・ちがってたらゴメン。

 岩の三つの梵字も、先程の「南無阿弥陀仏」と同じように白く描いてあります。「円座石 模様」、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 麓の「小口」付近が見え始めた頃、3人連れが上って来るのが見え、「今から大雲取越えをすると真夜中になりまっせぇ」と挨拶の一つでもしようかと思ってると、相手方はワシを見て立ち止まります。

 そおでっか道を譲ってくれたんですか、そんなら「ありがとさん」の一言でも言わなければと思って近寄りました。

 すると先頭の男が後の者に黙って手で合図し、二番目の男が心得たとばかりに、いきなり手に持っていた大型のビデオカメラを肩に担いで、ワシに狙いを定めるじゃありまへんか。「円座石」全体、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 アッ!!・・ゴォラアァァ~・・!!、勝手に断りも無く撮るんじゃねぇ・・
 相手の了解を得てから撮るというのが、最低の礼儀じゃろおがあぁぁ~・・

 ワシの大嫌いな「犬HK」だったら、絶対に許さずに徹底的に抗議してやるでぇ ▼▼メ
・・と思ったんだけど、合図した先頭がどうも外人らしいので文句付けるのを止めて、黙って見逃してやったら、通り過ぎるまで遠慮会釈も無くカメラを向けてやがった。

 今、反省して思うにカメラに最接近した時、「アカンベェ~」でもしてやれば、喜ばれたかもしれん。

 民家が見えた所で写真を撮ろうと思ったが、犬が「ギャンゴラ、キャンコラ」と鳴きワメクので撮らなかった。「小口」の旗を持つ人形、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 車道への下り口付近に、大雲取越え途中に有ったと同じような人形が、あいかわらず白目を見せ旗持っており、たいへんでんなぁ、立ってばかりいるのも・・・

 そこから学校が見えたので、学校跡を利用して「自然の家」になってると聞いてたもんだから、それだと思って行ってみると、どおもちがうような気配です。

 近くのスーパーで聞くと「あれは小学校で「自然の家」はそこの川沿いの道を行き橋を渡れば良い」と親切に教えてくれました。

  (この時は、まだ木造校舎に興味が無かったので校舎を撮影しませんでしたが、後年この「小口小学校」に寄って撮影しました。 2020/2/22 追記)

 しかし、川沿いの道は民家の庭先へ行ってるように見えるので、店から出て来たジサマに、ほんとにこの道で良いのか?と尋ねると、大丈夫と太鼓判を押してくれます。

 川沿いに行くと古い橋がかかっており「自然の家」が見えた頃、その先に一人の白装束を着て杖笠を持った、それこそ正式ルックの遍路が「自然の家」へ向かっています。「小口」橋、大雲取越え、熊野古道・中辺路を歩く

 おぉぉ・・珍しや、こんな所で四国遍路と会えるとは・・今宵は遍路話でもしようと思って、玄関で遍路に話し掛けると、満員で断られ民宿を紹介して貰ったところだと言います。

 そおやろねぇ、昨日ワシが電話予約した時「これで満員になった」と言ってたもんねぇ。

 行程を聞くと、「本宮」から「那智」へ向かうという事で、ワシらと逆コースでした。

 「自然の家」に入ると外人が居り、こいつらは先程の撮影した仲間かと思ったけど、そおいう事は顔に出さず「ハロォ~」と挨拶しました、ワシ、紳士だもん。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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