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旅行日 2017/6/29 2018/2/22 UP
ついでに寄った「佐渡の木造校舎」30校
姫崎灯台は佐渡で一番最初に作られた灯台で、しかも日本最古の鉄造りの灯台です。
灯台内部は公開されていませんが、腰板には手書きの木目模様が描かれています。
「木目模様が描かれている」と言ってもわかりにくいでしょうが、文字通り板の一枚一枚に手書きで木目模様が描いてあり、しかも同じ図柄は一つとして無く、全て模様が違っています。
普通ならば、そんな手の込んだ事をせず、自然に板の木目をそのまま生かすのでしょうが、明治時代の職人気質なのか、わざわざ板に木目を描いているのです。
パッと見た目には自然の木目のように見え、とても手書きとは思えないので、知らない人はフウゥ~ン・・と思って見過ごすでしょう。
この木目模様を描くのは明治時代の建築物の特徴だろおと思い、他に「美保関灯台」、「名古屋明治村」の建物で見た事があります。
古い灯台の中には、まだ残っている可能性がありますが、保守手入れの際に、わざわざ木目模様を描くのがメンドなので、塗りつぶされているのもけっこう有ります。
聞くところによると、その木目模様には型紙が有って、それに従って描いたらしいのですが、今となっては、その型紙も見つからず、どのようにして描いたのかわかりません。
「佐渡観光ナビ」の「姫崎灯台の内観」に梯子と△ガラスが写ってる写真の箇所に「腰板の木目模様」が映っています。
姫崎灯台の下には記念館があり、だいたい当時の退息所(宿舎)の形で外観は残っているような気がしますが、内部は完全に資料展示室となっており、当時の面影は有りせん。
一度だけ記念館になる前の退息所に入った事が有り、玄関を入った式台は、もんのすごく厚い木(5センチ以上の厚さは有ったと思う)を使用しており、さすが明治時代の遺物で、今となってはこのような厚い板はなかなか手に入らないだろおと思いました。
で・・そんなに珍しい式台なので、記念館に展示してあるかなぁ・・と思ったが、やっぱり無かった。
式台を上がると10畳ほどの部屋が二つ有り、畳敷き・木の襖と純日本的な室内だったように思い、今となっては内部写真は残ってないと思います。
姫崎灯台の退息所広場から、海岸岩場へ下りる道があり遊歩道になっています。
ただし下りた所までで、昔はもっと遊歩道が続いていたのですが、波で壊されちまったのか、その先は「立入禁止」になっています。
両津へ向かって少し行くと、小島に赤い橋が架かっており「津神島公園」で、力試しで持ち上げたという石が置いてあります。
津神島は軽く一周でき、津神神社の龍の彫り物は、なかなかの作品だと思う。
津神島公園の入口に「大川屋外版画美術館」の説明看板があり、フウ~ゥン・・ここに版画の美術館が有るのか・・と軽く思っていました。
で・・この「大川」集落には「両尾小学校・大川分校」が有るので、その木造校舎の写真を撮りに集落に入ってみると、あちこちの家の壁に版画作品が飾ってあります。
これを見てやっと「屋外美術館」の意味がわかり、そお言えば佐渡に住んでいた時、版画の作家が居たとかなんとか聞いた事がありましたが、この「大川」集落の屋外版画は知らなかった。
たぶん佐渡を訪れる観光客も「大川」にほとんど足を止めず、近くの姫崎灯台へ行っちゃうでしょうねぇ。
しかし版画作品が多く飾ってあり、「大川」集落をゆっくり散策しながら版画を見るのも一興で、知られていない隠れた佐渡の魅力ポイントの一つだと思う。
「村雨の松」は最近折れてしまったらしいですが、この時はまだ折れていませんでした。
両津市内の商店街ですが、車が少ないですねぇ‥昔は道路の両側に違法駐車がズラッ~と並んでいたのに「今は昔・・」です。
「佐渡紀行」は、これにて終了しました。
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「佐渡紀行」は、これにて完了しました。引き続いて、他の紀行文をお楽しみください。
佐渡紀行をした時には、同時に「佐渡の木造校舎」も訪れましたので、そちらも参照していただければ幸いです。
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